長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

今日は墨だ!で、書の会

2012-06-19 08:59:24 | Weblog
昨日はTQ研究会。ナノの技術や、これまでの物理や科学では、計り知れない世界の
ことが、いろいろでてきそうな世の中になってきた。きっと、このTQ技術も、これから
先の世界えいるを変えていく技術だと思う。おか
げさまで、焙煎豆・ほぼブラジルが、
ものすごく売れてきた。200gに一枚、TQ処理された「元気シール」がついてくる。
毎週600gとか800gを買っていかれ、会社やお店で出す人も増え、元気シールも
その界隈の縁ある人に渡り、またわるさ(いいわるさ)をして、「元気パワー」が静かに
広がっている、そんな手ごたえがある。


昨日は農業関係のお仕事をやっておられるお歴々が
こられ、いろいろ興味深い世界の話をうかがった。「土」というのは、ほんとうにありがたいものだと
痛感する。「卵かけごはん」も、いい土があってこそできるお米や野菜。そしてその野菜をたべて育つ
平飼いの健康な鶏がうむ卵、それにかける醤油も、健康な大地で育つ大豆があってこそ。味噌もしかり。
たかが「土」、たかが「卵かけごはん」の中に、まんだらのような宇宙がある。
「健康で持続可能な世界」・・・土と交わっていると、そんな世界が見えてくる。

今日は「書の会」
文人墨客たちが、「墨だ!」とばかりに、颯爽とやってきて、自分を表現する。
先週貞本さんに井上有一の本を借りて、今読んでいる。サブタイトルが「書は一億人の芸術」
となっている。「習うな」ということだ。
昔から日本の習い事は「修・破・離」(しゅはり)という段階で説明される。
学ぶは、「まねる」からくるけど、「形だけ、まねる」で、せんずりかいてるような輩が多い。
「まねる」の自己満足から、一歩踏み込んで、学び(修)、そこそこできるようになったら、
一度そここからまた踏み込んで(破)、どこにもない自分の世界(離)に到達する。
到達点やゴールのない孤高な「道」のことを、先人たちは「修離離」といってきた。


明日水曜日・木曜日は
「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」
両方を受ける人もでてきた。午前中は珈琲の焙煎の薫りにつつまれ、午後は
煎茶の薫りを楽しむ。
掛け軸は、「金豊樹」を飾ってある。愛知の尾西の金豊舘を思い出した。久保さんの
器をたくさん使っている名店。今ごろ「あゆ」が最高に美味い!