硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

それは、今ではなく過去から語り掛けてくるものかもしれない。

2015-05-21 21:49:34 | 日記
朝の通勤時間の電車に乗った。これが日常であるなら何も思わないのだけれど、この時間帯の電車に乗ることは一年に一回位であるので、駅に着くごとに沢山の人が入れ替わってゆくことにすら驚きを感じる。ある駅でもその光景が繰り広げられていたのですが、扉が閉まるとテキストとにらめっこをしている女子高生が僕の目の前に押されてきた。これは遺憾と思い両手を後ろに組んだ。それでも目の前のテキストを懸命に理解しようとしている可憐な少女に僕は少しの間不覚にも自分の容姿(おっさんであること)を忘れドキドキしてしまった。でもテキストに目線を移すと「方丈記」であることに気付き「方丈記の話がしたい」という欲望に襲われた。
しかし、内容はなんであれ、しらないおっさんが女子高生に話しかけるのは犯罪に近いだろうという罪悪感が僕を抑制し言葉を飲み込むことに成功したが、今度はそのテキストが気になってしまい反対から文字を追いかけた。やはり「方丈記」は面白い。と思うと、この面白さを伝えたいという欲求がムクムクと湧いてきたが、話しかけて嫌われた時のショックを考えるととてもじゃないが話しかけられないと思い、衝動を抑制することに成功した。

でも、「方丈記」を勉強の一部と捉えてしまうと面白さは分からないままである。そこで衝動を抑えてはみたがやはり語っておきたいので、少女に話してあげたかったことを大まかにここに書き残しておきたい。

鴨長明さんは上手く社会になじもうと努力したけれどまく立ち振る舞えることが出来ず引きこもってこの随筆集を書きました。しかし彼の繊細な感性は天災や人災、時代の移り変わりを事細かく描写することに長けていたのです。でも、その時彼は自身の書いたテクストが語り続けられるとは思っていなかったでしょう。では、なぜ語り継がれることになったのかを僕なりに解釈をすると、どんなに世が移り変わっても変わらないものがあるのだということを彼は書き残すことに成功したからだと思ったのです。
今は分からないかもしれない。もしかしたら分からないままかもしれない。でもね。社会に出てその中でいろんなものにもまれ続けていったとき、突然鴨長明さんの「方丈記」があなたに語り掛けててきて、それはテスト勉強では味わえぬ面白さに出会うだろう予言しておきます。

と、語りたかったなぁ。