ケンのブログ

日々の雑感や日記

継続は力

2019年10月05日 | 日記
僕がとっている全国紙に王貞治さんの談話が載っている。

あらゆる時代に結果を残してきた秘訣とは。

王さん
長くやらせてもらったから。長くやっていれば
数字というものは増えるもの。自慢に思っているのは
ジャイアンツのユニフォームを着て一番(多くの)試合に
出ている人間なんです。(2831試合)。
ホームラン何本と言うことよりも、そのことが
一番だと思っている。

王さんにとってホームランとは

王さん
口幅ったい言い方ですが小学校の頃から
ホームランばかり。生まれつきになにもわからないで打つと
遠くへ飛んでいっちゃう。天性のもの。

と書いてある。
長くやらせてもらったのが結果を残した秘訣って
すごいなと思う。
王さんのいっていることをもっと短く要約すれば
継続は力。逆に力があるからこそ継続できるということだと思う。
そしてそこに「やらせてもらった」というおかげさまの言葉も
ちゃんと入っている。
王さんの言葉にはいつでもぶれない哲学があるなと思う。
今時、野球の世界に限らず、どの世界を見回してみても
こんなに発言が品行方正でぶれない人って
ちょっといないと思う。
だからこそ選手としてだけでなく
引退してからも長く尊敬されるのだろうけれど。
なんか結果を残してきた秘訣はと問われたことに対する
第一声が 「長くやらせてもらったから」であることに
ちょっと涙が出てきた。
本当にすごいなと思って。

ホームランの秘訣はと問われて
天性のものと答えておられる。
本当にすごいなと思った。
王さんのようにホームランを打つ天性に恵まれた人は
それこそ何十年にひとりとか百年に一人しかいないと思うけれど
全く天性のないという人もいない。
やはりそれぞれが自分の天性はなにかを考え
それを大切にして続けていくことなのだと思う。

病気をなさってからやせられた王さんだけれど
新聞の写真を見ると首筋の当たりが
また最近ちょっとやせられたようにも見える。
本当に健康を大切にしていただきたいなファンの一人として
願っている。

新聞を見るとまた別の箇所には
関西電力が関西電力の幹部に金品を送った方に
太陽光発電設備工事の情報も提供していたことが
わかったと書いてある。

この記事を読んで
征さんという方がある本に書いておられたことを思い出した。

こんな記述だ

2008年あたりから「原発にかわるエネルギー」あるいは
「自然エネルギー」「再生可能エネルギー」といった言葉で
「電気」を「エネルギー」という表現に変えたある映画製作の
予告ちらしが出回り始めました。
このちらしは特に反原発運動をしているような団体
あるいは人々のところに沢山送られてきました。
この言葉の持つ意味を考えていきますと、この映画そのものが
ある目的のもとに作られたものだ ということがわかります。
つまりこの映画には「みなさんがなんとか止めたい、
増やしたくないと頑張っている原発を止めるには
太陽光や風力などの自然エネルギーによる発電設備を
増やせばいいんです。そうすれば原発は止められますよ」との意味が
込められていてその映画を観ることですっかりその気にさせてしまう
内容に作られていると言っても決して過言ではありません。
ですからごく単純に「なんとか原発を止めたい」と
活動している人たちが「脱原発、自然エネルギーへの転換を」の
運動に変わってしまいました。


征さんの本に直接的にあるいははっきりとそう書いてあるわけでは
ないのだけれど、それを読めば原発反対の人や団体に自然エネルギーの
情報を与えるとその人たちは原発を止めるためだと
よろこんでそれを広めてくれる。
しかし自然エネルギーそのものも原発に劣らず
自然環境破壊の可能性を秘めたものであるし事実破壊している
ということがわかる。

一昨日くらいの新聞に関西電力の幹部は「わしが原発に
反対したらどうなるかわかっとるのか」というような言葉で
金品を提供した方に脅されたというようなことが出ていた。
原発反対と太陽光など自然エネルギー促進は
利権に群がる人の都合でごく単純な理屈でセットになっている
あるいはさせられているという事実を考えると
今回の関西電力の事件でも利権を持つ人の間で
お金と情報がいわばずぶずぶの関係のなかで
やりとりされていたのではないかという駆り立てなくてもいい
想像力まで駆り立てられてしまう。

本当にみんなが安心して暮らせる世の中だと
いいなとしみじみと思う。


十月四日

2019年10月04日 | 日記
朝、ラジオを聞いていたら
東京の方で線路に自ら侵入していくような形で
なくなった方がいる。
その処理のために鉄道の会社が青いシートをかけていたら
そのシートの隙間からスマホで中を撮影しようとする人が
結構いたというような話をしていた。
パーソナリティの方は慎重な表現ながらも
シートをかけると言うのは多分、死体を隠すため。
それを写真にとろうとするなんて、というような話をしておられた。
まあ、本当にその通りだなと思うし
なんかちょっとそんなの写真にとろうとするなんて
いったいどうなっているんだろうと思ってしまう。
僕はその他にも外食チェーンのカウンターで
スマホを見ながら食事をするのも本当に大丈夫だろうかと
思ってしまう。
昔も少年ジャンプを読みながらラーメンを食べている人とか
いたけれど、いま、スマホを見ながら食事をする人の
割合は昔、少年ジャンプを読みながら食事をする人の
割合よりも高いように思う。
たぶんそれだけスマホの中毒性が高いということなのだと思う。
本当に食べるということは生命活動のなかで
とても大切と言うより必ずなければ
ならないものなのに、
食事よりもむしろスマホに意識がいってしまっているって
大丈夫だろうかとなんだか怖くなることがある。
僕はこういう分野に関する専門知識はないけれど
スマホも人工知能を扱う端末のひとつなのだろう。
こういうみんなの姿を見ていて
人工知能がどんどん台頭してくると
私たち人間の意識はどうなってしまうんだろうと
本当に思ってしまう。
それは人の姿をみてそう思うだけでなく
自分の身を振り返ってもそう思う。
自分自身もなるべく人工知能に関しては
自分なりに節度ある使い方をしていきたいと思う。

辞めろと言うのは死ねと言うことだ

2019年10月03日 | 日記
関西電力の幹部の方などが
森山氏から金品を受け取っていた問題が
今日も新聞紙上を賑わしている。
昨日この問題について関西電力の社長と会長が
記者会見をしたからだと思う。
森山氏からの金品の受領を拒むと
「わしが原発に反対したらどうなるかわからんのか」と
森山氏から恫喝されたというような新聞記事の記載を読むと
原発にからむ問題であるがゆえの闇の深さも見えてくるように思える。
また、責任ということを問われると「原因究明と
再発防止を図ることで経営責任を果たしたい」という
回答になっているようだ。
ここでいう原因究明とはなんなのかは記事では明らかに
なっていなけれど
なんとなくここで語られている原因究明って
構造的な原因の究明を言っているようで
それは経営者の仕事であるというよりも
学者の仕事であるようにも僕には思えてくる。
また金品を受け取っておいて
「原因究明と再発防止」と言われても
なんか今回の問題を他人事扱いしているようで
なんとも納得のいかないものとなっている。
直接的でシンプルな言い方をすれば金品を受け取ったことが
いけないわけで、どんな理由があろうとも
金品の受け取りを断固拒否すれば
金品の受領という問題は生じない。
それは子供にもわかる理屈だと思う。
しかし金品をうけとったのはやはりいろんな問題が
あるからでそれが原因究明だということになれば
話は堂々巡りになってしまう。
しかし、なんとなく昭和の時代は
こういう形、つまり原因究明と再発防止とい
言葉を使って責任者が居直るということは
少なく、こういう場合は辞任であったように思う。
もちろん統計ととったわけではないので
僕の印象にすぎないかもしれないけれど。

今回の関西電力の事件に絡んでひとつ
思い出したことがある。
故大平正芳首相のことである。

※1979年衆院選では大平の増税発言も響いて自民党が
過半数を割り込む結果を招いた。すると。大平の選挙責任を問う
反主流派は大平退陣を要求するが、大平は
「辞めろということは死ねということか」として拒否。
ここに四十日抗争と呼ばれる党内抗争が発生し、
自民党は分裂状態になった。
※ウィキペディアを一部綴り方を変えて引用。

この当時、大平さんのライバルである福田元首相が
口をへの字にまげて
大平首相の責任を問うというような写真と
発言が連日のように新聞に載っていたと記憶している。
そして福田さんをはじめとする反主流派が
大平さんの責任を厳しく追求すると
大平さんは「俺に辞めろと言うことは、死ねと言うことか」とすごんだ。
この大平さんの発言を新聞で見たときは僕は
大平さんってすごい人だなと思った。
そして責任をとって辞任するって言う
社会慣習はきっと武士の切腹のなごりだと
僕は子供心に思っていたけれど
「辞めろとは死ねと言うこと」という大平さんの
発言を見て、僕のその認識は正しかったんだなと
なんとなく思った。

さて、その翌年こともあろうに社会党と
自民党の反主流派が結果的に結託する形になって
大平内閣の不信任決議が可決されてしまった。
大平さんは辞任せず、そのまま衆議院選挙に
突入。
大平さんはその最中にいわば過労で急死してしまった。
辞めろと言うのは死ねと言うことだという
大平さんの言葉がみんなの心に鮮烈に残っていたときだったので
これは責任を追求されるあまりストレスで
死んでしまったという考えが
自民党の間にもそして国民の間にも
かなり支配的になったように記憶している。
本当に大平さん死んでしまったと僕も思った。
しかし、大平さんが死ぬことで
みんな争っている場合ではないと結束し
それまでの自民党の対立はすっかり影を潜め
自民党もその衆議院選挙で大勝。
選挙後に鈴木善幸内閣が話し合いで誕生し
自民党の安定政権の時代になった。

ちなみに新渡戸稲造の武士道には
切腹ということに関して次のような記述がある。

「中世に発明された切腹とは、武士が自らの罪を
償い、過去を謝罪し、不名誉をまぬがれ
朋友を救い、自らの誠実さを証明する方法だった」
※新渡戸稲造 武士道 奈良本辰也訳より引用。

結局、昭和くらいまでの時代には
責任をとって死なないまでも辞める
そしてそれを受け継いだ後輩が
やめていった先輩のためにも不正をただす。
そういう心意気で秩序が保たれている側面が
かなりあったように思う。
原因究明、再発防止といって居直っている
関西電力の幹部の方の発言を新聞で読んでいると
そういう私たち日本人の心意気はどこにいってしまったんだろうと
思う。
そしてそういうのを失うのはなんか
よくないことに思えてくる。








十月二日

2019年10月02日 | 日記
新聞を見ると関西電力幹部が受け取っていた金品は
金杯、小判、スーツ仕立て券、金貨、商品券など
具体例があげられている。
具体例を見ると換金性の高いものばかり。
個人で保管し、ほぼ全額を返却するか、同額程度の
返礼品を渡した。
元助役が関与する企業への関西電力の
工事発注は適正。
というニュースのポイントが新聞の囲みに出ている。
繰り返し読めば読むほどなぜ、そんな不自然きわまりないことを
とますますわけがわからなくなってしまう。
きっとそう思うのは、かなり多数の人数に上るような気がする。
数日前、新聞に金品と出ていたとき
いったいどういう意味なんだろうと思ったけれど
具体的にはそういう換金性の高いものだったのかと思った。
それで新聞にそれらをうけとった幹部のかたのうち6人の写真が
載っている。
そうか、この人らがそんな換金性の高いもの
受け取って個人で保管してまた返すというようなことを
していたのか、とまじまじと思ってしまった。
そして、この人たちは今ごろどんな気持ちでいるのだろう。
ほとぼりが覚めるまでは我慢と開き直っておられるのか
これはやばいことになったと思っておられるのか。
なんか、今までにもいろんな会社の不祥事とか
政治家の汚職のニュースとかあったけれど、
僕にとってはこんなにわびしい気持ちになる
不祥事のニュースってこれまでになかったように思う。
なんか人間、恥と考えていたら萎縮してしまって
よくないことも多々あるけれど
こういう今回の関西電力の不祥事のような場合には
恥を知るということが大切と思えてくる。
個人的な考えだけれど、少なくとも
経営陣が変わらなければ収束を
図るのが難しいようにも思う。
また、関西電力が信頼を取り戻せるように
ことが収束することが大切と思う。

関西電力 日馬富士 稀勢の里

2019年10月01日 | 日記
今日から十月になった。
ちょっとよったお店のカレンダーは旧暦の月の名も
表示されていて神無月と書いてある。
そんな季節になったんだなあと思う。
朝、ラジオをつけると今日から消費税が10パーセントになる
話題でもちきりだった。
パーソナリティは軽減税率など今回の税金の改訂が
いろいろややこしいシステムであることを気にしておられるようだった。
僕も会社で働いていたのでそれはこういうときは
コンピュータのシステムの方をはじめとして
いろいろ大変だろうなと思った。
それなりの混乱を覚悟で買い物に行ったけれど
僕が行った店では今までのところでは
目に見えた混乱はないようだった。

関西電力の上層部の方が金品を受け取っていたという
ニュースでいろんな事実が出てきて
新聞に書いてあるけれど事実が出てくれば
出てくるほどますますわけがわからなくなってしまう。
これが単純な窃盗などの事件だと
あたらしい事実がでてくるとそうやったか
防犯カメラに写ってたか
まあそれは間違いないわな、というような感じで
新たな事実がでてくるとそれだけ
事件の概要が明らかになってくるけれど
こういう偉い人の金品の受領などの
事件は事実が出てくればでてくるほど
ますますわけがわからなくなるというのが
今もそうだし過去にもよく見た風景であるように思える。
ただ新聞に出ている状況証拠的な
記事をいろいろつなげて頭のなかで
乏しい創造力を働かせると
なんだか利権に群がる人の間で
関係ないものにとっては不自然きわまりない
お金の回り方がしているんだなと思ってしまう。
僕はこういうことに関しては
少なくともある程度は諦めモードの気持ちに
なることが多い。
しかし、今回はひとつ間違えば大惨事に繋がりかねない
原子力発電をめぐってこういうことが
起きていることに本当になんとも言えない不安を感じる。
なるべく多くの人の納得がいくような形で
状況が推移することを切に願っている。
関西電力とそこから原発関連の工事を請け負う業者ということに
関連して僕の率直というか本音をぶっちゃけた
素人なりの感想をあえて書くと
あまりにも競争が公正すぎて毎回違う業者が工事を
請け負うというようなことになっても
はじめての業者であれば慣れていないがゆえに
安全性が不安ということもあるだろうし
もう発注側と受注側がずぶずぶの関係になってしまって
どこが工事をするかというのができレースになってしまっても
たががゆるんで安全に問題が出てくるように思う。
ようするにこういうのはもう最後はそれに携わる個々人の
良心とモラルにかかってくるのだと思う。
そのような良心とモラルが保たれる世の中であることを
本当に願っている。


昨日、そして今日と僕のGoogleのニュースフィードには
稀勢の里の引退相撲で稀勢の里のまげにはさみを入れる
元横綱日馬富士の写真が載っている。
土俵上で言葉をかわす稀勢の里、日馬富士両者の表情を
見ていたら、ああ、これはこの土俵の上で勝負した
二人にしかわからないお互いの気持ちが
あるんだろうなと思って涙が出てきた。
稀勢の里改め荒磯親方の今後に期待したいと思う。
稀勢の里には怪我しない力士を育ててほしいという
日馬富士の談話が載っていた。
稀勢の里は日馬富士との相撲で小手に降りながら
土俵下に転落したことが大ケガの引き金になったことを
思い出した。
そういえば豊真将も日馬富士との相撲で
ひざが中に入るような形でカクっとこけて
結局それが引退に繋がってしまった。
あの相撲のときに解説を務めていた
北の富士さんは茫然とした表情で
「豊真将は本当に運がない人ですねえ」と言っていた。
あれは北の富士さんの本当の気持ちだったと思う。
その時の日馬富士の談話は
「僕の相撲は怪我させる相撲じゃない」というものだったと
記憶している。
本当に日馬富士の下から突き上げるような立ち会いの
当たりがバシッと決まったときの破壊力は
想像を絶するものだったけれど
怪我をさせる相撲でなかったことは確かだな
としみじみと思い出す。