美味いうどんや。
東京にはなかなかない。昨日は久しぶりに大塚へいった。
一番長く住んでいたところなので、なじみのお店も多い。
天真庵という看板の字を書いてくれた貞本先生の事務所をたずねた。
彼とは大塚駅前の「江戸一」で出会った。書の勉強のため中国に留学して
帰国し、会社をはじめたころで、書や寒山拾得の話、骨董の話をしながら
よく江戸一で飲んだ。
今話題になっている手ぬぐい「出会い」の「張福」という字も彼が書いたものだ。
美しい字というのは、そのままでデザインだと思う。昨年末に開いた個展での
「空」というのも、なかなかいいデザインで、「空から」の街にもよく似合う。
彼の事務所と、昔の天真庵の真ん中あたりにある「うどんや」で、昨日は
剣菱を飲みながら、「空」でTシャツをつくって、ニューヨークかどっかに
売りにいこか・・など空ごとみたいな空想をしながら、4合づつ飲んだ。
このうどんや、は、看板には、すっぽん、ふぐ、と書いてある。10年以上も
前から時々「ふぐ」を食べにいっていた、けど正式な店の名前は知らない。すぐ近くに「大屋美術店」という骨董屋
があり、そこの上に住んでいた「会長」(みながそう呼んでいた)とゴルフ仲間だった
ので、彼がご機嫌の時は、そこか、駅前の三業地の中の料亭で飲んだものだ。
会長は、警備会社の会長で、池袋時代には同じビルに事務所があった。出会ったころは、
釣りに夢中で、会うたんびに、新しい竿やリールが会長室に並んでいた。70を過ぎて
ゴルフを始めた。がんこで、短気だったので、知り合いのプロに頼んで仕込んでもらった。
ある時、北海道までゴルフツアーにいった。羽田の手荷物検査の時に、怪しまれ、係員に
チェックをされた時に、短気な会長はきれた。「おれは、もと警察だ!こんな屈辱は侮辱だ!」
それでも飛行機の座席に座るころは機嫌がもだり、「キャディーさん、毛布ちょうだい」と叫んだ。
正確にいうと、キャディーではなくスチュワーデスだけど、もう心の中はゴルフ場だったんだと思う。
しばらくのめりこんだけど、80を迎える前に、旅立った。
三業地というのは、花街のことだ。大塚は向島と同じく、花街だ。
花のある街、というのは、まわりにおいしいお店があったり、昔の風情が残っていて、いい。
女性が女性を応援する街。今の世の中の縮図みたいで、いい。玉三郎も大塚の三業地で生まれた。
彼の実家も料亭で、今も営業している。ぼくが理事長をしていたITの業界団体「ネット21」の事務所のある
ビルの向かいだった。夕方になると芸者さんが歩いていたり、三味線の音が聞こえてきたりする街。
♪チン、トン、シャン・・・いいね!
東京にはなかなかない。昨日は久しぶりに大塚へいった。
一番長く住んでいたところなので、なじみのお店も多い。
天真庵という看板の字を書いてくれた貞本先生の事務所をたずねた。
彼とは大塚駅前の「江戸一」で出会った。書の勉強のため中国に留学して
帰国し、会社をはじめたころで、書や寒山拾得の話、骨董の話をしながら
よく江戸一で飲んだ。
今話題になっている手ぬぐい「出会い」の「張福」という字も彼が書いたものだ。
美しい字というのは、そのままでデザインだと思う。昨年末に開いた個展での
「空」というのも、なかなかいいデザインで、「空から」の街にもよく似合う。
彼の事務所と、昔の天真庵の真ん中あたりにある「うどんや」で、昨日は
剣菱を飲みながら、「空」でTシャツをつくって、ニューヨークかどっかに
売りにいこか・・など空ごとみたいな空想をしながら、4合づつ飲んだ。
このうどんや、は、看板には、すっぽん、ふぐ、と書いてある。10年以上も
前から時々「ふぐ」を食べにいっていた、けど正式な店の名前は知らない。すぐ近くに「大屋美術店」という骨董屋
があり、そこの上に住んでいた「会長」(みながそう呼んでいた)とゴルフ仲間だった
ので、彼がご機嫌の時は、そこか、駅前の三業地の中の料亭で飲んだものだ。
会長は、警備会社の会長で、池袋時代には同じビルに事務所があった。出会ったころは、
釣りに夢中で、会うたんびに、新しい竿やリールが会長室に並んでいた。70を過ぎて
ゴルフを始めた。がんこで、短気だったので、知り合いのプロに頼んで仕込んでもらった。
ある時、北海道までゴルフツアーにいった。羽田の手荷物検査の時に、怪しまれ、係員に
チェックをされた時に、短気な会長はきれた。「おれは、もと警察だ!こんな屈辱は侮辱だ!」
それでも飛行機の座席に座るころは機嫌がもだり、「キャディーさん、毛布ちょうだい」と叫んだ。
正確にいうと、キャディーではなくスチュワーデスだけど、もう心の中はゴルフ場だったんだと思う。
しばらくのめりこんだけど、80を迎える前に、旅立った。
三業地というのは、花街のことだ。大塚は向島と同じく、花街だ。
花のある街、というのは、まわりにおいしいお店があったり、昔の風情が残っていて、いい。
女性が女性を応援する街。今の世の中の縮図みたいで、いい。玉三郎も大塚の三業地で生まれた。
彼の実家も料亭で、今も営業している。ぼくが理事長をしていたITの業界団体「ネット21」の事務所のある
ビルの向かいだった。夕方になると芸者さんが歩いていたり、三味線の音が聞こえてきたりする街。
♪チン、トン、シャン・・・いいね!