認知症が進行して一人暮らしが困難になり入所してきた御婆ちゃんが、お正月である事を知ると、「(家族は)どうして、会いに来ないのか、なにをしているのか。」と、事あるごとに口に出し不穏になっていた。
家に帰りたくても帰れない、家族に会いたくても会いに来てくれない・・・。介護職に就いてから、修復が困難になった家族を見るたびに、これは因果なのだから仕方のない事だと思って思考を停止させた。しかし、いつも思考は誰かの犠牲の上に幸福を感じて良いのであろうかという問いを未消化のまま先送りするだけで、盆や正月が来るたび再燃する。だからといってどうする事も出来ないし、改めて綺麗事だけでは片づけられないのが世の常だと身にしみる。
他者を受容する寛容な優しさや思いやりが全ての人々に備わっているなら、怒りや憎しみや嫉みという感情は地上から消え去っているだろう。しかし、今なお内在し持て余す感情を私達はどうする事も出来ない。ただただ、奥歯を噛みしめ、湧きおこりそうな感情を飲み込むしかないのだと自分に言い聞かせ、何事もすぐに忘れてしまう御婆ちゃんに「明日は来ると思うよ。」と、ウソをついて取り留めのない話を傾聴して不安を和らげる事しかできないのであった。
家に帰りたくても帰れない、家族に会いたくても会いに来てくれない・・・。介護職に就いてから、修復が困難になった家族を見るたびに、これは因果なのだから仕方のない事だと思って思考を停止させた。しかし、いつも思考は誰かの犠牲の上に幸福を感じて良いのであろうかという問いを未消化のまま先送りするだけで、盆や正月が来るたび再燃する。だからといってどうする事も出来ないし、改めて綺麗事だけでは片づけられないのが世の常だと身にしみる。
他者を受容する寛容な優しさや思いやりが全ての人々に備わっているなら、怒りや憎しみや嫉みという感情は地上から消え去っているだろう。しかし、今なお内在し持て余す感情を私達はどうする事も出来ない。ただただ、奥歯を噛みしめ、湧きおこりそうな感情を飲み込むしかないのだと自分に言い聞かせ、何事もすぐに忘れてしまう御婆ちゃんに「明日は来ると思うよ。」と、ウソをついて取り留めのない話を傾聴して不安を和らげる事しかできないのであった。