昨日は、「クラシック寺子屋」だった。
いっけんとっつきにくそうなテーマだけど、元気な女子が
たくさん参加された。林太郎くんの面目躍如。ピアニストは
もてるのだ。一見、関西の下関系の若いもんみたいな風采だけど、
ピアノを奏でる姿は、クレイダーマン?にも負けないくらいカッコいい。
午前中に、ショールームの絵を衣替えし升たかさんの「裸婦」
にした。墨の濃淡で女性の裸の美しさを見事に表現している。
とくに微妙なところが、妙に艶冶に表現されている。
いつもは、二階に掛軸として飾っていたのだが、たまには外を
見るのもいいかと思い飾ってみた。「アート」というのは、人を
寄せ付ける力がある。昨日はこの裸婦にひかれて、いろいろな人がきた。
今日は天真庵の一番古い教室。「順受の会」(論語の会)だ。
世のなか、静かだけど、論語のブームらしい。
「ハウツーもの」もよくでている。
「ビジネスマンの論語」・・・タイトルがいやらしい。「売ろう」
という作為が見える。買うほも「これ読むと給与があがる」
と思って買うのだろうか?
「雑誌にでているお店だから」というような人が集う店は、そこの
お店の料理を食べているというよりも、雑誌を食べているようで
気持ちが悪くなる時がある。
論語といえば「人不知而不慍」(人知らずして、慍(うら)みず)
人に評価されようとか、評判になるためにやっているのではない。
誰が見てなくても、自分自身のためにやっているんだ。そんな気骨
が必要な時代かも知れない。
「順受の会」では、いろいろなことを学ばさせてもらっている。感謝。
明日は休みだけど、「二階で落語かい」
似合いすぎるほど、落語にぴったりな二階だけど、開店して以来、
落語は先月がはじめて。明日で二回目。15年以上続いている「論語の会」
も、はじめは一回目だった。人が数人のときもあった。
「こころざし」さへしっかりしていると、続くものだ。
お祭りの続いている街は、やはりいい街。いい街には、いい人が
いっぱいいる。いい人をいっぱいにするには、まず自分がいい人
になることだ。
いっけんとっつきにくそうなテーマだけど、元気な女子が
たくさん参加された。林太郎くんの面目躍如。ピアニストは
もてるのだ。一見、関西の下関系の若いもんみたいな風采だけど、
ピアノを奏でる姿は、クレイダーマン?にも負けないくらいカッコいい。
午前中に、ショールームの絵を衣替えし升たかさんの「裸婦」
にした。墨の濃淡で女性の裸の美しさを見事に表現している。
とくに微妙なところが、妙に艶冶に表現されている。
いつもは、二階に掛軸として飾っていたのだが、たまには外を
見るのもいいかと思い飾ってみた。「アート」というのは、人を
寄せ付ける力がある。昨日はこの裸婦にひかれて、いろいろな人がきた。
今日は天真庵の一番古い教室。「順受の会」(論語の会)だ。
世のなか、静かだけど、論語のブームらしい。
「ハウツーもの」もよくでている。
「ビジネスマンの論語」・・・タイトルがいやらしい。「売ろう」
という作為が見える。買うほも「これ読むと給与があがる」
と思って買うのだろうか?
「雑誌にでているお店だから」というような人が集う店は、そこの
お店の料理を食べているというよりも、雑誌を食べているようで
気持ちが悪くなる時がある。
論語といえば「人不知而不慍」(人知らずして、慍(うら)みず)
人に評価されようとか、評判になるためにやっているのではない。
誰が見てなくても、自分自身のためにやっているんだ。そんな気骨
が必要な時代かも知れない。
「順受の会」では、いろいろなことを学ばさせてもらっている。感謝。
明日は休みだけど、「二階で落語かい」
似合いすぎるほど、落語にぴったりな二階だけど、開店して以来、
落語は先月がはじめて。明日で二回目。15年以上続いている「論語の会」
も、はじめは一回目だった。人が数人のときもあった。
「こころざし」さへしっかりしていると、続くものだ。
お祭りの続いている街は、やはりいい街。いい街には、いい人が
いっぱいいる。いい人をいっぱいにするには、まず自分がいい人
になることだ。
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