温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

違いを知ることが大事〜お互いに相手を理解なんてそう簡単にできることではない〜

2022-04-04 19:47:43 | その他

タモリがタモリステーションという番組であまり喋らず、沈黙を貫いたと話題になっているらしい。

<a href="https://news.yahoo.co.jp/articles/bc2efc87becc8a34288f037858fffb51fb307959">「沈黙を貫いたのは?」タモリ本人に聞いてみると…ウクライナ特番“ほぼ無言”の真相(文春オンライン) - Yahoo!ニュース</a><blockquote>「こんばんは。『タモリステーション』、タモリです」 3月18日の『タモリステーション』(テレ朝系)の第2弾。タモリは冒頭にこう挨拶すると、番組の最後までほぼ無言。ネット上では「沈黙で平和を願った」「戦争に心を痛めたから」など様々な考察が巻き起こった。</blockquote>

ロシアがウクライナに侵攻したことについて、連日ワイドショーやニュースで取り上げているが、私は戦争という紛争に関して、どちらがどうだという意見はいわないというスタンスを取りたいと思う。だって、紛争の当事者同士しかわからないことだと思う。なにも当事者たちの事情がわからず、正義や倫理に従った意見を言っても、それは被害からも恐怖からも遠くにいる、単なる部外者の勝手な意見でしかない。

どこかのワイドショーのコメンテーターが「痛みを感じないのか?」などという意見を言っていたけど、そんな倫理観をもっていたら、そもそも戦争など起こさないので、違和感を感じた。

以前、異文化との共同開発において大事なのは「お互いの違いを知ること」と書いたと思うけど、「お互いの違いを理解する」のでなく、まず、違っていることを認識するのが大事だと思う。どちらかが、どちらの文化を理解するなんて有得ないと思う。また、こんなに丁寧に説明しているのに、相手はなぜ理解できないかなどおと思うことで、紛争はより複雑になるのが常である。違いを理解して、その違いをどのように可能なことを少しでも埋めるかが大事である。少しずつ、何らかの方策を立てて、違いを少しでも埋めていくようにすることで、少しだけ良くなると思う。それを、時間をかけて積み重ねることが大事だと私は思う。

もうひとつ、異文化の理解が難しい例が、以下のアカデミー賞でのウィル・スミスの事件だ。

<a href="https://news.yahoo.co.jp/articles/bab2cfba22a61829bdc3901d869b494659c35991">ウィル・スミスの「平手打ち」が、日本人が思ってる以上に「かなりマズい」理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース</a><blockquote>例えば、日本ではSNSを中心に、ウィルの言動に一定の理解を示す声が多く上がっている。その理由として「妻のために闘ったウィルは、男らしくかっこいい」「病気の家族をイジられ侮辱されるのは耐えられないから(ビンタも含め)許容できる」というものだ。

 しかし、長年アメリカに住む筆者は騒動を知った時、この一連の行動は「かなりまずい」と思った。</blockquote>

これも、アメリカでは言葉の暴力に寛容だ、日本人は言葉の暴力は許せない文化だなどの、いかにもわかったかのような意見が、メディアに溢れているし、上の記事のコメント欄にも、私はわかっている、わからない人はおかしいみたいな意見がはびこっているけど、そんな当事者でない人が、簡単に正しい正しくないということは言えないと思う。

このような、ある文化や環境で育った人が、その価値観で独善的に、正しい正しくないを一方的に決めつけることこそが、紛争や戦いを生み出すと思う。

何度も言うが、お互い理解するのがゴールでなく、お互い違いをよく知ることがスタートで、少しずつその違いを埋める施策を打っていくことが大事だと思う。

日本て、結構紛争解決に対して危うい国だと思う。