冬籠る今戸の家や色ガラス
徳富蘆花が不如帰」を発表した明治31年 子規32才の作句
年表には下記の記載がある
活動的な一年だったことが伺える
掲句の本意はなにか ただ写生であってはおもしろくないように思う
1 月給40円。
2.12 「歌よみに与ふる書」(10回,「日本」2.12~3.4)を発表し,短歌の革新運動に着手する。
3 子規庵ではじめての歌会。
3.30『新俳句』刊。
10「ほとヽぎす」を東京発行に切り替える。
(丈士)
徳富蘆花が不如帰」を発表した明治31年 子規32才の作句
年表には下記の記載がある
活動的な一年だったことが伺える
掲句の本意はなにか ただ写生であってはおもしろくないように思う
1 月給40円。
2.12 「歌よみに与ふる書」(10回,「日本」2.12~3.4)を発表し,短歌の革新運動に着手する。
3 子規庵ではじめての歌会。
3.30『新俳句』刊。
10「ほとヽぎす」を東京発行に切り替える。
(丈士)