ケンのブログ

日々の雑感や日記

フィルハーモニア管弦楽団兵庫公演 エサ ベッカ サロネン 庄司紗矢香

2020年01月25日 | 音楽
兵庫県立芸術文化センターにフィルハーモニア管弦楽団演奏会を聴きに行った。

指揮はエサ ベッカ サロネンさん

最初に演奏されたのが
シベリウス 交響詩 大洋の女神

サロネンさんがやわらかい動作でふわっとした感じで演奏を始められる。大洋の女神というくらいだから海の音楽だと思うのだけれど、僕にはなぜかフィンランドの森の音楽のように感じられる。

フルートを中心に木管の響きが鳥のさえずりのように聴こえる。サロネンさんの動作の柔らかさが演奏をエレガントなものにしているように思えた。リズミカルなところは楽しく、いろいろ場面ごとの変化もよかった。

曲の後半になってティンパニが大きくなったとき、そうかこの曲はティンパニー二台の曲かと気づいた。向かって右側のティンパニの人が左側の人に目配せして二人でタイミングを取り合って演奏しておられる様も印象的だった。

次に演奏されたのがバイオリン独奏庄司紗矢香さんで
ショスタコーヴィチ バイオリン協奏曲第一番イ短調作品77
庄司紗矢香さん上は銅のような色をしたなんかアジアの民族衣装のようなノースリーブのアウター下はグレーのワイドパンツのような姿で登場。

第一楽章
陰鬱な感じの曲想が続くけれど紗矢香さんはゆったりしたかまえで余裕をもって演奏しておられるように思える。音に艶と厚み存在感がありアンニュイな感じも醸し出している。

弾き方によってはもっと悲痛な音が出てくるこの音楽だけれどそういうのがあまり表に出てこないように感じられる。最近、緊張感や悲痛さを表に出した演奏よりもちょっとリラックスして聴けるショスタコーヴィチが僕、割と好きなのでなんかいい感じと思う。

耳をすましていると最初はバイオリンは低い音、だんだん音楽が進むとこんどは高い音が中心になりさらにバイオリンが単一の楽器で複数の音を同時に出すようになってくることに気づく。

寝転んでCDを聴いていても気づかないことにコンサートだと気づけるからやっぱり音楽は生で聴く機会がなければと思う。とりわけショスタコーヴィチの音楽は生で聴いて初めて気づくことが多い。

そういう音楽の変化が自然の流れのように感じられるところがいいなと思う。いつ聴いても庄司紗矢香さんはちょっと不思議ちゃんだなと思う。

第二楽章
第一楽章よりは早い動きになる。けれど、まだどこかに少し余裕が感じられるところがいいなと思う。それでも第一楽章は動きが少なくリラックスした構えで弾いておられたけれどこの楽章では演奏の随所でステップを踏み変えたりしてかなり動きが大きくなってきた。

時々、腰から沈み込む様なポーズで演奏される様子がなんだかかっこいいなと思った。音楽にはあまり関係ないことかもしれないけれど。

第三楽章
サロネンさんはこの楽章を大きな構えでゆったりと開始される。なめらかさもあるように思える。

この楽章をコンサートで聴くとしばしば僕は交響曲第11番の第一楽章と同様に広大なロシアの広場を思い浮かべる。音楽にそういう表題がついているわけではないけれどなんとなくそういう気がする。

今日の演奏もそうだった。そしてこの曲はバイオリン協奏曲と言うよりもバイオリン独奏つき交響曲だなと感じる。

紗矢香さんのバイオリンはサロネンさんが作った大きな流れの中に乗るような形で出てきた。ここまで聴いてきてサロネンさんと紗矢香さんの息がかなりあっていることに気づき始める。

カデンツァは素晴らしかった。バッハを思わせるような深い音楽の世界がだんだん盛り上がっていってその流れの中で音楽が切れ目なしに第四楽章に移行していくところは圧巻だった。

本当に紗矢香さんとサロネンさんの呼吸がピッタリだった。息を飲むほどの素晴らしさと思った。うわー。これは素晴らしいわ、と思っているうちに音楽はどんどん進んでいった。最後はかなり盛り上がって演奏が終わった。

盛大なブラボーの声が会場のあちこちから飛んでいた。紗矢香さんも満足したような表情をされていた。いやあ、今までに聴いたショスタコーヴィチの音楽の生演奏の中で最も満足したもののひとつと思った。

20分の休憩を挟んで次に演奏されたのが
ストラビンスキー 春の祭典
木管の音が素晴らしいと思った。時折、ジャズのように音楽がスゥイングするところやふっと力が抜けたりするところがあり、さすがだなと思った。よほど音楽に精通していなければできないことと感じた。

そして、目の前で演奏しているオーケストラが世界でも有数のオーケストラであることに今さらのように気づいた。

途中で急に音が大きくなってビクッと首が後ろにのけぞってシートの後ろの板に後頭部をぶつけてしまった。イタッと思ってそれから指揮者の動きに注目したら音が大きくなるところではすばやく気を発するような動作をしておられた。サロネンさんは指揮の姿がなんとも言えずエレガントだなと思う。急に音が大きくなるなど突発的な変化も見事だなと思った。   


ヘンリー王子夫妻の高位王族引退 エリザベル女王の声明

2020年01月23日 | 日記


 イギリス王室が、ヘンリー王子とメガン妃が今年春以降、公務から引退し、「殿下」の敬称も使わなくなると発表。エリザベス女王が以下の声明文を発表しました。

 何か月にもわたって交わされた会話と、最近の協議の結果、私の孫一家の今後について建設的かつ、協力的な道を見つけたことを嬉しく思います。

 ハリー、メガン、アーチーはこれからも私の愛する家族であり続けます。

 私は、彼らが過去2年間、激しく注目されたことで経験した苦労を認識しており、より独立した生活を送りたいとの彼らの意向を支持します。

 夫妻がこの国やイギリス連邦諸国などで献身的に行った全てのことに感謝したいと思います。特にメガンがすぐに私たちの家族に溶け込んだことを誇りに思っています。

 きょうの合意で彼らが、幸せで穏やかな新しい生活を築き始められることが、私の家族一同の望みです。

上記の引用はヘンリー王子夫妻の公務引退に関連して出たエリザベス女王の声明文。

「ハリー、メガン アーチーはこれからも私の愛する家族であり続けます」という言葉。生まれてきた子供のことも含めて家族であることを確認する言葉にはなんだかジーンと来た。

「夫妻がこの国やイギリス連邦諸国などで献身的に行ったすべてのことに感謝したいとおもいます」という言葉を読んだとき、パウロの「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことについて感謝しなさい」※テサロニケ人への第一の手紙第5章16から18節 を思い出した。

いろいろな思いが交錯するこういうときに「すべてのことについて感謝したい」という声明を出せるのは僕が思うには常日頃そういう言葉を意識しているからだと思う。常日頃にないことはここというときに出ないように思う。エリザベス女王という方はちょっと特別の方だなと思う。

結局、人間は言葉でものを考えるから良い言葉が良い思いを作るのだと感じる。

※このエリザベス女王の声明に関するブログ記事を僕は2,3日前に書きましたが、他の記事を投稿するときにアプリの操作を間違って消してしまったので、もう一度リライトしてアップすることにしました。 


広瀬香美 ストロボ

2020年01月22日 | 音楽
広瀬香美さんのストロボという歌のニコニコ動画を見た。歌の進行に合わせて視聴者のコメントがズラーッとテロップで出てきてそれを見るのがとても面白い。

音をとるのが難しそう、とか かっこいいとか、いろんなコメントが出てくる。その中に「顔面以外は完璧」というのがあって思わず心の中で笑ってしまった。

広瀬香美さんの顔ってそのときのメイクによって本当に美人にみえたりむちゃくちゃの顔に見えたりする。その動画は微妙なメイクのときのものなので顔面以外は完璧と書きたくなる気持ちはわかる。

それにしてもニコニコ動画に書き込んでくる人の言語センスって独特でそれなりにすごいなと思う。確かにこのストロボという歌、音程をとるのはそんなにやさしくないと思う。いろんな人がカバーした動画も見てみたけれと香美さんレベルで正確に音を取れている人は誰もいないと言って過言ではない。

あともう一つこの歌で難しいのはリズムのとりかた。音の伸ばし方たが器楽的で香美さんと同じリズムで歌うのはそんなにたやすくない。というか素人には不可能に近いかも、、、。

ストロボで検索すると徳永英明さんが広瀬香美さんとデュオでこの歌を歌っている動画がある。徳永さんには本当に申し訳ないけれどこの動画で彼は単に香美さんの引き立て役になっているようにも思える。

リズムを徳永さんは原曲と変えて歌っているのだけれど、その変え方が効果を生むと言うより単にどんくさい感じをかもしだしているだけのように思える。音も音痴であるわけではないけれどツボの音をはずして歌っているのでなんともスパイスのないカレーあるいは気の抜けたコーラのようになってしまっている。

僕が気づくことに香美さんが気づかないはずはなく、なんだかこの動画では香美さんは徳永さんのことをちょっと小馬鹿にして歌っているようにも見える。本当に徳永さんには申し訳ない書き方だけれど、、、。

そういうちょっと人を小馬鹿にしたような感じと言うか、人のことを無視して自分だけ突っ走ると言うかそういう面が動画になんとなく出てしまうところも香美さんの特徴なのかもれない。

彼女の最大のヒットソング、ロマンスの神様の歌詞の一節に「性格良ければいい、そんなのうそだと思いませんか?」という下りがあるけれど、本当にその歌詞を地で行く香美さんの雰囲気だなと思う。香美さんが身近な人だったら僕、多分近寄らないと思う。やっぱり性格そんなによさそうと思えないから。でも歌は格別だなと思う。

もちろん徳永さんはこの歌ではキーもリズムもあえて香美さんの土俵で歌っておられるので、この動画をもって徳永さんのことを決めつけてはいけないと思う。

大寒

2020年01月20日 | 日記
暦の上では今日は冬至。一年で一番寒い頃だけれど今日はあたたかい一日だった。昨年はブルゾンの下にセーターを着ていた気がするけれど今年は今までのところ外に出るときはカッターシャツの上に直接ブルゾンを着るという状態になっている。温かい冬であると感じる。このままセーターを着ることなくこの冬は終わるのか、もっと寒くなるのか。寒いのはイヤだけれどあまり温かいのも怖いように感じる。

京都市交響楽団第641回定期演奏会

2020年01月19日 | 日記
昨日は京都コンサートホールに京都市交響楽団第641回定期演奏会を聴きに行った。
指揮はアクセルロッドさん。

最初にベートーヴェン アテネの廃墟から序曲 作品113が演奏された。
指揮者が棒を振り下ろすとコントラバスから濃厚でコクのある音が出てきた。

僕の場合、最初の音を聴いてその演奏に対して持つ印象がかなり固まってしまうことがあるけれど、昨日の演奏はそのパターンだった。弦楽器からは生命力のある音がでていたように思う。オーボエのメロディもきれいになっていた、楽しい楽想が出てくるところも華やかで良かった。

次に演奏されたのが 独創フルート アンドレス ブラウさんで
バーンスタイン ハリル 独創フルートと弦楽オーケストラ 打楽器のためのノクターン

曲の冒頭で指揮者がかなり勢いのあるキューを出した。これはベートーヴェン同様、濃厚な音がでてくるに違いないと身構えたら予想ははずれ、暗い風景の中でタテ看板がパタンと倒れるような音が出た。

いやあ、僕が苦手な現代音楽のパターンかと思った。混沌とした音楽が続くように思った。思わずお尻が痛くなってきて体重を右に移動したり左に移動したり。こんなことではあかん。どこか演奏の魅力的な部分を見つけて、そこを聴かな。と思った。

そう思ってステージ見るとオーケストラのフルート奏者の方が並々ならぬ気合で演奏しておられることに気づいた。よし、オケのフルート奏者に注目して演奏の魅力的な部分を探そうと決心した。

しかし、おしりの痛みは続き体重を椅子がギーギー言わないように注意して右に左に移しているうちに演奏が終わってしまった。終わってみると最も熱心に拍手をしていたのは観客よりもそのフルート奏者の方であるように見えた。

きっといろんな思い入れがあったのだと思う。この奏者の方、独創フルートのアンコールも誰よりも集中して聴いたおられたように思う。こういうのを見てくるものコンサートの楽しみの一つということにしよう。

20分の休憩をはさんで次に演奏されたのが
ショスタコーヴィチ 交響曲第7番 ハ長調 レニングラード

演奏の前に木管奏者の方が何人かステージに出てこられて美味しい部分をおさらいしてくださった。ショスタコーヴィチの場合、曲の規模が大きいので管楽器だけ取り出して音を聴くと、あの部分はこんなふうやったんかと思うことが多い。勉強になった。

第一楽章
中くらい、ないしはほんの少し遅めのテンポで堂々とした曲の開始。
小太鼓が一定のリズムを刻み始める。小気味よいとも言えるし不気味とも言える。なんとも言えないリズム。

ショスタコーヴィチの音楽から出てくる音を形容しようとすると様々な形容詞が心に浮かんで結局どれか決まらないということが僕にはよくあるけれど、小太鼓のリズムがそれだった。なんしかスーッと行く感じでとても耳に心地よかったことは間違いがない。

小太鼓どこでなっとるんやと思ってステージを見てもどこでなっているのかわからない。まさかステージの袖に小太鼓が配置されているわけではなかろうにと思って探したけれど僕の席からは死角になっているらしくとうとう演奏が終わるまで小太鼓がどこで鳴っているのかはっきりとわからずじまいだった。僕が近眼のせいもあると思うけれど、、、。

その小太鼓のリズムに乗ってフルートが印象深い旋律を奏でる。単一の楽器から出ている音なのにこの音の分厚さそして圧倒的な存在感は一体何なのだろうと呆然としてしまう。

この感覚は録音を聴いてもまずわからない。生演奏と録音の印象の違いがかなり著しいのもショスタコーヴィチの音楽の大きな特色の一つだと思う。それは壮大にオーケストラがなるときだけでなく単一の楽器から音が出るときもそうである。

ずーっと同じパターンの楽想が展開なしにクレッシェンドしていって演奏は壮大に、そして破壊的になってくる。とても人間業とは思えないような音楽。つくづくすごいなと思った。

第二楽章
第二バイオリンから音が出てきた。そうかここは第二かと思った。木管楽器が他の音楽ではあまりないような悲痛ななり方をする場面もあり印象的だった。

第三楽章
楽章の途中でフルートが大陸の大平原を覆う夕暮れの空の下で大きな回想にふけるかのような印象的なメロディを奏でた。音楽が一周してビオラにこの旋律が戻ってきたとき胸がいっぱいになって泣きそうになった。

第四楽章
壮大に音楽が終わった。楽曲解説には音楽が輝かしく閉じるとかいてあるけれど、輝かしくもあり、それでいてどこか破壊的でもあるところがショスタコーヴィチだと思った。

第三楽章からオルガンに向かって左側の高いところに金管楽器が並んだ。壮麗な演出とも思ったけれど、僕の場合こういう演出だと目が上に下にキョロキョロ動いて気が散るという側面もあったように思う。しかし、アクセルロッドさん、ヒューマンな魅力でオーケストラを魅了するタイプのように思える。本当にオーケストラが指揮者のもとよく鳴っていて主席客演指揮者になられるのが楽しみだなと思った。今後に期待したい。