今日は9月22日で、多分秋のお彼岸、秋分の日で「おはぎ」を作ってお仏壇にお供えしていた。同じもの春には「ぼたもち」といい秋には「おはぎ」と云っていたが、子供の頃のことでじつはよくわからない。僕の母は田舎の大きな自作農で生まれ育ったのでこうした伝統的な季節行事を大切にしていた。中秋の名月の日には、ススキの穂を木曽川の河原で獲ってきて瓶に刺し煮た里芋を丼に入れてお盆に載せお月様にお供えしていた。
当時の田舎の暮らしは半分は大陰暦が使われていたので、江戸時代からの伝統行事が大切に行われていた。敗戦だからか知らないが、戦後こうした伝統的な行事を全部やめてしまってクリスマスとかバレンタインとかいって、騒いでいる商業主義に辟易する。
ところで、例の餅米を蒸して[臼で搗いてあんこをまぶしたものと、あずきを蒸してつぶしてスイノで濾して皮を取り除いたものをおにぎりにまぶしたものがはるには「ぼたもち」と呼ばれ、秋には「おはぎ」とよばれていた。ボタンは春の花で、萩は秋のはなである。
江戸時代や戦前まで日本人がどんなに大自然の季節の変化を慈しみながら暮らしていたか、こうした伝統的文化を全て「古い=野蛮=迷信」と捨ててしまった戦後処理が軽率だと悔やまれます。アメリカはヨーロッパのプロテスタントの人々が一画千金を夢見てやってきたくにです。伝統文化の奥行きがちがいます。そこを間違えた当時の我が国のリーダーたちの軽率さが悔やまれます。(T)
彼岸の日に