私は、実は、「メール恐怖症」です。
これまでの意味深?なブログも全て「メール恐怖症」が原因です。
そして、人間関係で苦手な部分も「メール」です。
メールは、「表情」がありません。
きちんとした文で送れば送るほど、「怖い」印象になると思います。
(って、私だけがそう感じるのかもしれません^^;)
私は、メールは表情がないから、とても苦手なんですね。
それを知っている友達は、絵文字が使えないメールの時は、
「絵文字ありませんが、気にしないでくださいね」って、気遣ってくれるくらいです。(めんどくさいユミカです^^;)
だから、ビジネスのメールが怖いのですね。
こんな事、言ってられませんが^^;
こちらも、真面目に返さないといけないとき、
「怒っていると思われないかしら?」
って非常に、文に気を使います。
本当は絵文字で表現したい時でも、そう出来ない状況もあります。
だからね、本当にメールって、私は苦手なんですね。
大切な人を傷つけていないか、
変な風にとられていないか、
誤解されていないか、
そんなことを思ってしまうのです。
真面目に書かなければいけない時ほど、そうですから。。。。。。
最近の意味深なブログも、「メール恐怖症」が原因と言っても過言ではありません。
会ってしまえば、なんてことないんです、ほとんど。
Hさんにも、
「ユミカさんって、お会いすれば、全てわかりますからね」
って、会えば、誤解がすべて解けるって言ってくださいます。
ビジネスの今さんだって、メールが怖すぎて、ガチガチでお会いしに行きました。
そしたら、とんでもなく面白い人で、一気にファンになっちゃいました。
「メールが怖すぎでした」ってお伝えしましたら、「ええ?そうでしたか??それは反省しないと・・・・」
って、笑い話になりましたし。
昨日、おとといの、Mさんも、
メールが急に真面目になってしまって。
それは、別に深い意味ではなく、仕事をしている時は真面目に返すのがふつうですしね。
それが、メールではわかりにくい部分があるから、怖くなってしまうのです。
「何か、気にさわること、してしまったのではないか?」
って、悩んでしまうのです。迷惑かけてしまったのではないか、って。
もう、これが、私の人間関係の終わりの最大な原因です。
メールじゃなければ、なんてことないこと。
お会いすれば、全く何でもない問題だったりします。
メールは、表情がないから、悩んでしまうのです。
「これは、どのような意味なのかな・・・・」
って。
そして、それに対して、こちらも真面目に返します。もちろん絵文字なんて無しで。
だから、相手にも、恐縮されてしまい、
なんか、お互いが、謝ってばかりのかたちで、
なんかとても辛い、悲しい終わり方になってしまったりします。
本当は、お会いして話せば、なんてことないのでしょう。
本当にそう思います。
これから先、メールはなくなることはないでしょう。
ビジネスでも、基本、メールだと思います。
まあ、ビジネスは、ビジネスなので、割り切るべきなので、クリアできるかもしれません。
ただ、大切な人たちとのメール。
絵文字が使えない時、真面目な時、きちんとお伝えしなきゃいけないとき、
本当にうまく伝えていけるか、そして、気にしないでいられる自分になれるか、
これからの課題だと思います。
きちんとしたメールを受け取る時、
「怒らせてしまったのだろうか」「気分を害されてしまったか」「何かしてしまったのか」
そういう想いで押しつぶされそうになり、
結果、「本当にすみませんでした」メールを送り、
それが、逆に、うまく伝わらなくて、終了。
もう、この悪循環パターンから、抜け出そうと思います。
メール、もう、怖がらないようにします。
これからは、
良い意味で、勘違いできるアホなユミカでいたいと思います。
おめでたい人間でいたいと思います。
それで、相手を傷つけず、自分も押しつぶされそうにならないなら、
それでいた方がいいと思います。
すぐには、変えられないと思うけど、
もう、メールで勘違いで、終わりにしたくないから。
アホで、勘違いで、あめでたいヤツと言われても、
もう、「良い」意味でしか、とらないようにしたいと思います。
メール恐怖症、克服します!!!
これまでの意味深?なブログも全て「メール恐怖症」が原因です。
そして、人間関係で苦手な部分も「メール」です。
メールは、「表情」がありません。
きちんとした文で送れば送るほど、「怖い」印象になると思います。
(って、私だけがそう感じるのかもしれません^^;)
私は、メールは表情がないから、とても苦手なんですね。
それを知っている友達は、絵文字が使えないメールの時は、
「絵文字ありませんが、気にしないでくださいね」って、気遣ってくれるくらいです。(めんどくさいユミカです^^;)
だから、ビジネスのメールが怖いのですね。
こんな事、言ってられませんが^^;
こちらも、真面目に返さないといけないとき、
「怒っていると思われないかしら?」
って非常に、文に気を使います。
本当は絵文字で表現したい時でも、そう出来ない状況もあります。
だからね、本当にメールって、私は苦手なんですね。
大切な人を傷つけていないか、
変な風にとられていないか、
誤解されていないか、
そんなことを思ってしまうのです。
真面目に書かなければいけない時ほど、そうですから。。。。。。
最近の意味深なブログも、「メール恐怖症」が原因と言っても過言ではありません。
会ってしまえば、なんてことないんです、ほとんど。
Hさんにも、
「ユミカさんって、お会いすれば、全てわかりますからね」
って、会えば、誤解がすべて解けるって言ってくださいます。
ビジネスの今さんだって、メールが怖すぎて、ガチガチでお会いしに行きました。
そしたら、とんでもなく面白い人で、一気にファンになっちゃいました。
「メールが怖すぎでした」ってお伝えしましたら、「ええ?そうでしたか??それは反省しないと・・・・」
って、笑い話になりましたし。
昨日、おとといの、Mさんも、
メールが急に真面目になってしまって。
それは、別に深い意味ではなく、仕事をしている時は真面目に返すのがふつうですしね。
それが、メールではわかりにくい部分があるから、怖くなってしまうのです。
「何か、気にさわること、してしまったのではないか?」
って、悩んでしまうのです。迷惑かけてしまったのではないか、って。
もう、これが、私の人間関係の終わりの最大な原因です。
メールじゃなければ、なんてことないこと。
お会いすれば、全く何でもない問題だったりします。
メールは、表情がないから、悩んでしまうのです。
「これは、どのような意味なのかな・・・・」
って。
そして、それに対して、こちらも真面目に返します。もちろん絵文字なんて無しで。
だから、相手にも、恐縮されてしまい、
なんか、お互いが、謝ってばかりのかたちで、
なんかとても辛い、悲しい終わり方になってしまったりします。
本当は、お会いして話せば、なんてことないのでしょう。
本当にそう思います。
これから先、メールはなくなることはないでしょう。
ビジネスでも、基本、メールだと思います。
まあ、ビジネスは、ビジネスなので、割り切るべきなので、クリアできるかもしれません。
ただ、大切な人たちとのメール。
絵文字が使えない時、真面目な時、きちんとお伝えしなきゃいけないとき、
本当にうまく伝えていけるか、そして、気にしないでいられる自分になれるか、
これからの課題だと思います。
きちんとしたメールを受け取る時、
「怒らせてしまったのだろうか」「気分を害されてしまったか」「何かしてしまったのか」
そういう想いで押しつぶされそうになり、
結果、「本当にすみませんでした」メールを送り、
それが、逆に、うまく伝わらなくて、終了。
もう、この悪循環パターンから、抜け出そうと思います。
メール、もう、怖がらないようにします。
これからは、
良い意味で、勘違いできるアホなユミカでいたいと思います。
おめでたい人間でいたいと思います。
それで、相手を傷つけず、自分も押しつぶされそうにならないなら、
それでいた方がいいと思います。
すぐには、変えられないと思うけど、
もう、メールで勘違いで、終わりにしたくないから。
アホで、勘違いで、あめでたいヤツと言われても、
もう、「良い」意味でしか、とらないようにしたいと思います。
メール恐怖症、克服します!!!