硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

介護職員のつぶやき。

2013-10-15 20:19:07 | 日記
介護職に就いてからかれこれ15年。この時間が長いのか短いのかは判断しかねるが、15年も経てば、様々な経験を通り越してちょっとの事では動じなくなってくるはずであるけれど、未だになれない事もある。
どんな事があっても、あいだみつを氏の如く「人間だもの」と、言い聞かせてみるが、我も同じ人間である。感情がある以上、不快な気持になる事がある。今日はそんな日常に感じた事を少しばかり呟いておこうと思います。

たとえば、暴言。これは堪えます。聞流し笑って済ませるように心がけていますが、気持ちが凹んでしまいます。特に認知症の人は判断ができないので、こちらがよかれと思って手を差し伸べていても、怒り、拒否し、暴言を言います。家族さんがこれにまいってしまって精神的に追い詰められてゆく気持ちはよくわかります。だから、こんな時、どうすればお互いが幸せでいられるのかよく考えるのですが、未だに答えが見つかっていません。
家族は施設に頼ることで距離を置き、その事によって気持ちに余裕ができ、自身の気持ちが穏やかである時に面会に来て心を通わせる事が出来ている様子を見ていると、社会資源の有意義さを再確認できるけれども、それを生業としてしまった者はその距離をどう保つか、どう作ってゆくかが、難しいよう思います。

これは僕の思い込みの産物かもしれませんが、事実を受け入れ、辛いと感じた事をいつまでも留めずに上手く受け流してゆく事が、自身を護り、仕事として継続して行けているのかなと思ったりしています。しかし、このように理論的に体系化するまで、ずいぶん時間をかけた割に不完全で未だに揺らいでいます。でも、それが人間というものではないでしょうか。もし、迷いがない人がいたとするならば、本当に聖人のような慈悲深い人格者であるか、対象が社会的弱者であるから、安心して無意識に高圧的な立場に立っている人かのどちらかであるのではないかと思う所もあります。

嗚呼、いけません。話を戻しますね。

認知症の人の場合、上記のように認知は出来なくとも何らかの形で感情表現するのですが、その感情をすぐに忘れてしまうという事を頭の中に入れておくことで、感情がぶつかることを回避できるケースも多い。それで、上手く回避できた手ごたえをつかんだのなら、その時、その瞬間の感情に合わせて、多少面倒くさくても、目の前の出来事を受け入れ、積み重ねてゆくなかで、かすかな信頼を回復、もしくは再構築してゆくことが、残りわずかな未来への存在する事の支えとなっているのかもしれません。

また、家族さんに認知症を説明する際、僕は「先祖がえり」と、よく表現します。赤ちゃんのような行動に戻ってゆき、やがて無になると。しかし、自身が過ごして来た時間の中で自身の親が赤ん坊のようになってゆくことはとても受け入れがたい事。でも、今までアップロードし続けていた頭脳を初期化しメモリーを限りなく0にしてしまう事が認知症であるのだから、自分の力で生きてゆく事が出来なくなるのも必然なのですね。でも、赤ん坊とは違い、頭脳が赤ちゃんでも四肢はそのままというケースも少なくないので、社会的な援助が必要とされたのだと思います。もちろん、それは社会的に求められた経緯の一つの要因でしかありませんが、必要とされたのだから施行され、現在に至るのだろうと思うのです。

このように述べていると、本当に他人事のように思いますが、実は誰もが地続きな事で、そろそろ自身が「その援助される側に移行」した時、何処に居たいかを考えなくてはならない所に差し掛かっているように思います。これからますます高齢化してゆく中で、自身がどうあり続けたいのか考えておくことが、上記のようなリスクを回避できる一つの術かなと思います。フェミニストである上野千鶴子氏は「おひとりさま」を提唱されていますが、誰もが上野氏のように強くは生きられない。誰に傍にいてほしいかとか誰から愛されていたいとか想う人も多いはず。それならば、現在、誰を大切にし、誰を愛しているかがそこに繋がってゆく気がしてなりません。

覚悟を決めれば一人で死ぬことも恐くありませんし、死が終わりでないと思えば死を迎える事さえも楽しみの一つとなる。また、行き当たりばったりの人生でも、方法によっては上手く切り抜けられるかもしれません。ようは、気持ちの持ちようでどうにでもなるということも割と肯定的に捉える方ですが、それでも人にやさしくしていれば、いずれ人にやさしくされるのではないかという気がするのです。もちろん綺麗事だけでは済まされない事の方が多いから、社会問題となっているわけですが・・・。

皆さんはどう思われますか?

深夜のお供。

2013-10-15 05:13:04 | 日記
ふと夜中に目が覚めるときがある。どうしても寝付けない時は、音楽やラジオを聞く。
特に「ラジオ深夜便」という番組は、20代の頃、僕をジャズの世界に誘ってくれた思い出深い番組である。したがって、流れてくる曲は現在のヒットチャートではなく、ヒットチャートに熱狂する世代が「知らないなぁ」という曲が多い。しかし、最近になって僕自身が一緒に口ずさめる曲が増えてきたように思う。
そんな時「久しぶりに聞くなぁ、この曲。」と、当時の事を思い出しながら聞いていたりするのだけれど、カラオケでよく歌っていた曲がこの時間枠で流れた時、ふと我に帰った。

洋楽に関しても、ソウルやブルースが掛ると、小さい頃、テレビから流れてきた音楽である事に気がつく。この事象は、懐かしのメロディーというものが確実に戦後から高度成長期へと移行していることを意味している。

歌は世につれ世は歌につれと誰かが言っていたけれど、その言葉がどういう意味だったのか最近になってようやく分かってきた気がします。

そして、後10年も経てば深夜枠の懐かしのメロディーは「ザ・ベストテン」を観て、音楽に慣れ親しんだ時代の人達がメインになってくるけれども、それは、時代は留まらず、常に未来に向かって流れているのだという事を音楽を通して体感させてくれる役割がラジオという媒体なのかもしれないとも思ったのです。