スタンバイOK
あと何日で咲くかしら、サクラソウの花
19日の新聞各紙に、
城山三郎 亡き妻へ愛の文
と言う見出しが出ていました。
今年3月に79歳で亡くなった城山三郎さん。
先立たれた奥様の面影を綴った遺稿が見つかったそうです。
一月号の「小説新潮」に掲載されます。
その翌日の読売新聞の「編集手帳」に、こんな風に取り上げられていました。
「葉隠」は無骨な書物のようでいて、時折、思いがけない文章に出会う。
「聞書第二」の条に、「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」とある。
無情の恋とは、胸に秘めた片思いのことだと。
青春期は片思いの季節といわれるが、老いのなかで再び、その季節を知る人もいる。
伴侶に先立たれた人が天上に寄せる思慕の情もまた、呼んで届かぬ「恋の至極」に違いない。
今年3月、79歳で死去した作家、城山三郎さんの遺稿が見つかった。
46年間を連れ添い、7年前に68歳で亡くなった妻、容子さんの面影がつづられている。
「そうか、もう君はいないのか」。
題名が心にあいた深い空洞を伝えている。
「天から妖精が落ちて来た」と胸をときめかせた出会いを語り、がんと分かって、「大丈夫。おれがついている」と抱きしめた悲しみを語る。
「50億の中で ただ一人『おい』と呼べるおまえ・・・」にあてたラブレターでもあろう。
浜口雄幸、広田弘毅、石田礼助・・・・男の人生を原稿用紙に彫り刻んできた城山さんは、菊池寛や吉川英治、松本清張などのいわゆる”男子専科”の系譜に連なる作家とみなされてきた。
「女を書けない」と評されることもあった。
書けなかったのではあるまい。
無上の恋を、「恋の至極」を書く対象は城山さんにとって、この世にたった一人しかいなかったのだろう。
城山三郎作品、私にはどうも難しそうっていうイメージがありました。
読んだのは「素直な戦士たち」。
でも、この遺稿は読みたいと思います。
明日、本屋さん、覗いてみることにします。
来月25日に新潮社から単行本化もされるようです。
今日の私の小さな幸せ
あったかなクリスマスイブでした。