硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

短編「待ち受け画面の人」

2015-05-04 20:30:11 | 日記
 三年間過ごしたこの校舎とももうすぐお別れになる。私は大学へ進むことになって安心していたが、彼は4月から徴兵の為どこかの部隊へ配属になる。これは法律だからどんなに嫌でも避けられない事だけれど、今のところは海外の情勢も安定期に入っているから危険な職務に就かなくてもいい環境であり女子も志願すれば入隊できるからこの高校からも女子が何人か入隊するのだと誰かから聞いていた。それは私達のごく普通の人生の一部だから誰も不安に思わないのだけれど、私はお墓参りで出会ったお婆ちゃんの話を聞いてから、お婆ちゃんが若い時にはこんな不安を感じなくてもよかった時代があったことがとてもうらやましかった。そして、どうしてこうなってしまったのか図書室でいろいろ本を読んでみたけれど、これだっていう答えには出会わなかった。
 卒業も迫ったある日の事、その日も図書室で本を読んでいると世界史の先生が入ってきた。目があった私は頭を下げて「こんにちは。」というと、先生も「こんにちは。」とあいさつをした後「半ドンなのに図書館で読書ですか。もしかして、いい本に出逢いましたか。」と、訪ねてきた。私はどう答えていいかわからず「いえ。ただ、途中で読むのを止めていた本があったので、早く帰っても暇だからなんとなく。」というと、先生は微笑んで「そうでしたか。これはお邪魔しました。」と言って頭を下げられた。その時私は先生に答えの出ない答えを聞いてみようと思い思い切って、
「先生。分からないことがあるので少し尋ねてもいいですか? 」
と、言うと先生は、「おや。なんでしょう。僕に答えられることならよいのですが。」と言って私の向かい側の椅子の背もたれを引いて腰を掛けた。図書館には勉強している生徒が何人かいたが、もう卒業するのだから臆することもないと思い先生に尋ねた。
「先生。これは変なことかもしれないんですけど、男子はどうして18歳になったら入隊しなくてはいけないんですか? 母の実家に帰郷した時、あるお婆ちゃんに聞いた話なんですが、徴兵制度がなかった時代があったっていっていて、その制度ができたおかげでお婆ちゃんの彼は亡くなったっていうんです。どうして、こうなってしまったのか知りたいのですがどんな本を読んでもすっきりした答えが得られないんです。先生はこの事をどうおもっていらっしゃいますか。」
すると、先生は難しい顔をして「・・・そうですね。どう答えればいいのでしょう。」といってしばらく考え込んでいた。これは先生でも難しいことを聞いてしまったのかなと思い焦っていたら先生は「では、これは総体的な意見ではなく、私個人の答えとして受け取って頂くという条件で答えてみますね。」と言って、話を始めた。「言葉を乱用すると本質を見失うので簡潔にまとめるとですね、それは、その時代が必要としたからです。」と、言った。私は驚いて「えっ、それだけですか?」と思わず言うと、先生は頭をかきながら「そうですね。余りにも簡潔すぎましたね。」と言って照れ笑いをした。そして、「でもですね、そう表現するしかないのかなと思ったんです。ああいう法律が成り立った経緯を紐解いてゆくのは、その場にいたものですら難しいと思います。国家の栄枯盛衰はいつだってそういうものなのです。ですが、私たちの国は辛うじて民主主義国家の体をなしているのですから、徴兵制度を否決するチャンスは何度かあったはずなのです。例えば選挙ですね。」
「選挙? ですか? 」
「ええ選挙です。」
「それはなぜなんですか。」
「まだ議員を選ぶ権利が私達にあるからです。あの頃の若者がもう少し政治に関心を持ち、どうすれば私たちの生活を危ういものにする法案を立案する人たちと均衡を保てるか考えて票を投じれば回避できた可能性があったはずだからです。」
それは、思いのほか簡単でどの本より分かりやすい回答だった。私は大きくうなずくと先生は「わかっていただけましたか? それはよかった。」と言って胸をなでおろし「来年からあなたにも選挙権が発生しますでしょう。その権利は必ず行使しなさい。そして、法案というものは時代に召喚されるものですから、徴兵制に疑問を感じているなら徴兵制廃止を謳いあげた議員さんが登場したら投票しなさい。それが、あなたが国民であることの権利なのですから。」と言って席を立つと「あなたの下に幸多からんことを。」と呟かれたのが聞こえた。
 玄関に行くと扉がガタガタ音を立て冷たい北風が入り込んでいた。時頼グラウンドの土が舞い上がるのでその度にサッカー部の男子がプレイを中断しているのが見えた。私は靴箱から靴を取り出し上履きを入れていると、後ろの方から「よぉ、今帰り? 」と彼が声をかけてきた。
「うん。今帰りだよ。一緒に帰ろうよ。」というと、照れくさそうに「しょうがないなぁ」と言って彼も靴場から靴を出した。そして、彼が靴をはきかえようとしたとき、私は何故かお婆ちゃんの携帯電話の待ち受け画面の人を思い出した。
「そうだ。お願いがあるんだけれどいいかな? 」と少しかしこまってお願いすると、「うわっ、なになに。何事? 」と言って後ずさりした。私は「そんなに怖がらなくていいわよ。お願いっていうのはね、あなたを写真に収めておきたいんだけれど、いいかな? 」と、言うと「なんだ、そんなことか。いいよ。気が済むまで撮ってくれ。」と言ってポーズを始めた。私は少し呆れながら「そんなんじゃなくて、普通のポートレートでいいんだよ。ちょっとじっとしてて。」と言って、ポケットから取り出したブレスレット型の通信端末を腕にはめ、バンドに触れて手のひらを広げて起動させた。そして、手のひらに映写された画面のカメラアプリをタップして、両手の人差し指と親指を広げ目の前で彼をフレームの間に抑えた。「じっとしててよ。もっとズーム。」というと、手の中のフレームは彼をぐんと引き寄せピントを合わせた「はいっ! 」という私の声と共にシャッターが切られ、すぐに写真を確認すると私の左手の手のひらの中でブレザー姿の彼が爽やかに微笑んでいた。