瀬戸やった。昨日は午前中に「卒啄珈琲塾」。
初めての女子がいたので、「ほうろく」というお茶を煎る道具で珈琲豆を焙煎
する講座をやった。ほうじ茶ならぬほうじ珈琲だ。だんだん青白い生豆が
黄色くなり茶色になり、ぱちぱちはぜたり、芳香な香りをはなったりする様子が
五感いっぱいにひろがる。琥珀色の悪魔とはいいえて妙だ。
煎りたての珈琲豆を、石臼でガリガリ挽く。そのガリガリが焙煎直後と時間が
たったのでは、ガリガリの音と手ごたえが違う。頭とかネットだけで得た薄っぺらい知識
と、自分の手でやったのとの違いは、豆と地球くらい大違いやと思う。先日書いた「不失花」
というのは、能だけでなくあらゆる「道」に通じることで、つきつめると「毎日こつこつと同じ
ことを稽古しなさい」ということになるのかもなんばん。そばにしても、珈琲にしても、誰が
やっても、そこそこのものができるけど、その先の突き抜けた世界にいくのは、並大抵の努力ではいけへん。
夜は「無茶しぃの会」だった。先月能登に越していったそばのお弟子様と彼女のお弟子さまが、習いにきた。
畳も先月に福岡の老舗@「小西畳店」からきた新しいやつの上に、煎茶の道具を並べ、お手前を披露。
軸は、黄檗山の隠元和尚の次の「木庵」。花器は久保忠廣さんの伊賀、そこに藪椿を投げ入れた。
不思議な縁だけど、先日お茶の仲間が自宅の庭からもってきてもらったものだが、能登は日本一の藪椿の産地。
廊下の短冊に南條先生が書いた絵と同じ構図。昔池袋で、久保さんのその花器と、近くの公園で調達
した椿の絵に、「お互いが光る世に」と書いてある。器は料理の着物と、魯山人先生はのたまったが、
南條さんのその表現もなかなかおもしろい。
外は雨が降っていたけど、なかなか素敵なお茶会ができた。
今日も同じように、これから「卒啄珈琲塾」で夕方が「無茶しぃの会」
明日は、佐賀のがばいじいちゃんの葬儀があるので16時で閉店にさせていただく。鎮魂。