硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

オリンピックについての散文。

2021-06-16 16:55:15 | 日記
オリンピック開催に向けて物事が進んでいます。きっと、コロナウィルスパンデミックがなくても開催についての賛否は議論されたであろうと思います。
しかし、勝ち取った権利でもあるので、イベントに関わっている多岐にわたる人が権利を行使したいと思う気持ちは理解できますし、出場するために人生をかけている人達の事を想うとならなおさらです。

でも、このコロナウィルスパンデミックの中でのオリンピック開催について、違和感を覚えているのは、オリンピックというイベントは、地球のイベントであるという所なのです。

地球のイベントであるなら、IOCもWHOもG7という先進国も、安心して開催できるよう、協力して然るべきであるのに、権利ばかり主張して、「権利を勝ち取ったんだから自分で何とかしろよ」という、視座を保っているように感じます。

オリンピックが、アスリートの為、アスリートを目指す人の為、アスリートを見て、叶えられなかった夢を託す人の為、アスリートが頑張る姿を見て、明日への希望を見出す人の為。感情を豊かに動かす人達の為、夢みる人たちの為にあるのだとしたら、世界は、利害抜きで困難である人達のために協力すべきだと思うのです。

もし、それが何らかの理由で協力できないとするのであれば、今後、開催地をギリシャに固定して、ギリシャはホスト国として世界のアスリートを受け入れる施設を整備し、(四年に一回のオリンピックと、ワールドカップを開催すれば、インバウンドで経済が持ち直すのではないかと思う。)
クライミングやサーフィンなどは競技に適した国で、(ワールドカップが行われている競技なら選定できると思う)行った方が、よりその競技の難しさ美しさが表現されるのではないかと思う。

SDGsを世界が目指してるのだとしたら、そうした方が公平性が保てるのではないかと思うのです。

それとも、権力者はまた、ソクラテスに毒を飲ませる事を選ぶのであろうか・・・。