硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

僕には向いていない。

2015-05-25 21:07:28 | 日記
地元の消防団に退団者が出たので入団してもらえないかと近所の人から頼まれた。しかし仕事の都合があるので出られなくてもいいですかと聞くと、それでもいいよと言われたので消防団に入団。そして昨日、その為の基礎訓練を受ける運びとなったのですが、僕は小学校の頃に団体行動が苦手と思うようになっていたから少し不安だった。その不安というのは、号令と共に行動するという基礎的な事が上手く出来ず、皆と同じよう動けるようになるまで何度も反復練習しなければならないことと、なぜ上手く出来ないのかという事が分からないという悔しさが苦手意識を生み出してしまったのではないかと今になって思う。それでも、もういいおじさんなのでそんなことは言っていられない。基礎訓練の礼式というものを(体育で行う基本的な身体動作)2時間くらい行ったのですが、抱いていた不安通り身体を上手く動かせなくて教官の方から色々と体の動かし方を指摘された。その指摘されている間、団体行動が止まることがとても苦になり「やっぱり苦手だなぁ」と感じていたけれどなんとかせねばと集中し全体についてゆこうと頑張った。すると不思議なもので苦手だと思っていた気持ちが薄まり、号令に対して従順になってゆこうという意識が芽生え始めた。しかし、今度は新入団員が前に立ち号令をかけることになった。これは弱ったなと思いながら訓練していると僕の番号が呼ばれ、仕方なく班の前に立った。このピンチを切り抜けるにはどうしたらよいものかと考えるも何も浮かばない。とりあえず教官の方に支持を仰ぎ、指導されたことをできるように心がけた。
僕の号令で30人ほどの男たちが気を付けをしたり回れ右をしたりしていることに違和感を抱きつつ、危険な職務を遂行する時に統制がとれていなければ死人が出るのだからと言い聞かせ頑張って号令をかけ続けた。そして最後の気を付けの後「敬礼!」という号令と共に敬礼をすると、目の前の男たちが一斉に敬礼をした時、気持ちが高揚してくるのがわかったがその気持ちはすぐに恐怖に転じた。

それは僕のような男でも「権威」があれば号令に従って全体が動いてゆくという事の証明であり、もしこれが戦場で、戦場も知らず兵の扱い方も戦い方もわからない権威を誇示することに酔っている無能な指揮官が号令と共に兵を動かしたら、この従順性の為に隊は瞬く間に玉砕してしまうこともありうるのだと感じたからなのです。
勿論、消防団の基礎訓練は災害救助が目的であり二次災害を出さないための訓練である。しかし、権威をもって人を動かしてゆくという行動は同じであり、指示を出すものは被害を最小限に食い止めなければならないという大変重い責任が発生しているのだという事を忘れてはいけないことも然りであろう。
そんなことを考えたら、やっぱり僕は号令をかける側ではないのだなと深く思ったのでした。