昨日は京都の「好日居」の女主人がきて、楽しい茶会をやった。お茶はほんまにおもろいし、楽し。人生がキラキラ
輝いてくる。黙っていてもだめ、したいと思ってもだめ、自分で動いて、自分の五感を素直に磨いていないとわからへん。
「こーひーいる」と読む人がいるけど、珈琲煎る、つまり焙煎ではない。「こうじつきょ」
という。禅の言葉で「日々是好日」というのと、もっとも禅の真髄を現している「居」
というを名前にした、とても京都らしい名前だ。天真庵でもお茶会は二回目。「喫茶去」これは「きっさこ」。「きっさきょ」はブー。
昨日は5時に蕎麦打ちにいこうとしたら、庭の池の端に、水仙が白いつぼみを
かかげていた。「もっていって」という声がしたので、袴の下を少しほって、
お店にもっていった。そして袴をとり、花の茎をそうろうとぬき、二枚づつ葉っぱを
とり、二枚かさね袴を一枚予備にとって、そこに一番長い葉っぱを「真」にみたて、二枚組をつくり、
それに対になるバランスで短い二枚組をいれ、最後に花の茎を入れる。
言葉にすると簡単だけど、やわらかい葉っぱたちを、くみなおしていれる、には、かなり
訓練と鍛錬と呼吸を整えないといけない。日本人が昔からこの季節に飾ってきた作法である。
それをお店に飾っていたら、そろそろお客さんがくる、という16時過ぎに花が咲いた。
「花を見る、花も見ている」というか、ちゃんと出番がわかっているのが、いい。
今日はシャンソンのライブがあるので16時に閉店。
天真庵が始まって以来、本日のシャンソンほど、「もうしわけない。席がいっぱいなんです。すんませんな」
とお断りしたことがない、くらいお断りした。きたくてこれんかったお客さんには、本当に申し訳ない。
毎月、浅草のリトルシアターでやっておられるので、どうぞおでかけください。感謝。