京都の京大の近くに「進々堂」という喫茶店がある。
「わびすけ」という同志社の近くにある喫茶店が、京都では一番古い、と
されているけど、こちらも80年以上前にできたものだ。
学生時代は、本を持ってよく珈琲を飲みにいたし、東京にきてからも
上洛すると必ず、立ち寄る喫茶店。
このお店にあるテーブルとイスは、後に人間国宝になる黒田辰秋氏がつくった
ものだ。今もそのまま使われている。黒田氏は、塗師(ぬし)の家で育ち、
必然的に家を継ぐためのこころがまえができていた。ある日、京都のギャラリー
のショーケースに飾ってあった陶芸家・河井寛二郎さんの香合(こうごう)を見て、
足がたちすくむほどの衝撃をうけた。その瞬間に、「ぼくも、何か美しいものを
残そう」と思い、木工作家の道を選んだ、
という有名な話がある。運命的な出会い・「邂逅」の大事さを 教わる話だ。
昨日は、巣山定一さんのおじさん、巣山元久さんがきた。
木曾の漆の会の長老であり重鎮。
今回の展示の一番大きな作品、欅のテーブルとイスをつくった作家。
この無駄を削ぎ落としたフォルムを見て、京都の進々堂を思い出した。
昨日は、同じ京都の大学に通った菅ちゃん(近くの酔香の店主)が
漆展を見にきた。ぼくらがまだ現役として、20年くらい元気でやっていける
なら、きっと、次の店には、そのテーブルとイスがあるに違いない。
若くて、これからお店を始めようとか思っている人、これから「ものつくり」
をめざしている人がいるなら、こられて見られるがいい。若い日の黒田辰秋
さんの衝撃を味わえるチャンスかも。
今日は「卵かけごはん」
今日の漆展の店長は、巣山定一さん。長年の友であり、蕎麦打ち仲間でもある。
大家さんの納骨が昨日無事住んだ。86歳になり、
9月に入院するまで、天真庵にくると、巣山さんの片口とぐい飲み
で酒を飲んだ。上喜元や飛露喜なんかが好きだった。昨日は納骨を
終わって、親戚一同が集って、巣山さの酒器で酒を飲んだ。
言葉ではいえないけど、じーんときた。
毎日使う「器」なんで、なんとかしたいものだ。1日の使用料、しかも
毎日使って満足する使用料を考えると、一個1万円くらいする茶碗や
椀であっても、いいのではないかと思う。
「ものの価値」というのは、お金の値段では計れない。
「あの人は器の大きな人だ」という大きさは、大小の問題では
なく、「質」の問題だと思う。
このあたりに、「日本人」しかわからない「真の価値」があるのでは
なかろうか?みんな日本人にもどれれば、いい、ね」
「わびすけ」という同志社の近くにある喫茶店が、京都では一番古い、と
されているけど、こちらも80年以上前にできたものだ。
学生時代は、本を持ってよく珈琲を飲みにいたし、東京にきてからも
上洛すると必ず、立ち寄る喫茶店。
このお店にあるテーブルとイスは、後に人間国宝になる黒田辰秋氏がつくった
ものだ。今もそのまま使われている。黒田氏は、塗師(ぬし)の家で育ち、
必然的に家を継ぐためのこころがまえができていた。ある日、京都のギャラリー
のショーケースに飾ってあった陶芸家・河井寛二郎さんの香合(こうごう)を見て、
足がたちすくむほどの衝撃をうけた。その瞬間に、「ぼくも、何か美しいものを
残そう」と思い、木工作家の道を選んだ、
という有名な話がある。運命的な出会い・「邂逅」の大事さを 教わる話だ。
昨日は、巣山定一さんのおじさん、巣山元久さんがきた。
木曾の漆の会の長老であり重鎮。
今回の展示の一番大きな作品、欅のテーブルとイスをつくった作家。
この無駄を削ぎ落としたフォルムを見て、京都の進々堂を思い出した。
昨日は、同じ京都の大学に通った菅ちゃん(近くの酔香の店主)が
漆展を見にきた。ぼくらがまだ現役として、20年くらい元気でやっていける
なら、きっと、次の店には、そのテーブルとイスがあるに違いない。
若くて、これからお店を始めようとか思っている人、これから「ものつくり」
をめざしている人がいるなら、こられて見られるがいい。若い日の黒田辰秋
さんの衝撃を味わえるチャンスかも。
今日は「卵かけごはん」
今日の漆展の店長は、巣山定一さん。長年の友であり、蕎麦打ち仲間でもある。
大家さんの納骨が昨日無事住んだ。86歳になり、
9月に入院するまで、天真庵にくると、巣山さんの片口とぐい飲み
で酒を飲んだ。上喜元や飛露喜なんかが好きだった。昨日は納骨を
終わって、親戚一同が集って、巣山さの酒器で酒を飲んだ。
言葉ではいえないけど、じーんときた。
毎日使う「器」なんで、なんとかしたいものだ。1日の使用料、しかも
毎日使って満足する使用料を考えると、一個1万円くらいする茶碗や
椀であっても、いいのではないかと思う。
「ものの価値」というのは、お金の値段では計れない。
「あの人は器の大きな人だ」という大きさは、大小の問題では
なく、「質」の問題だと思う。
このあたりに、「日本人」しかわからない「真の価値」があるのでは
なかろうか?みんな日本人にもどれれば、いい、ね」