硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

老婆心ながら・・・。

2013-10-22 10:49:03 | 日記
つい先日、朝ご飯を食べながらテレビを見ていた時、元akbの板野さんが中森明菜さんの「少女A」をカバーするというので注目していたら、出だしが分からずに3回も歌い直してみえた。わずかな時間の情報なので、その前後は良く分からないけれど、歌い直したことと、以前にも同じような事があったという事は間違いないようです。

そして、現akbの指原さんが、これも番組で「ダンスの練習はしなくていい。」というような事を言われていた。その理由は彼女なりの考えがあってのコメントであるけれども、この若いお二人に共通していることは、「出来ない事が私達売りでありメリット」であるという事のように思ったのです。

確かに、出来ない子を応援してあげたいという気持ちは分からないでもないけれど、それが対価に代わる手段であるという認識を本人達が持ってしまうのはとても危険なような気がします。
メディアが注目し、何かしら動きがあれば拾ってくれる状況は限定された時間内であることを当人も十分承知していることかもしれませんが、でも、僕が思う危険というのは別の所にあります。

練習をしてその成果を最大限に引き出し、観てもらっている人達に喜んでもらうことが双方にとって有益な事であるんだと思う所まで高めないと、そこを目指している人達の環境は悪くなるばかりではないかと思う。もちろん狭き門を潜り、高いハードルを越えないとエントリーできない所もあるけれど、「出来なさとかわいらしさ」だけに頼ってしまうと、それを担保に売れる、売れないは別として単に「モノ」として搾取されてしまうのではないかと危惧するのです。

また、出来ない事が狭い世界であれ認められてしまうと、それが「いいことなんだ」と、勘違いする子供たちも出てくるのではないでしょうか。そして、そのまま社会に出てくると、上手く立ちまわれる子は、多少のトラブルは付きまとうが見事なまでにそのままで駆け抜けてゆく事も出来るけれど、上手く立ちまわれない子は、はじき出されてしまう。

そして非情な事に現実では後者の人が多いように思います。

だから、せっかく自身の夢をかなえて世間から注目され、誰かに影響を与えているんだと自覚するなら、きちんとパフォーマンスしたほうが、本人にも、後に続く人にも、憧れる少女たちにも、いい影響を及ぼすのではないかなとおじさんは思うのです。