ケンのブログ

日々の雑感や日記

成人の日 振り袖の着物姿

2020年01月13日 | 日記
自宅近所のM神宮に参拝に行く。しめ飾りを松の内だけにしようかもっと長い間出しておこうか迷ったけれど結局、今日M神宮に持っていって御札を収めるところに収めた。つまり今日出かけるまでしめ飾りを出していた。

神宮の鳥居をくぐって参道を歩くと楓の木はすっかり枯れ木だった。「山も野原も綿帽子かぶり 枯れ木残らず花が咲く」という唱歌 雪の一節を思い浮かべる。いい歌詞だなと思う。雪から山や野原の綿帽子や枯れ木に花を連想する心って今はだんだんなくなりつつあるなと思う。でも、忘れてはいけない心だと思う。

綿帽子かぶりが字余りだけれど全部七五調になっている。僕が子供の頃聴いていたレコードでは、わたぼうしは、わたぼし、と歌っていで結局字余りではなかった。

参道を僕の方に向かって歩いてきた70代くらいの二人の女性のひとりが「ほんでも私まだ歩けるだけましやわ」と言った。何事もいい面に目を向けるのはいいことだと思う。

若い女性が参拝しているのを見て、そうか今日は成人の日かと思う。ならばと隣の街にちょっと行った。私鉄の駅を降りてN神社へ。途中何人か振り袖姿の成人を迎えた女性と袴姿の男性を見る。袴姿の男性はなぜかいかつい人が多い。

N神社は恵比寿の縁日も終わり成人の日でもそこそこ閑散としている。ちょっとあてがはずれたかなと思う。恵比寿のお堂の前に「やむを得ず境内を通り抜けるときは神前に一礼」と張り紙をした看板が出ている。うまいこと書くなと思った。通り抜け禁止より人の反感を買いにくい。

恵比寿の縁日には気づかなかったけれど、お堂のしめ縄が新しくて凛としている。年とともに新しいものにとりかえていく神道の風習は本当にいいなと思う。時とともに過ぎ去ったことは水に流して、また、新たに、というイメージがある。大切な考え方だなと思う。

街の中心部に戻ってくるとやはり振り袖姿の新成人の方をちらほら見かける。アーケード街でも振り袖姿の新成人の方が歩いていた。その傍らから「きれいやわ。自分の孫が成人するまで私生きとるかなあ」という女性の声が聞こえてきた。アーケード街の街の声まで高齢社会を反映している。しかし、孫の振り袖姿を見ることを希望に抱いて生きることもまた素敵だなと思う。

振り袖姿の女性を見て僕は中学生の頃、夢中になって聴いた陽水ライブもどり道というLPのことを思い出した。このライブアルバムの語りの部分で陽水さんはギターのコードを爪弾きながらこんなふうに語る。「今は季節柄、入学、卒業のシーズンなんでしょうが、新宿駅を歩いてますと、つまり、お正月でも成人の日でもないのに着物姿の女性の二人連れ。なんか胸にこみあげてくるものがあるんですよね。ああ言うの見てると」。

脈絡のない陽水さんの話だけれとこれがとても心に残っている。成人の日の着物は一生に一度だけだし、それに着物はやはり、涙が出るほど美しいなと思う。