長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

二階で落語かい

2011-07-27 10:37:45 | Weblog
今夜は、二回目。

ぼくのHPに「蕎麦WEB博覧会」?そんなバナーが
貼り付けてある。その中に天真庵が紹介されていて、その写真
は、先月の落語会の写真が貼り付けてある。
ま、それはともかく、ここに紹介されている蕎麦屋を見ていると、
今すぐいってみたいところが、あまたある。
「幸せになれる蕎麦屋」を知っている人(楽しみ方を)は、幸せな
人だと思う。なんでも「使いこなす」という努力がないと、奥深い
幸せは味わえない。
でてきた蕎麦を写真に撮ろうなんていうのは、間がぬけた感じやし、
ほんまに伸びてしまう。いつから日本人はみな間抜けになったんやろ。

そんなわけで、今日も東京に居る。

今日の「ひとりごと」に、天真庵のトイレにある南條先生の絵「居」
について書いた。先日大石学さんのピアノの音に、「居」の意味を
教えられた気がした。
蕎麦の実も、毎日食べるごはんも、珈琲の豆も、ひとつぶひとつぶが、
「命」で、だれかが手をかけて生かし育てたものだ。粒々皆辛苦のたまもの。
だから昔から日本人は、ごはんを食べるときに、「いただきます」と、感謝しながら
命をいただいてきた。
「居」 ここにこうして、生かされている自分がいて、生かされている君と
いっしょに、居て、いっしょに珈琲を飲んだり、ごはんを食べたり、ときには
お酒を飲んだり、音楽を楽しんだり・・・そんな人生の妙な「えにし」に素直
に感謝するような意味が「居」の中に、居る。

昨日は「順受の会」だった。一番古い勉強会。
論語や陽明学やときどきは「禅」みたいなことを、机を並べ
学び、酒を酌み交わしながら談論風発をする日。まさに「共育」。
「喫茶去」や「居」をともに体感しながら、人生の妙味を味わう会。

2010/04/28(723)の「ひとりごと」に登場するピアニストの金崎美和子
さんが、先日旅立たれた訃報がはいる。
酸素ボンベを携えて二度も天真庵でピアノを演奏してくれた。
「何の病気ですか?」と訪ねたら、「軽い肺炎」と笑っておられたけど、
そんなはずはなかった。最後まで、気骨にあふれたピアニストだった。鎮魂。




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