昨日アップできなかった写真。
南條先生の「寒山拾得」の絵にピッタリ。
この絵は、先生の作品の中では、色が派手すぎ?
というくらい派手。
2000年にニューヨークのソーホーで個展をやった時、描いたもの。
そのころ毎年のようにニューヨークにいっていたけど、テロが翌年あってから、
一度いったきり。
寒山(中国の唐の時代の詩人)の残した詩に
「白雲幽石を抱く」というのがある。よく禅の坊さんが揮毫したりする。
白い雲が、山や森を抱いて、水墨画みたいなイメージ。
この世にあるすべてのものを、包んで、万物が一体になったような姿。
清濁併せ呑む、一物一体(万物一体)、融通無碍・・・そんな意味合い
なものかな。
少しおおげさだけど、自然の中には、そんな大きな包容力があり、その自然に
もたれかかるような境涯の中に、「茶の心」とか「禅の心」みたいなものが、
あまねく存在しているような気がする。
今日は新宿の「夏の大茶会」にいく予定で、朝早くから仕事をしている。
もうひとつの仕事(長屋茶房天真庵)は定休日。
夕方は煎茶のお稽古。お昼はヨネクラジムで、汗を流す予定。
あいかわらず、欲張りな木曜日。
南條先生の「寒山拾得」の絵にピッタリ。
この絵は、先生の作品の中では、色が派手すぎ?
というくらい派手。
2000年にニューヨークのソーホーで個展をやった時、描いたもの。
そのころ毎年のようにニューヨークにいっていたけど、テロが翌年あってから、
一度いったきり。
寒山(中国の唐の時代の詩人)の残した詩に
「白雲幽石を抱く」というのがある。よく禅の坊さんが揮毫したりする。
白い雲が、山や森を抱いて、水墨画みたいなイメージ。
この世にあるすべてのものを、包んで、万物が一体になったような姿。
清濁併せ呑む、一物一体(万物一体)、融通無碍・・・そんな意味合い
なものかな。
少しおおげさだけど、自然の中には、そんな大きな包容力があり、その自然に
もたれかかるような境涯の中に、「茶の心」とか「禅の心」みたいなものが、
あまねく存在しているような気がする。
今日は新宿の「夏の大茶会」にいく予定で、朝早くから仕事をしている。
もうひとつの仕事(長屋茶房天真庵)は定休日。
夕方は煎茶のお稽古。お昼はヨネクラジムで、汗を流す予定。
あいかわらず、欲張りな木曜日。