
秋の日が終る抽斗をしめるように 有馬朗人
引き出しがなめらかに入るその感触は、気持のよいものです。扉がぴたりとはまったときや、螺子が寸分の狂いもなく締められたときと同じ感覚です。そのような感触は、あたまの奥の方がすっと感じられ、それはたしかに秋の、乾いた空気の手触りにつながるものがあります。抽斗は「ひきだし」と読みます。「引き出し」と書くと、これは単に動作を表しますが、「抽斗」のほうは、「斗」がいれものを意味しますから、入れ物をひきだすというところまでを意味し、より深い語になっています。「秋の日」、「終る」、「抽斗」と同じ乾き方の語が続いたあとは、やはり「閉じる」よりもさわやかな、「しめる」が選ばれてよいと思います。抽斗をしめることによって、中に閉じ込められたものは、おそらくその日一日のできごとであるのでしょう。しめるときの振る舞いによって、その日がどのようなものであったのかが想像できます。怒りのちからで押し込むようにしめられたのか、涙とともに倒れこむようにしめられたのか。箱の中で、逃れようもなく過ごしてきた一日は、どのようなものであれ、時が来れば空はふさがれ、外からかたく鍵がかけられます。掲句の抽斗は、激することなく、静かにしめられたようです。とくに大きな喜びがあったわけではないけれども、いつものなんでもない、それだけに大切な、小箱のような一日であったのでしょう。『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載。(松下育男)
【秋の日】 あきのひ
◇「秋日」 ◇「秋日影」 ◇「秋日向」
秋の一日にも、秋の日差しにもいう。秋の日は暮れやすく、どこかあわただしい感じがある。初秋の頃は夏を引きずったような強い日射しも、次第に和らいで行き、空気も澄んできらきらと輝くようである。立秋から晩秋までひろく示すが「秋の日輪」のみを示すこともある。
例句 作者
水底の草にも秋の日ざしかな 高橋淡路女
白壁のかくも淋しき秋日かな 前田普羅
デモの中の一つの真顔秋日濃し 丸山哲郎
水の面に秋白日の穂高嶽 石原八束
削られし伊吹の地肌秋日濃し 栗田やすし
鶏頭に秋の日のいろきまりけり 久保田万太郎
売れ残るラムネに秋の夕日哉 寺田寅彦
秋の日のかりそめながらみだれけり 去来
谿ふかく秋日のあたる家ひとつ 石橋辰之助
ころがつてゆきし玩具の秋の翳 行方克己
秋日差し鑿あと深き石の蔵 たけし
大仏の胎のなかにて秋日差 たけし
秋日和音たてて跳び足の爪 たけし
秋日差し水面にゆれるフラスコ画 たけし
よそいきの言葉ありけり秋日和 たけし
外人墓地ひとつひとつの秋日影 たけし