散歩していてふと思った。人は脳が劣化してゆくことに対してどうして考えてこなかったのだろうかと。今でこそ認知症とかアルツハイマー病という表現でその状態を表し、その原因や行動を改善してゆこうという動きがあるけれど、人類が地上に現れてから幾千年。もし、誰かがその問題について考えていたなら、その恩恵を受け取りさらに飛躍させることができていたはずなのに、医療的な事は時代が合わないとできないけれど、言動の傾向を読むことはまだ始まったばかりである。
科学や哲学は進歩し続けてきたのに、人そのものが以前のままでいられなくなる事をどうして考えなかったのでしょう。
昔は、循環器が脳の劣化よりも早く機能不全になる事のほうが多かったからだとは思うけれど、それでも、稀に長生きし認知症を患った人もいたのではないかと思う。
もしかすると、少数派であったが故に、考える対象にならなかったのか、もしくは、それは仕方のないことだと皆が受け入れていたことだったからかもしれない。
そう考えると、現在は少数派と多数派が逆転したことによって考えなければならない事案になったのだろうと思う。
だとすれば、「受け入れる」事より、「回避」する事を求められた理由は何であろうかという問題に突き当たってしまい、ため息をついた。
そこで、視点を変え、人が長寿を手に入れらるようになったのは、医学が進んだことと食物が十分取れていることと、大きな戦争が起こらない事が理由としてあげられるけれど、人そのものに、進歩、もしくは進化する性質が含まれているなら、長い年月をかけ、脳も進化するのではと考えた。
突然変異と自然淘汰から新たな脳が生まれる可能性があるかもしれない。しかし、疑問が残った。それは進化し続けた結果が現代人であるならという前提が必要となるからだ。
どうして人類が生まれたのかが明確に解明されていない以上、脳が独自の進化を遂げるという仮説も危ういものでしかない。
もし、仮に創造主が人類を創造したとしたならば、創造主によってアップロードされなければ、これ以上の進化は得られないということでもあるから、人の力で脳の寿命も延ばす事ができたとしても、個人やチームといった人の働きではなく、正確な創造主の業なのかもしれない。
と、考えているうちに散歩が終わってしまった。なんだか、かえって疲れてしまったな。(笑)
科学や哲学は進歩し続けてきたのに、人そのものが以前のままでいられなくなる事をどうして考えなかったのでしょう。
昔は、循環器が脳の劣化よりも早く機能不全になる事のほうが多かったからだとは思うけれど、それでも、稀に長生きし認知症を患った人もいたのではないかと思う。
もしかすると、少数派であったが故に、考える対象にならなかったのか、もしくは、それは仕方のないことだと皆が受け入れていたことだったからかもしれない。
そう考えると、現在は少数派と多数派が逆転したことによって考えなければならない事案になったのだろうと思う。
だとすれば、「受け入れる」事より、「回避」する事を求められた理由は何であろうかという問題に突き当たってしまい、ため息をついた。
そこで、視点を変え、人が長寿を手に入れらるようになったのは、医学が進んだことと食物が十分取れていることと、大きな戦争が起こらない事が理由としてあげられるけれど、人そのものに、進歩、もしくは進化する性質が含まれているなら、長い年月をかけ、脳も進化するのではと考えた。
突然変異と自然淘汰から新たな脳が生まれる可能性があるかもしれない。しかし、疑問が残った。それは進化し続けた結果が現代人であるならという前提が必要となるからだ。
どうして人類が生まれたのかが明確に解明されていない以上、脳が独自の進化を遂げるという仮説も危ういものでしかない。
もし、仮に創造主が人類を創造したとしたならば、創造主によってアップロードされなければ、これ以上の進化は得られないということでもあるから、人の力で脳の寿命も延ばす事ができたとしても、個人やチームといった人の働きではなく、正確な創造主の業なのかもしれない。
と、考えているうちに散歩が終わってしまった。なんだか、かえって疲れてしまったな。(笑)