昨日はタイムドメインだった。
それぞれが持ち寄った酒を、まいぐいのみになみなみついで、いろいろな音楽
を聴く。発売になったばかりの大石学さんの「gift」も、yoshii9で聴くと、
一段といい。7月19日のライブが楽しみだ。毎日のように「空いてますか」の電話
を頂戴するけど、おかげさまで、満席御免!です。
江利ちえみさんのCDを聴いた。とても懐かしい。若い友達に
「この人知ってる?」と聞いたら、「名前くらいは・・・」と
友達がいった。イワジーが「映画のさざえさんの役をした人だよ」といっても
「・・・?」という感じだったので、「高倉健がだんなだった」というと、
「え、高倉健が、ますおさんの役だったんですか」ときた。
「な、わけないだろう!」という話になったけど、昭和は確実に
遠くなりにけり。
大塚に素敵な骨董屋さんがあった。天真庵の二階に飾ってある「バンダヂ」(李朝ダンス)
はそこから、譲り受けたものだ。主人が足腰が弱って、家の倉庫に大事に保管していたものを
誰かに譲ろうか、と悩んでいた時に、こちらから拝みたおして、いただいたものだ。
もちろん、いただいた、といっても、「ただでもらった」わけではない。上場企業で上場廃止
になりそうな会社員の夏のボーナスくらいの値段はした。
そのお店の片隅に、蓄音器が置いてあった。ぼくが遊びにいくと、主人は小さな宝瓶に
玉露を入れてくれて、井上春峰の白磁の玉露茶碗に注いでくれた。時々、その蓄音器
を鳴らしてくれた。ぼくのおきにいりは、江利ちえみさんのテネシーワルツ。
押上に天真庵をつくる話をした時も、「それは、うきうきするね」と目を輝かせながら、
ふたりでテネシーワルツを聴いた。寄る年波にかてず、今年の賀状で、骨董屋を閉めたとの
近況を知った。池袋の天真庵の近所に、その骨董屋がなければ、たぶん、押上にはこなかったし、
煎茶の先生になることもなかったような気がする。その主人が夏の暑い日に入れてくれた
冷たい玉露の味も忘れ難き一杯。そんな「忘れがたき一杯」の珈琲や煎茶を供するお店に
したいものだ。まだまだ精進せねば。
それぞれが持ち寄った酒を、まいぐいのみになみなみついで、いろいろな音楽
を聴く。発売になったばかりの大石学さんの「gift」も、yoshii9で聴くと、
一段といい。7月19日のライブが楽しみだ。毎日のように「空いてますか」の電話
を頂戴するけど、おかげさまで、満席御免!です。
江利ちえみさんのCDを聴いた。とても懐かしい。若い友達に
「この人知ってる?」と聞いたら、「名前くらいは・・・」と
友達がいった。イワジーが「映画のさざえさんの役をした人だよ」といっても
「・・・?」という感じだったので、「高倉健がだんなだった」というと、
「え、高倉健が、ますおさんの役だったんですか」ときた。
「な、わけないだろう!」という話になったけど、昭和は確実に
遠くなりにけり。
大塚に素敵な骨董屋さんがあった。天真庵の二階に飾ってある「バンダヂ」(李朝ダンス)
はそこから、譲り受けたものだ。主人が足腰が弱って、家の倉庫に大事に保管していたものを
誰かに譲ろうか、と悩んでいた時に、こちらから拝みたおして、いただいたものだ。
もちろん、いただいた、といっても、「ただでもらった」わけではない。上場企業で上場廃止
になりそうな会社員の夏のボーナスくらいの値段はした。
そのお店の片隅に、蓄音器が置いてあった。ぼくが遊びにいくと、主人は小さな宝瓶に
玉露を入れてくれて、井上春峰の白磁の玉露茶碗に注いでくれた。時々、その蓄音器
を鳴らしてくれた。ぼくのおきにいりは、江利ちえみさんのテネシーワルツ。
押上に天真庵をつくる話をした時も、「それは、うきうきするね」と目を輝かせながら、
ふたりでテネシーワルツを聴いた。寄る年波にかてず、今年の賀状で、骨董屋を閉めたとの
近況を知った。池袋の天真庵の近所に、その骨董屋がなければ、たぶん、押上にはこなかったし、
煎茶の先生になることもなかったような気がする。その主人が夏の暑い日に入れてくれた
冷たい玉露の味も忘れ難き一杯。そんな「忘れがたき一杯」の珈琲や煎茶を供するお店に
したいものだ。まだまだ精進せねば。