温故知新~温新知故?

音楽ネタが多いだろうけど、ネタのキーワードは、古きを訪ねて新しきを知ると同時に新しきを訪ねて古きを知るも!!

今日も法事で湯河原へ

2014-01-05 21:51:40 | その他
今日は法事で湯河原へ。
朝8時に池袋を出て、10時ころには目的地に到着。
今日は正月休みの最後だし、昨日は夜渋滞していたようなので、帰りは渋滞を覚悟したけど、14時15分ころ湯河原を出て、16時30分には池袋についた。正月休みの渋滞は昨日がピークだったようだ。東名の厚木から海老名あたりも渋滞なしで、真鶴から早川までが唯一渋滞。下がその写真。

「ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました」松本隆さん

2014-01-05 16:57:34 | 音楽
大滝詠一さんの葬儀のころ、松本隆さんがつぶやいた。素晴らしいな。
松本隆さん「作品は不死だね」 大瀧さんへ追悼ツイート:朝日新聞デジタル
自身が作詞、大瀧さんが作曲して太田裕美さんに提供した「さらばシベリア鉄道」の歌詞を引用しながら、「今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました」「ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました」「ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね」などと追悼の言葉をつづった。

他にも。
日本語ロック源流膨大 内田樹さん、大瀧詠一さんを悼む:朝日新聞デジタル
 ツイッターで大瀧さんが手がけた曲の元ネタについてつぶやいたら、数分のうちに「この二つを結びつけたのは地球上で内田さんが最初の人です」と返信をいただきました。

はっぴいえんどは、米国のロックバンド、バッファロー・スプリングフィールドをドメスティックに解釈して「日本語のロック」を作り出したのですが、代表曲の「春よ来い」は地方から都会に出てきた青年の孤独と望郷の念を歌う、春日八郎や三橋美智也にも通じる楽曲でした。少年時代から、ポップスやロックだけでなく、ジャズも民謡も、あらゆる音楽を身に浴びてきたことが、大瀧さんの血となり肉となっていたのでしょう。

前にも書いたけど、私も、大瀧さんの番組は録音したものを50回以上は聴いているだろう。
長く新曲を出していませんでしたが、ラジオには定期的に出演して、「ラジオ番組がニューアルバムなんだ」と話していました。ですから、「日本ポップス伝」と「アメリカン・ポップス伝」、山下達郎さんとの「新春放談」を録音したものは何十回聴いたかわかりません。

LIFE, LOVE & HOPE by Boston購入

2014-01-04 13:23:55 | 音楽

昨日、駅伝見て、有楽町の火事騒ぎが収まりそうなのを見計っての銀座に行き、山野楽器とアップルストアを覗いてきた。アップルストアではiRigというギターやmマイク音源をミキシングできるものを買いたかったけど、ギターしか入力できないものしか在庫がなかったので、購入踏みとどまりました。
そして、山野楽器をうろうろしていたら、このボストンが目に入って衝動買い。視聴もできたので、一応全曲それなりにチェックしてから、これなら買いだと思って購入。まだ、しっかり聴いていない。まあ、視聴した限りでは、ボストンらしい感じで安心した。他にもペダル・スティール・ギターのロバート・ランドルフも視聴してかなり気に入り買いそうになったけど、こちらも踏みとどまった。さらにマラヴォアの40周年記念アルバムなんて言うのも買いたかったけど、買わずでした。
Amazon.co.jp: LIFE, LOVE & HOPE: 音楽
楽曲的に賛否あるようではありますが、それもファンの期待ゆえでありましょう。私としては、11年ぶりにアルバムを出してくれただけで期待を超えて感涙、一も二もなく予約しました。聴き始めればそこには、それだけの時間が降り積もったBOSTONが

それにくわえて、一昨日くらいにアマゾンで購入したライヴ・アット・ザ・BBC-ザ・ビートルズも留守中に届いた。しかし留守で今日の朝再配達で受けとった。先日、vol.2を買ったんだけど、イマイチで、vol.1の方がいいという人もいたので購入決心した。こちらは、まだ全然聴いていない。

Amazon.co.jp: ライヴ・アット・ザ・BBC: 音楽
1962年から65年の間にビートルズがBBCラジオで演奏した全92曲、全270テイクの中から、BBCラジオセッションでも録音を担当したジョージ マーチンによって厳選されたベストトラック集。全体的に肩の力を抜いたリラックスした演奏が楽しめ、なんと31曲もの正規で発表されていない未発表曲が収録された驚きのアルバム。

1965紅白歌合戦~知っている歌手ばかりだけど、歌っているのは知らない曲~

2014-01-02 20:00:33 | 音楽
1965紅白歌合戦
facebookでサンフランシスコのマーケッターに紹介された1965年の紅白歌合戦を見た。楽しめた~!。
下の出演リストを見ればわかるけど、私の年代には懐かしい人ばかり。
司会は林美智子と宮田輝。うず潮の時代だそうだ。
舟木一夫は、「高校3年生」でしょうとか、三橋美智也は「達者でな」でしょとか、吉永小百合の「天満橋から」って何?しかも歌詞の「天満橋から人形投げた」って何とか、凄い!!!としか言いようがない。
他にもザ・ピーナッツのロック・アンド・ロール・ミュージックに驚き、初登場のジャニーズとか、見ものがいっぱいで2時間以上だったけど、全然飽きない。数日前の大晦日の紅白は途中で寝てしまったけど、これは寝るどころとの騒ぎじゃない。最後までしっかり見た。
皆歌がうまい。最初に素人審査員の紹介で、みな虚業でなく、南極の隊員とか、看護婦さんとか、新聞少年とか、皆地に足がついた職業の人ばかり。本当に今がいい時代なのか、考えなおしちゃった。オススメの映像です。
第16回NHK紅白歌合戦 - Wikipedia

紅組 白組
歌手      曲         歌手      曲
三沢あけみ(2) アリューシャン小唄    舟木一夫(3) 高原のお嬢さん
都はるみ(初) 涙の連絡船         井沢八郎(初) 北海の満月
西田佐知子(5) 赤坂の夜は更けて    春日八郎(11) 大阪の灯
雪村いづみ(8) スワニー         坂本九(5) ともだち
仲宗根美樹(4) 海と野菊と船頭さん    克美しげる(2) あゝせつなきわが心
梓みちよ(3) 忘れたはずなのに    ダーク・ダックス(8) エーデルワイス
園まり(3)    逢いたくて逢いたくて  山田太郎(初) 新聞少年
九重佑三子(2) 抱きしめて         東海林太郎(4) 赤城の子守唄
日野てる子(初) 夏の日の想い出       バーブ佐竹(初) 女心の唄
朝丘雪路(8) ハロー・ドーリー     立川澄人(3) 教会へ行こう
伊東ゆかり(3) 恋する瞳         三田明(2) 若い翼
島倉千代子(9) 新妻鏡         三橋美智也(10) 二本松少年隊
岸洋子(2)    恋心           アイ・ジョージ(6) 赤いグラス
弘田三枝子(4) 恋のクンビア      ジャニーズ(初) マック・ザ・ナイフ
吉永小百合(4) 天満橋から         森繁久彌(7) ゴンドラの唄
江利チエミ(13) 芸者音頭         三波春夫(8) 水戸黄門旅日記
倍賞千恵子(3) さよならはダンスのあとに 和田弘とマヒナ・スターズ(7) 愛して愛して愛しちゃったのよ
ペギー葉山(12) 学生時代        ボニー・ジャックス(3) 手のひらを太陽に
越路吹雪(11) 夜霧のしのび逢い   植木等(4) 遺憾に存じます
水前寺清子(初) 涙を抱いた渡り鳥   村田英雄(5) 柔道水滸伝
ザ・ピーナッツ(7) ロック・アンド・ロール・ミュージック デューク・エイセス(4) キャラバン
坂本スミ子(5) グラナダ        フランク永井(9) 東京しぐれ
中尾ミエ(4) 夢見るシャンソン人形   西郷輝彦(2) 星娘
こまどり姉妹(5) 恋に拍手を        北島三郎(3) 帰ろかな
美空ひばり(10) 柔 橋幸夫(6)     あの娘と僕 スイム・スイム・スイム

トリビア的話題がいっぱい。
カラー放送であり、当時のオリジナルの放送用カラービデオテープが2種類現存する。現存が前から確認されていた1つ目のカラー映像は冒頭40分欠落のうえ、色ずれなど映像に乱れが生じ退色も激しいものであったが、2つ目のカラー映像が2011年5月にたまたまNHK局内の音楽倉庫で3本の原版2インチVTRで発見され、東京都墨田区のレトロエンタープライズの手によって修復・ダビングが行われHDCAMテープに転写され、新たにNHKアーカイブスに保管された[1]。2つ目のカラー映像は1時間40分の短縮版である[2]。また、NHKが記録したキネコ(白黒、完全版)と、白組司会を務めた宮田輝の夫人が自宅で録画し、後にNHKに提供された完全版白黒ビデオテープもあり、計4種類の映像が現存する。

当初、紅組司会は過去2年間に引き続き江利チエミを起用する方針だったが、江利が「もうコリゴリ」と辞退し、前年の連続テレビ小説『うず潮』のヒロイン・林美智子が起用された[3]。
紅組トリおよび大トリは前回に引き続き美空ひばりの「柔」(この年の『第7回日本レコード大賞』受賞曲。前年からロングヒットした)が選曲された。

当時はまだ男女混合グループの出場が認められておらず、白組出場の和田弘とマヒナ・スターズの「愛して愛して愛しちゃったのよ」は女性ボーカルの田代美代子抜きで歌った。男性ボーカルの松平直樹は曲中、「やっぱり、うちの美代子がいないと淋しいよ」と言っている。田代は翌1966年・第17回に、「ここがいいのよ」(同じく和田弘とマヒナ・スターズとの歌)でソロで初出場を果たしている。

振り返ってみると、1965年当時紅白を見ていなかったことがわかる。たぶん洋楽へ大きく傾き、かつロックへ傾いていたので、紅白なんてって斜に構えていた時期だろう。そういう意味でも、この欠落した紅白の歴史を埋めたい気がする。youtubeにはその前後の映像もありそうなので、今後探してみてみたい。