かわずの呟き

ヒキガエルになるかアマガエルなるか、それは定かでないが、日々思いついたことを、書きつけてみようと思う

子どもの頃の思い出ー母を中心として。

2015-05-24 | 気ままなる日々の記録

介護施設に入って、読書三昧、少し疲れてボーとしていると、突然子どもの頃のことを思い出し、そこにはいつも母がいる。

母は1年を毎日旧暦で過ごした人だったような気がする。

 年末になるとお宮の係りの人が、高島某所から発行された1年の暦《小冊子》を配って来たものだ。

 そうすると母は、その暦と新しいカレンダーを広げてカレンダーの日付欄に旧暦の何月何日かを書き込みそのカレンダーを居間の鴨居にぶら下げていた。毎年旧暦の何月何日に何をしなければならないかが決まっていたようだ。お盆は、間違いなく旧暦で決められた日に、決められた行事をしていたし、ひな祭りや端午の節句も旧暦を使っていたような気がする。母の実家は同じ後飛保で、この地域は、江戸から明治にかけて蚕を飼って栄えた純粋農村地帯である。

 明治政府が太陽暦を採用するまで、我が国は、全国で旧暦(陰暦)を使っていた。   この方が農作業との相性が良かったから、大正、昭和になってからも、年中行事はすぐに太陽暦に切り替えにくかったと思われる。例えば、子どもが大きくなって新しい少し大きめの洋服を着せる時は、必ずお正月またはお盆からであった。その代表が足袋で、長男はいつも少し大きめの新しい足袋をお正月からはいていた。次男はいつも、兄のお下がりで、穴が開いたところは周りとよく似た色の布で穴を埋めた足袋であったが、これも、お正月からであった。

 端午の節句には菖蒲の入ったお風呂を立て、男の子は菖蒲の葉で鉢巻をしてお湯に入った。4歳下の妹が「私も・・・・」と云ったとき、母は「女の子は、鉢巻はダメ」と云って、菖蒲の葉から上手に簪を造って妹の頭に射してお風呂に入れていた。妹は欲張りで、もっともっととおねだりして、沢山頭に菖蒲の簪を指してもらっていた。その妹も数年前、慢性リンパ性白血病に罹って亡くなった。その、菖蒲も後飛保あたりでは、太陽暦の5月5日では葉がそれほど大きくない、お店で売られているものは、鹿児島県か宮崎県産で空輸されたものだろう。

  

                                                             ↑2015年5月26日 蓮池にて。

 ひな祭りの日の数日前にはお餅を搗いた。茹でたヨモギを搗き込んだり、紅粉を混ぜて搗いたりした。お雛様にお供えする菱餅を作るためであったし、残りで、赤や緑のアラレも作ってくれた。黒ゴマの入ったアラレもあった。焙烙(ほうろく:土で作ったフライパンのようなもの。で炒って食べた。美味しかった。

アラレを焙烙(ほうろく)で焼くとき、最後に、お酒とお醤油とお砂糖を混ぜたものを、醤油さしに入れてサーとアラレに掛ける。ジューッという音がして焙烙に掛かった醤油が焦げる。このとき、辺りに美味しい匂いが立ち込める。この醤油が掛ったアラレの美味しいこと。市販のアラレも醤油が掛って いるが、味には、天と地ほどの差がある。お盆にトウモロコシの初物を炭火で焼いたときも醤油・砂糖をお酒で溶いたものを塗るが、このときも。いい匂いが立ち込める。

 アルコールはうまみ成分を連れて食材の中に染み込む力があると聞いたことがあるが、真偽のほどは分からない。こうして書いているだけで、辺りに美味しい匂いが立ち込めてきた錯覚に陥る。もう70年も前の思い出である。随分遠くへ来たものだ。

アラレのことを思い出している最中に突然「張り板」のことを思い出しました。「張り板」で分かりますか?幅が50~60センチで長さが4mぐらいある1枚の板でこれによく布がはりつけてあった。我が家にはこの板が4枚ぐらいあって、太陽の光に対して直角になるように片方を物干しざおに乗せて立てかけてあった。その板には子どもたちの浴衣などの着物をほぐして(縫い代の糸を全部抜き取って》洗濯をして最後に薄い洗濯糊に漬けてから板の上で伸ばした木綿の布が貼り付けてあった。

 あれは何だったのだろうと家内に聞けば今は全部クリーニングに出すからもうどこの家もあんな面倒なことはしないという話だ。確かに浴衣を一度着せたら糊付けをしてもう一度縫ってから翌年まで和ダンスに入れておくわけだ。夕食後の針仕事の多さがこれで分かる。あの時代確かに母親は忙しかった。家事に追われっぱなしだ。今頃母親の労を労っているのでは遅きに失している。洗濯機が普及しクリーニングに出すようになっただけで主婦はどれだけ救われたことか。クリーニング店では大きな重いスチームアイロンで一気に張り板に代わる仕事を片付けてしまうとか。

 こう思って生活環境を振り返ってみると、生活の電化万歳だ。近代化が一番遅れているのが住宅分野だと思われます。キーワードは断熱だろう。折角の暖房や冷房がいとも簡単に空気の流れによって失われその空気の対流を止める工夫が全くなされていない住宅が多すぎる。以上「昭和残照物語」でした。シツレイシマシタ