ケンのブログ

日々の雑感や日記

高木守道さんなくなる

2020年01月17日 | 日記
高木守道さんがなくなったとニュースに出ている。巨人のV10を阻止して中日が優勝したとき岐阜の柳ケ瀬辺りの料理屋の入り口に酒樽が出ていて、今日は日本酒無料ですと書いてあった。岐阜の町でお正月でもないのにそんな風景を見たのは初めてだったし、僕にはそれがとても幻想的に見えた。

当時僕は小学校6年だったけれどあのときのことは覚えている。一番高木が塁に出て、二番谷木の送りバント、三番井上タイムリー、四番マーチンホームラン、いいぞ頑張れドラゴンズ燃えよドラゴンズ。当時覚えた歌は今でもここまでなら空で言える。当時被っていたドラゴンズの帽子に鳩の糞が落ちてきて台無しになってしまったことも。王さんと同じ年に引退というのも記憶に残っている。諸行無常で寂しいなと思う。

大茶盛り

2020年01月16日 | 日記
一昨日はM神宮の初釜へ。受け付けにはじめてお目にかかる先生とS先生がいらした。はじめお目にかかる先生が僕に新年度の会員証をくださり「ここに名前を書いて」とおっしゃった。「ちょっと僕、手が震えるんですよ」と言って僕はすこしためらった。するとS先生が「私が書こうか」とおっしゃった。僕はありがたき幸せと「お願いします」と言った。

先生はサインペンをとって所定の位置に名前を書き始めた。さすが達筆と僕は思った。「したの名前はなんやったっけ」と先生が言った。「上杉謙信の謙です」と僕は言った。「そう。漢字一文字の名前なんやね」とS先生は言った。「そうです」と僕は言った。「次回は私が当番やからね」とS先生は言った。「はい」と僕は言った。

最初は大茶盛り。相撲取りが優勝したときにお酒を飲む杯のようにおおきなお茶碗をみんなで回してお茶をいただいた。「最後まで飲まな」と傍らにいらした方が言った。「いいえ、バランスを崩す前にやめておきます」と僕は言った。本当に最後まで飲もうと茶碗に角度をつけすぎてバランスを崩しては大変と僕は思った。残したのは申し訳なかったけれど。

それから待ち会いに行くと呉服屋さんと茶道具屋さんがいた。あけましておめでとうございます。と呉服屋さんにちょっと話しかけようとすると何となく呉服屋さんはいつものまったりした雰囲気とは違う。要するに今日はより多くの人と新年のあいさつを交わしたいやなと思った。「なんしか、今年もよろしくお願いします」と僕がいうと、「なんしか」と呉服屋さんはすこし笑って言った。

しばらくすると雰囲気が落ち着いてきて呉服屋さんは僕に話しかけてこられた。「今日は次、お濃茶ですよ」と呉服屋さんがすこし神妙な顔で二三回言ったので、要するにお濃茶は回しのみだから粗相がないように気を付けてという意味と思った。

茶室に入ると主客の方が「お濃茶はいいですけど、みんなよごしてしまうから」と言った。要するに粗相がないようにと言うことなんだと僕は呉服屋さんの神妙な顔を思い出した。

主菓子が僕の右隣の女性のところでなくなってしまった。まあないならないでいいやと僕は思ってそのまま黙っていた。お菓子がなくてもお茶は飲めると。しばらくすると他の女性が僕と僕の左隣の女性に主菓子が回っていないことに気づいた。

「お菓子が回ってない」とその女性は言った。それである方が主菓子の入っていた菓子器の蓋をとると菓子器のへりの内側に主菓子が二つ残っていた。僕の分と僕の左隣の方の分。僕のところからは菓子器のへりで死角になっていたけれど右隣の女性がしっかりなかを見ていれば取り残しはなかったはずという状況だった。

右隣の女性はしまったというような表情をしておられた。もし僕が女だったらお菓子が自分に回ってこない時点でなんか言っただろうけれど、僕というかもっと一般的に男はそういう気遣いに心が回らないことが多い。右隣の女性には申し訳ないことをしたと思った。

僕は粗相がないようにともうお濃茶はほんのすこし口をつける程度で、念入りに茶碗をふいて左隣の女性に回した。しかし、お濃茶は気持ち口をつける程度でもとてもおいしい。

右隣の女性は菓子器の蓋を見ているうちに今度は蓋をひっくり返してしたに落としてしまった。本当に失敗に失敗が重なるときがあるもんだなと思う。たぶん主菓子のことでしまったと思っているうちにぼんやりして手元がお留守になってしまったような気がする。

いろんなことがあるもんだなと思う。僕もまったくお茶の作法を知らないのでお茶会にいくことそのものが恥をかきにいっているようなものだ。お互いにうまくいったことそしてそうでなかったことが時とともにいい思い出になればいいなと思う。今年もよい年でありますように。


成人の日 振り袖の着物姿

2020年01月13日 | 日記
自宅近所のM神宮に参拝に行く。しめ飾りを松の内だけにしようかもっと長い間出しておこうか迷ったけれど結局、今日M神宮に持っていって御札を収めるところに収めた。つまり今日出かけるまでしめ飾りを出していた。

神宮の鳥居をくぐって参道を歩くと楓の木はすっかり枯れ木だった。「山も野原も綿帽子かぶり 枯れ木残らず花が咲く」という唱歌 雪の一節を思い浮かべる。いい歌詞だなと思う。雪から山や野原の綿帽子や枯れ木に花を連想する心って今はだんだんなくなりつつあるなと思う。でも、忘れてはいけない心だと思う。

綿帽子かぶりが字余りだけれど全部七五調になっている。僕が子供の頃聴いていたレコードでは、わたぼうしは、わたぼし、と歌っていで結局字余りではなかった。

参道を僕の方に向かって歩いてきた70代くらいの二人の女性のひとりが「ほんでも私まだ歩けるだけましやわ」と言った。何事もいい面に目を向けるのはいいことだと思う。

若い女性が参拝しているのを見て、そうか今日は成人の日かと思う。ならばと隣の街にちょっと行った。私鉄の駅を降りてN神社へ。途中何人か振り袖姿の成人を迎えた女性と袴姿の男性を見る。袴姿の男性はなぜかいかつい人が多い。

N神社は恵比寿の縁日も終わり成人の日でもそこそこ閑散としている。ちょっとあてがはずれたかなと思う。恵比寿のお堂の前に「やむを得ず境内を通り抜けるときは神前に一礼」と張り紙をした看板が出ている。うまいこと書くなと思った。通り抜け禁止より人の反感を買いにくい。

恵比寿の縁日には気づかなかったけれど、お堂のしめ縄が新しくて凛としている。年とともに新しいものにとりかえていく神道の風習は本当にいいなと思う。時とともに過ぎ去ったことは水に流して、また、新たに、というイメージがある。大切な考え方だなと思う。

街の中心部に戻ってくるとやはり振り袖姿の新成人の方をちらほら見かける。アーケード街でも振り袖姿の新成人の方が歩いていた。その傍らから「きれいやわ。自分の孫が成人するまで私生きとるかなあ」という女性の声が聞こえてきた。アーケード街の街の声まで高齢社会を反映している。しかし、孫の振り袖姿を見ることを希望に抱いて生きることもまた素敵だなと思う。

振り袖姿の女性を見て僕は中学生の頃、夢中になって聴いた陽水ライブもどり道というLPのことを思い出した。このライブアルバムの語りの部分で陽水さんはギターのコードを爪弾きながらこんなふうに語る。「今は季節柄、入学、卒業のシーズンなんでしょうが、新宿駅を歩いてますと、つまり、お正月でも成人の日でもないのに着物姿の女性の二人連れ。なんか胸にこみあげてくるものがあるんですよね。ああ言うの見てると」。

脈絡のない陽水さんの話だけれとこれがとても心に残っている。成人の日の着物は一生に一度だけだし、それに着物はやはり、涙が出るほど美しいなと思う。

歳とともに思いも変わって

2020年01月11日 | 日記
昨晩遅くちょっと外に出たら夜空の天空のど真ん中に満月が出ていた。天空のど真ん中の満月を見たのって本当に何年ぶりかのような気がする。10日の恵比寿で巫女さんにお授けをしていただいた晩のできごと。縁起がいいのだろうか。ついそんなことも思いたくなってしまったりする。

あるきっかけでハウツー本に目を通す。いろんな文章の修辞法を並べて作者のアイディアでちょっと面白おかしく説明した本。こうすれば伝わるというメソッドがいろいろ並んでいる。

「ねえホテル行かない」と言って彼女を誘うより「ネットですごく評判になっているホテルを頑張って予約したんだけれど行ってみない。内装がすごくかわいいんだって」と言ったほうがつきあってくれる可能性が高いと言うようなことがたとえ話で出ている。

きっと統計をとればそうなるような気がする。どんなふうに統計をとるのかわからんけど、、、。なんとなく感覚的にも「ホテル行かない」だけよりさらに付加価値をつけて話したほうがいいようにも思える。

こういう本を出している人ってこの方法でいくら稼いだとか圧倒的な実績を前面にしてに売っていることが多い。昔は、こういう本を読むと成功した人はいいな、それを元手にさらに稼ぐことができる。結局成功しないと何も始まらないとおもったりしていた。そして、成功した人はやっぱりいいなと。

そういう意味での成功ということをあまり考えなくなってからはやっぱりいいなという気持ちも薄れてきた。時とともに自分がうらやましいと思う対象も変わっていくなと思う。うらやましいという気持ちがだんだん少なくなればそれはきっといいことなのだと思うけれど、、、。

巫女さんのお授け

2020年01月10日 | 日記
隣の街のM神社に行く。今日は10日の恵比寿でこの神社の縁日になっている。いつかここに初詣に行った時、本殿の前から近所の中学校まで人がとぐろを巻いていたことがあったけれど今日は賑わっていると行っても神社の境内の中だけのことで僕にとってはそれほどのものではなかった。

恵比寿を祀る社は二三年前に新しくなり気持ちがいい。そのそばで多分今年の福娘として選ばれた方だと思うのだけれど若い巫女さんが鈴でお授けをしていた。せっかくきたのだから僕もお授けをお願いした。

巫女さんの前で手を合わせて頭をたれていると巫女さんは僕の頭のすぐ上で鈴をならしてお授けをしてくださった。耳のそばでなる鈴の音はとても心地よく心が洗われるような気がする。

やはり伝統的に用いられる音というのは単に形式のものではなく心に訴えるものがあるのだなと思う。それで調べると神社本庁のサイトに鈴は祓い清めの意味、神霊の発動を願う意味があるというようなことが書かれていた。神霊の発動ということはともかくとしてあの音色の気持ちよさは祓い清めの意味はやはりあるなと感じた。やはり気持ちのいいものだと感じる。

ちなみに僕が岐阜でお世話に鳴った八王源先生は柏手を鳴らすとなるようになると教えてくださった。鈴を鳴らすのにもきっと同じ意味があるのだと思う。