こんばんは、卯月です。
明日、母とランチする約束だったのですが、母からメールが来て、「(気温が)35度になるというし、暑い中出て行くのも」というので、「じゃあもう少し涼しくなってからにしよう」ということになりました。
出かけるのが大好きで、雨でも嵐でも出かけてた母ですが、さすがに歳には勝てないか、もう75歳、暑さもこたえるようになったんだなあ、と改めて思いました。
で、明日は暇になっちゃったし、隣町へ買い物にでも行こうかなあ。まだわかんないけど。
今日は郵便局に、たまってた固定資産税を払いに行って、近所のスーパーで食料を買って、それだけで疲れちゃって、大好きな亀梨くんの「1ポンドの福音」の再放送の時間にぐーぐー眠ってしまっていました。ぐすん。
暑い台所で料理をする気にもなれなくて、夕ご飯はラーメンだったよん。
その後、「TVチャンピオン」が「アイスクリーム王選手権」だったので、それを見ながらアイスを食べて、今はゴロゴロ寝転がりながらこれを書いています(私のパソコンはいつもリビングの床の上に置いてある)。
おととい、ぬいぐるみを送ってあげた友達から、「届いたよ、ありがとう!」のファクスが来て、すっごく喜んでくれてる様子が伝わってきて、私もすごくうれしかった。
可愛がってもらえそうでよかった。
ブログにいただいたコメント読んでると、けっこう大人になってもぬいぐるみさんに癒されてる人はいて、やっぱり可愛いものにはみんなホッとするんだなあと思ったりしました。
私は今日も、ペネロペとべったりくっついていました。
昨夜、ペネロペのペンケースとバスミトンを、ヤフオクで落としてしまった。あまりの可愛さに惹かれて。
バスミトンは私のお風呂嫌い対策。こういうのがあるとちょっとは楽しいかな、と。
お風呂で遊べるペネロペのお人形セットもあったんだけど、ワニさんとか余計なもの(ワニさんごめんなさい)もいろいろついてて高かったのでやめときました。
昔はお風呂好きだったのになあ。いつからかめんどくさくなっちゃって。
生協で新しいバスローブも買ったりと、いろいろ対策を講じているのですが。
誰かお風呂が楽しくなる方法を知っていたら教えてください。
今日は、「ドリーム・ぽけっと」という、ネットのキャラクターショップで、リトルミイのレターセットとバインダーと家計簿(いつも三日坊主で続いたためしがないくせに)を注文してしまったし、このところお金遣ってるなあ、ちょっと反省。
でも明日は多分ショッピングに行っちゃうよん。何か気晴らしがないと、気持ちが塞いじゃってどんどん暗くなっちゃうから、何か可愛い雑貨とかを見て気分転換したいの。
できるだけ無駄遣いしないように行ってくるよ。
じゃあ、今日はこの辺で。
また明日ね。おやすみなさい。
このあいだのカウンセリングで、どうした流れからか忘れちゃったけど、久しぶりにその名前を口にしたのです。
吉見佑子さん。
私が「こういう文章を書く人になりたい」と初めて強く願った、そのお手本になった人なんだよ、という話をしました。
吉見さんの本は、もう処分してしまって家にはないと思っていました。私は、本というものに執着がなく、たまってゆくそれらに耐えきれずに古本屋に持ってったり古紙として資源回収に出しちゃったりしてきたからです。
でも、私がものを書くきっかけとなった本たちを、いくら私でも、そんなに簡単に処分するだろうか、ひょっとしたら…?と、今朝ふと思い立って、本棚を探してみたのでした。
すると、やっぱり。出てきました、吉見さんの著作4冊。
そのうちの、『ペパーミントは涙の味がする』『東京ゆきずりライフ』の2冊を手にとって、私はリビングのお気に入りスペースに寝転がって、しばし読みふけっていました。
懐かしいその語り口調、昔なじんだ文章が、そこにありました。
でも。
今日一日、どっぷりこの世界に浸かっていようと決めていたのに、もう気がすんでしまい、私はなんだか中途半端に不安定な気分で寝そべって、これを書いています。
私は、私が思っていた以上に、変わっていた。
歳をとっても、容貌や体力が衰えても、心は30年前と何も変わっていない、少女のままだと思い込んでいたのに、そうじゃなかった。
あんなに自分をシンクロさせてた彼女の文章は、今の私には照れくさく、遠いものになっていました。
古道具屋さんで懐かしく気に入って買った大好きなタイプのはずの置物が、家に帰って飾ろうと思ってみたらどうも今の部屋にはしっくりなじまない、そんな戸惑いを、今、感じています。
当たり前だよ、と笑うでしょうか。
私には、ずっとずっと大切にしてきた世界だった。自分がまだそこに、その中にいると思っていた。
でも、気づいたらいつの間にか、その外側を歩いていた。
それが大人になったっていうことだよ、と人は言うでしょうか。
いろんなことがあったんだよ。同じじゃいられない。変わっていくのが当たり前なんだよ。
自分をなだめてみました。
でも、やっぱり私には衝撃だったのです。自分が自分でなくなったような、不信感に揺らぎました。
過去の自分を、遠く遠く、感じてしまいました。
私はもう、私じゃないの? 私の思ってた私じゃないの?
遠い遠い、少女の自分。
それに比べて、私はなんだか汚れてしまったような気がして、悲しい気持ちになっています。
いつも純粋でありたいと思ってきた私が、煤けてしまったような、それを見てしまったような、寂しい気持ちでいます。
それでも、こうして、書くことは私に残っている。
吉見さんの文章とは違うけれど、違う世界のものになってしまったかもしれないけれど、吉見さんからの贈り物は別の形になって私の中で生きている。今の私を、生かしている。不思議だけれど。
それは果たして抜け殻なのだろうか?
今の私にはわからない。
ただこうして、言葉をつむいでいくことが、今の私にできることのすべて。
これを失いたくない。それだけの気持ちでいます。
今の私で、これで、いいんだよね? このままの私で生きていても、いいんだよね?
今の私の言葉で書いていても、それで許されるんだよね。
懐かしいはずのものたちが、私の足場をぐらつかせる。そのたび、不安定になる。
私はうまく大人になれなかったのかもしれません。今でも、大人と子どもの間を、ゆらゆらさまよっているのかもしれません。
これからまた、ペネロペのDVDを見ようと思います。それから、チョコレートを少し食べようっと。
今日は買い出しにも行かず、ずっと家で過ごします。外は暑そう。生協のお兄さんが、滝のように汗をかいて配達に来てくれました。
ではまたね。
気が向いたら、コメントくださいませ。
ちょっと心細くなっているタラでした。
埃だらけの本棚の奥から、懐かしい本を探し出しました。大好きだった、今でも特別に思い入れのある、吉見佑子さんのエッセィ2冊。
この人の作品に出合っていなかったら、私は随筆を書く人になろうと思わなかったでしょう。卯月のスタート地点となったのが、吉見さんの本です。
今日はこの本を読んで過ごそうと思います。
ではまたね。
こんにちは、卯月です。
今日は、のんびりぐーたら過ごしていました。
待ってたペネロペのDVDとぬいぐるみのセットが届いて、うわーいうわーい、とDVDを見て、アニメ「DEATH NOTE」の再放送を見て、いつの間にかぐーぐー眠っていて、さっき起きて肉じゃがを作ったところです。
肉じゃがは、いつも「しゃべる!DSお料理ナビ」のおじさんにナビしてもらって作るのですが、今日は自己流でやったらちょっとしょっぱかった。
「しゃべる!DSお料理ナビ」は、いろんな料理が載っていて、レパートリーの少ない私にはもってこいのソフトだと思います。
シンプルな料理もちゃんとあって、カルボナーラとかもこれで覚えました。
作業しながら、声でやり方を聞けて、画像で見られるので、とっても便利。
お料理苦手なかたにオススメです。
料理ってなんとなく、キッチンに一人こもってやる孤独な作業っぽくて嫌いなのですが、ナビがあると孤独感が薄らぐし、娘がのぞきに来てくれたりもするので、やる気になります。
さて、ペネロペちゃん。
DVDは、ちょっと声が想像と違ってたけど、ほのぼの可愛くて、おまけに発売中のほかのソフトもしっかり宣伝してくれてたので、ほかのもほしくなってしまいました。
でも、ストーリーのところどころで出てくる「あなたはどう思う?」というような問いかけ、これは本来は一緒に見てる大人の人が問いかけてあげるものでは?と思い、ちょっと「余計なお世話」的感情を持ったのですが、お父さんやお母さんもなかなか一緒にDVDを見てくれる余裕もない現代、これは仕方のないことなのかも、と思ったりもしました。
でも、やっぱり「どう思う?」みたいなことは、大人の人と直接やりとりしてほしいな。テレビがお友達なのも悪いことではないけれど、テレビとのかかわりは、やはり限界があるもの。
DVDとセットのぬいぐるみは、思ってたよりちっちゃくて、でもちゃーんと「ペネロペ」で、可愛いピンクのコートを着て、さくらんぼの刺繍のある黄色いマフラーをしていました。ベリーキュート。
早速、ついてきた夏用のTシャツに着替えさせ、今もそばに置いています。すっごく可愛いよ!
DVDも見たし、もうすっかり「ペネロペ」に魅了されてしまっています。
ペネロペ、リトルミイ、「どこいつ」のトロ、ブライスちゃん、好きなものに囲まれてる生活は幸せ。
好きなものがあるっていいことだよね。「好き」って、エネルギーがあるってこと、生きる力があるってこと。鬱のひどいときは何も「好き」どころじゃなかったもんなあ。すべてが虚ろで、どーでもよかった。
今はだから幸せ。
友達が探してたぬいぐるみをヤフオクでこのあいだ手に入れて、今日送ってあげた。
ずっと長いこと鬱に苦しんでるその友達が、ぬいぐるみがほしいんだーと言ったとき、とてもうれしかった。ああ、好きなものがあるんだ、希望があるんだな、って。
抱っこできるサイズのがほしいと言ってたんだけど、ちょっと小さいのしかなくて、気に入ってもらえるかどうかわからないけど、何の前ぶれもなく送ったから、開けてビックリしてくれるかなあと思うと、わくわくしちゃう。
誰かに何かを贈るって、うれしいものだね。
今日はペネロペちゃんが来たし、プレゼント贈ったしで、二重にハッピーな卯月でした。
では、今日はこの辺で。
明日もいい日になりますように。おやすみなさい。
こんばんは、卯月です。
昨日注文した「ペネロペ」のDVDとぬいぐるみのセット、今日発送されたとのメールが届きました。うわーい。
昨夜、ペネロペのアニメがキッズステーションで再放送されているという情報をゲットしたのですが、悲しいかな、うちはキッズステーションが映らないのでした。
で、DVDとか絵本とかがほしいな、と思ってアマゾンで検索すると、まあいろいろあるわあるわで、その中で私の目を捕らえて離さなかったのが、去年の冬に数量限定で発売された「ギフトBOX」のぬいぐるみでした。
これは、身長18センチのぬいぐるみに、クリスマスがテーマになっているペネロペのアニメ2話分のDVDがセットになっているというもので、ぬいぐるみのペネロペは冬のコートにマフラー姿なのですが、なんと夏用のTシャツが着せ替え用についてくるのです!
ギフトBOXの中からつぶらな瞳でこちらを見つめているペネロペに、思わずノックダウン。
ぬいぐるみはこのあいだ買ったばかりの子がいるのに、シーズンオフ、在庫5点のこの子に心を奪われ、ついつい注文してしまったのでした。
あれっ、ほしいのは絵本とかじゃなかったの?
どうも私はぬいぐるみ、お人形さんの類に弱いらしい…。
届いたらこのあいだ買った子とご対面させて、一緒に遊ばせるんだー。
うわーい、たのしみじゃ。
今日は仕事がすごく忙しかったよ。終わったら8時近かった。
朝6時に起きておべんと作って行ったから、すっごく眠くて疲れたよ~。
でも明日から日曜まではお盆休みだから、ゆっくりできる。うれしいな。
お盆休みは母とランチする以外は、今のところ予定は入ってない。
特にどこか出かけたいって所もないし、家でぐーたら過ごしそう。
それもいいよね。
では、今日はなんだかペネロペの話に終始してしまいましたが、これで終わります。
ちなみに今日の夕ご飯はデリバリーのカレーを頼んでしまった。ササミチーズカツカレー。おいしかったよお。でもお腹が苦しい。ぐふぐふ。
じゃあまた明日ね、おやすみなさい。
いい夢を見られますように。
昨日は更新できなくてごめんなさい。一日寝ていて、夜になってパソコン開けたら、どうしてもペネロペのことが気になって、いろいろ調べてるうちに夜中になってしまい、結局、去年のクリスマスに向けて限定で出された、ぬいぐるみ付きDVDをネットで買って、そのまま娘と一緒に寝てしまったのでした。来てくださったかた、申し訳ありません。
今、職場の昼休みです。なんとか無事に過ごせそう。よかった。みんなそれぞればらばらに過ごしていて、私は薬局の中の会議室兼物置みたいな小さい部屋に一人でいます。気楽です。
午後の仕事があんまり忙しくならないといいな~。でも、お盆休み前なので混みそう。早く帰れるといいんだけど…。
じゃあまた、夜、時間があったら続きを書きに来ますね。
それではまたね。
こんばんは、卯月です。
今、「僕らの音楽」(フジテレビ)のテーマ曲を聴きながら、これを書いています。前から「僕らの音楽」を見ていて、夜に浮かぶ東京タワーの映像とともに流れる、切ないこのテーマ曲が気になっていて、CDになっているならほしいな、と、昨夜番組公式サイトに行って調べてみたのです。そしたら、ケータイでダウンロードできるということがわかって、早速落としたのでした。
思ったより短くてちょっと残念だったのですが、それでも気に入って繰り返し聴いています。東京タワーが目に浮かんできます。都会の孤独な夜、そんな感じ。
今日はカウンセリングに行ってきました。
帰りに、思わぬところでムーミンのコーナーを見つけてしまい、ミイのグッズをいろいろ買っちゃいました。メモ帳、マルチケース(パスポートなどを入れられるケース。通院の時に「自立支援医療受給者証」が入れられる大判のものを探していたのです)、タオル、玄関マットなど。
カウンセリング自体は、今日はそれほど深い話にはならず、普通のおしゃべりで終わったのですが、来週お盆休みで1回空いてしまうので、それが不安だったのでしょう、ついつい買い物をしてしまいました(と自分を正当化)。
私は不安にかられると、決まって先生に、「私のこと嫌い?」と聞きます。返事はわかっています。先生はいつも言います、「そんなことはありませんよ」と。
カウンセリングが終わる時、私はよく、空中に放り出される自分をイメージします。手を離さないで、と言いたいのです。一人になるのがこわい。
だから、カウンセリングが終わっても、先生とのつながりは終わらないよ、変わらないよ、ということを言葉で確かめたいのです。
「嫌い?」「軽蔑してる?」と私はよくたずねます。先生は私を見捨てない、それを確かめるために、何百回でも同じ答えを聞く必要があるのです。
「そんなことはありませんよ、あなたはよくがんばっている」と先生は言ってくれます。
そうだなあ、「大好きですよ」と言ってもらうのが一番いいのですが、私にそれを言ってくれる人はあまりいないでしょうし、特に先生が患者に向かってそんな誤解を招くようなことは言えないとわかっているから、しょうがないよね。
嫌いじゃない、イコール見捨てない、と解釈して、寂しい分は買い物で埋めて、私は帰ります。
ほんとはね、今日は珍しく先生が先に部屋を出てしまったので、私はちょっと、ここで鍵をかけてこもってリスカしちゃおうかな、と一瞬思ったのです。でも、おとなしく先生について部屋を出てきました。
先生との信頼関係を大事にしたかったから。もう、ふりだしには戻らない、と決めたから。だから、ぐっと我慢してきました。いつまでもだだっ子のようじゃいけない。
先生とは14年もかけて、一緒にここまできたのだ。だから失望させたくはなかった。
寂しい、と言うと、だいたい誰もが私に言います、「子どもたちがいるじゃない」と。
子どもたちとの暮らしはたのしい。あったかい。いつまでもこのまま、一生一緒にいられるならどんなにいいだろう、とちょっと思ったりする。でもそれはできない。
子どもは大人になるもの、親から離れていくもの。そうあらねばならないもの。
いつまでも同じ関係でいてはいけない。
少しずつ、距離をとっていかなくては。そして大人同士にならなくてはいけないもの。
だからね、子どもたちを私に縛り付けてはおけないの。
いずれは子どもを離れて、私は私の人間関係の中でやっていかなくちゃならない。
それを思うと、寂しいなと思う。
私に、どれだけの関係が残るだろう。
どれだけの人が、私を見捨てずにいてくれるだろう。
とても不安になる。
今日はドーナツを食べたよ。ミスドのチョコレートドーナツ。寂しい時に甘いものはいいね。
さて、カフェオレでも飲んでくつろぐことにします。
みなさまも、土曜の夜をゆっくりとお過ごしくださいませ。
じゃあまた明日ね、おやすみなさい。
こんばんは、卯月です。
今日はお休みだったので、洗濯と買い出し以外は、ペネロペと一緒に一日中寝ていました。
腰痛と頭痛がひどくなってから変えてもらった鎮痛剤のせいか、このところずっと眠いです。
仕事に行く日は出かける直前まで寝ていても、仕事に入ればちゃんと目が覚めるのですが、休みだと気が緩んで、ついダラダラと寝て過ごしてしまいます。
暑くて疲れてるし、それでもいっかあ、と思うことにしています。
今、私が気に入ってるもの2つ。
ひとつは、明治屋のマイ・ジャムの「シャキシャキリンゴジャム」。アップルパイのフィリングのようで、とてもおいしいです。瓶が小さいせいもあって、一人で3日ぐらいで空けてしまいます。
トーストの半分にこのリンゴジャムを乗せて、もう半分にバターとメープルシロップを塗って、ジャムのほうから食べていくのが、私のお決まりの食べ方です。ウマイぞ。
もうひとつは、キユーピーの、明太子味のドレッシング。
ずっと前に、マヨラーの香取慎吾くんが「マヨネーズかけたらその辺の雑草でも食える」というようなことを言ってたと思うけど、私もこのドレッシングがあったら雑草でも食べられちゃうかも?と思うくらい、おいしいです。
ジャムもドレッシングも、うちの近所のちっちゃいスーパーで売ってるぐらいだから、どこでも手に入ると思います。
リンゴ好き、明太子好きのかた、お試しあれ。
リンゴで思い出した!(リュークです!) 今、午後2時55分から毎日、「DEATH NOTE」アニメ再放送やってるんです。仕事のない日は見ています。
私はアニメは見たことなかったのですが、原作に忠実に仕上がってる印象です。画もきれい。
22日の夜にやる「Lを継ぐ者」のアニメが今から楽しみです。
私は松山ケンイチさんの「L」の大ファンですが、原作の「L」も好きです。アニメは声がちょっと違うイメージでしたが、息子は初めにアニメを見ていたので、むしろ松山「L」に違和感を感じたと言います。
やっぱりどこから入るかで、印象はずいぶん違ってくるのでしょうね。
それにしても、まだまだ「L」から目が離せない!
今日は雑談でしたが、ここまでにします。
明日はカウンセリングに行きます。
月曜の不安をうまく拭えるといいのですが。
ではまたね。おやすみなさい。
こんばんは、卯月です。
今日は薬局の仕事に行ってきました。
来週の月曜、朝から出るのですが、お盆休み前なので、助っ人スタッフが来てくれることになっていると今日の帰りに聞いて、なんだか憂鬱と不安な思いにかられました。
何が憂鬱って、お昼休みが怖いのです。
昔からそうですが、学校でも、授業中は大丈夫、でも休み時間や部活の時間のように、自由に行動できる時間になると怖くなるのです。
みんなに溶け込めない。浮いてしまう。私は異端児だ。
みんなと同じじゃいやなくせに、私はみんなから外されることをとても怖れている、今でもそうなんだと、今日あらためて思い知りました。
高校1年の時、仲良くしてくれていたグループのリーダー格の子に、ある日突然「今日から私たち、あなたとは付き合わないから」と言われ、クラスのほとんどの子から無視されるようになりました。理由を聞くと、保健室の先生と仲良くしてるから、とか、みんなのアイドル的な先輩を独り占めしてるから、とかいうことでした。
それならそれで結構、上等じゃん!と私は思いました。うわべだけの友達なんて要るもんか。
でも、それまで仲良くしてくれていた(と信じていた)女の子たちが、手のひらを返したように私を村八分にした、ということに、私は激しい不信感を覚えたと思います。
そのときは気づかなかっただけで、私はみんなに裏切られたことが悲しかったのだと、今にして思います。クラス中から仲間外れにされて平気な子なんているはずない。
私は短大時代、友達がとても多い人でした。でも、誰とも深くは付き合わなかった。グループを組んでも、みんなでゴハンを食べても遊びに行っても、心を許すことはありませんでした。私はみんなから外されないように、必死で「普通の子」を演じていました。目立たな過ぎてもいけない、目立ち過ぎてもいけない、私は慎重に振る舞っていました。
友達はたくさんいたけど、いつも寂しかった。
平穏な短大時代を無事に過ごして就職した会社では、私はそれまでの反動でか、わざとのように悪い子になっていったと思います。
会社には仕事しに来てるんだから、仕事ができればいいんでしょう? 別に仲良しごっこをしに来てるわけじゃないんだから、と私は思っていました。仕事を一生懸命やって上司に認められれば、友達なんていなくたっていい、そう思っていました。
そんな私を、同期の女の子たちは仲間外れにしませんでした。根気よく、付き合ってくれました。そのうちの何人かとは、今でも交流が続いています。何でも話せる友達になってくれています。それは、私が培ってきたものではなく、彼女たちが私を見捨てずにいてくれたから、その一言に尽きます。ありがたいことです。
今は、私には何でも言える友達や家族がいます。幸せなことです。
それでも、私は人が怖いのです。いつまた村八分にされるかと、つらい想像をしてしまうのです。
今の職場の薬局の人たちは、みんなとてもやさしいです。お世辞でなく、ほんとにあったかいスタッフの中にいて仕事をさせてもらっています(店長には時々嫌味を言われることもあるけどね)。
それでも職場の昼休みが私には居心地が悪いのです。一緒に過ごす人数が多いほど、不安になります。
誰でもこんな不安を抱くものなのかな。私だけじゃないのかな。わかりません。
人に嫌われることが怖い。
ああ、スタッフの多い今度の月曜日、私はお昼休みをどう過ごせばいいのか、憂鬱です。
つまらない話を長々してしまいました。ごめんなさい。
今日は「ペネロペ」のぬいぐるみが家にやって来ました。
「ペネロペ」って知ってる人いるかな? 作者は忘れた。絵本の主人公らしいです。
たまたま、広告チラシに載っていたぬいぐるみが可愛くて気に入ってしまい、「『うっかりペネロペ』 ぬいぐるみ¥1890」と書いてあるのを見て、ネットで調べて同じものを買ったのでした。スカイブルーのコアラのぬいぐるみです。とってもキュート。いっぱい癒してくれそうです。
今日は一緒に寝ようっと。
それではまた明日ね。
今日も一日おつかれさま。
明日がいい日になりますように。
こんばんは、卯月です。
今日はヘルパーさんとお掃除をしながら、「ポニョ」の映画の話で盛り上がりました。いつもいらしてくださっているヘルパーさんが、たまたま娘のもと同級生のお母さんということもあり、相性もよかったのか、とても仲良くさせていただいています。
それでも馴れ合いにならず、プロとしてすることはきちんときめ細かくしてくださるので、助かっています。
昨日、父のことを書いて、コメントもいただいたので、もう少し書いてみたくなりました。面白い話ではありませんが、お付き合いくださると幸いです。
私の父は、前にも書いたかもしれませんが、戦前大阪で一番大きかった病院の院長の家に里子に出され、そこ(父の叔母の家にあたった)の長男として育ちました。当然、病院を継ぐべく育てられたのですが、戦争で病院は焼け、阪大の医学部にいた父は事情があって大学を中退し、生家に帰りました。気難しい父は、最後の最後まで、継母に馴染むことも可愛がられた経験もないままだったようで、「ねえや」だけが心の支えの、寂しい少年時代だったようです。
愛情を受けずに育った父は、子どもを持っても子どもにどう愛情を注いでいいのかわからなかったようでした。
姉のことは溺愛していたように見えましたが、姉に聞くと「いつも完璧を求められて苦しかった。パパの娘なんだからできて当たり前と言われて、いつも無理をしていた」と言います。
それでも、可愛らしい顔立ちをしていて、父に似てできも良かった姉は、父の自慢の娘でした。父はどこへでも、姉を連れて歩いていました。
父は医者になる夢を子どもに託したかったようです。二番目は男の子、その子を医者にと考えていたようでした。
私が生まれた時、知らせを受けた父が最初に言った言葉が「また女か」というものだったこと、3日後に初めて私の顔を見て言った言葉が「こんな不細工な娘なら産まなきゃよかったのに」だったことを、ありがたいことに(?)、母は幼い私に言って聞かせました。
パパはお姉ちゃんだけが可愛いんだ。私が男の子じゃなかったから、顔が可愛くなかったから、いけないんだ。パパ、ごめんなさい、女の子に生まれちゃって。おまけにブスで。お姉ちゃんみたいにできなくて、恥ずかしい娘でごめんなさい。
父はまるで私がいないかのように、私を無視していました。ずっとずっと、私と口をきくことはありませんでした。
初めて父としゃべったのは、姉の結婚式の帰りでした。私は18歳になっていました。
「お姉ちゃんがいなくなったから、今度は私なの? そんな虫のいいことはさせない。私にはパパはいなかった。今更、父親面させるもんか。仲良くなんてしてやるもんか」私は思いました。
気難しい、こだわりの強いところがそっくりだった父と私は、その性格ゆえにぶつかり合っていましたが、やがて歳とともに、そうと相手には言わないままに、理解し合うようになっていったと思います。
どうしてそんな行動をとってしまうのか、言葉を発してしまうのか、わかってしまう自分がいました。
それでも「父に愛されなかった」という傷は癒えることはありませんでした。ずっとそれを、私は引きずっていて、父に素直に接することができないままでした。
本を出した頃、私は両親に、親の悪口を書いてある本を見せる勇気がありませんでした。ずっと、本のことを私は親や姉に隠していました。
何年かが経ったある時、ふと思いました。「このままでは私の回復は、成長は、ない。すべてを親に話すべきだ。喧嘩になっても罵り合ってもいい、それが必要なことなんだ。避けて通っちゃいけないんだ」。
私は、姉と両親に、本を送りました。「怒ってもかまわない、最後まで読んでほしい。その後で言いたいことがあれば何でも聞く準備はある」と手紙を添えて。
父が突然死したのは、本が届いたわずか3日後のことでした。
どうしてどうして、もっと早く素直にならなかったんだろう。これから分かり合えると思ってたのに、遅かった。間に合わなかった。
泣きじゃくる私に、姉が言いました。「タラは知らなかっただろうけど、パパはあの本を受け取ったときに、狂喜乱舞したんだよ。『あいつが本を出した! やってくれた! なんとしても自分の目で読み通して(父は目が不自由で、ルーペでやっと新聞の見出しを読む程度だったのですが)、読み終わったら最高の賛辞を贈るつもりだよ』って、電話で言ってたんだよ。本は間に合ったんだよ。タラは最後に、最高の親孝行をしたんだよ」と。
これが、私の、父との物語です。
今は、天国で、私の夫と一杯やっているでしょうか。
長々とお付き合いさせてしまってごめんなさい。
私は父を憎んで恨んで育ちました。でも、それでも父のことが大好きでした。
血がつながっているからつらい、そういうのってあるなあと思います。
うまくまとまりませんが、今日はここまでにします。
読んでくださってありがとう。
またいらしてくださいね、おやすみなさい。