鴨の嘴よりたらたらと春の泥 虚子
昭和八年三月三日
家庭俳句会。横浜、三渓園。
この日の他の俳句を見てみる。『句日記』からによると、
枯蓮の間より鴨のつづき立つ
此湾を塞ぎて海苔の粗朶はあり
海苔粗朶の沖の方にも人立てり
湾の内浅瀬に立てる春の波
この風景は、
当時はかなり遠浅の海に面していた三渓園。その湾の果てにはそれを塞ぐように海苔の粗朶が続いている。
その沖には人が立てるような浅瀬もあったのだろう。そこに立つ人はもくもくと海苔を摘む。湾のところどころの浅瀬には小さな春の波が立つ。
枯れた蓮の葉や茎の間からは春の鴨がばたばたと飛翔する。まだ、寒い春の干潟。
それにしても、この一羽の鴨の姿態は印象的だ。
鴨の句を作ろうとすると、いつもこの句が脳裏に浮かぶ。鴨が嘴を水に突っ込んで何かを漁るとき、いつもカタカタと音を立てて水をこぼす。
今の三渓園にも鴨は来るだろうが、この春の泥があるだろうか。干潟に暖められた泥の質感があるだろうか。
単に、人工の湾となった現代の泥では春の泥にならない。「たらたら」という擬音語が効果的。泥でも水でもない、その中間の泥水。そして、ぬくい。鴨の体温と干潟の水温がそこにある。だから、留鳥の春の鴨であって、なんだかほっとする。
ところで、この句碑が三渓園の大池のほとりにある。今や、海岸線からはうんと内陸にあるので、その池の鴨かと思う。そこからは、海も見えない。なんだか、少し淋しい。
ちなみに、家庭俳句会だから星野立子も居た。
その立子の命日がこの三月三日。偶然ではあるが、この日の長閑さが身にしむ。そして、この日は雛祭りの日。子煩悩で、特に女の子を可愛がった虚子の姿が見える。
この家庭俳句会から多くの名句が出た。虚子のおだやかで、肩の力が抜けた写生句が多いためだろう。(坊城俊樹)
今回は虚子の血筋を受け継いでおられる坊城俊樹氏の選と鑑賞を紹介した(丈士)