今夜は、二回目。
ぼくのHPに「蕎麦WEB博覧会」?そんなバナーが
貼り付けてある。その中に天真庵が紹介されていて、その写真
は、先月の落語会の写真が貼り付けてある。
ま、それはともかく、ここに紹介されている蕎麦屋を見ていると、
今すぐいってみたいところが、あまたある。
「幸せになれる蕎麦屋」を知っている人(楽しみ方を)は、幸せな
人だと思う。なんでも「使いこなす」という努力がないと、奥深い
幸せは味わえない。
でてきた蕎麦を写真に撮ろうなんていうのは、間がぬけた感じやし、
ほんまに伸びてしまう。いつから日本人はみな間抜けになったんやろ。
そんなわけで、今日も東京に居る。
今日の「ひとりごと」に、天真庵のトイレにある南條先生の絵「居」
について書いた。先日大石学さんのピアノの音に、「居」の意味を
教えられた気がした。
蕎麦の実も、毎日食べるごはんも、珈琲の豆も、ひとつぶひとつぶが、
「命」で、だれかが手をかけて生かし育てたものだ。粒々皆辛苦のたまもの。
だから昔から日本人は、ごはんを食べるときに、「いただきます」と、感謝しながら
命をいただいてきた。
「居」 ここにこうして、生かされている自分がいて、生かされている君と
いっしょに、居て、いっしょに珈琲を飲んだり、ごはんを食べたり、ときには
お酒を飲んだり、音楽を楽しんだり・・・そんな人生の妙な「えにし」に素直
に感謝するような意味が「居」の中に、居る。
昨日は「順受の会」だった。一番古い勉強会。
論語や陽明学やときどきは「禅」みたいなことを、机を並べ
学び、酒を酌み交わしながら談論風発をする日。まさに「共育」。
「喫茶去」や「居」をともに体感しながら、人生の妙味を味わう会。
2010/04/28(723)の「ひとりごと」に登場するピアニストの金崎美和子
さんが、先日旅立たれた訃報がはいる。
酸素ボンベを携えて二度も天真庵でピアノを演奏してくれた。
「何の病気ですか?」と訪ねたら、「軽い肺炎」と笑っておられたけど、
そんなはずはなかった。最後まで、気骨にあふれたピアニストだった。鎮魂。
ぼくのHPに「蕎麦WEB博覧会」?そんなバナーが
貼り付けてある。その中に天真庵が紹介されていて、その写真
は、先月の落語会の写真が貼り付けてある。
ま、それはともかく、ここに紹介されている蕎麦屋を見ていると、
今すぐいってみたいところが、あまたある。
「幸せになれる蕎麦屋」を知っている人(楽しみ方を)は、幸せな
人だと思う。なんでも「使いこなす」という努力がないと、奥深い
幸せは味わえない。
でてきた蕎麦を写真に撮ろうなんていうのは、間がぬけた感じやし、
ほんまに伸びてしまう。いつから日本人はみな間抜けになったんやろ。
そんなわけで、今日も東京に居る。
今日の「ひとりごと」に、天真庵のトイレにある南條先生の絵「居」
について書いた。先日大石学さんのピアノの音に、「居」の意味を
教えられた気がした。
蕎麦の実も、毎日食べるごはんも、珈琲の豆も、ひとつぶひとつぶが、
「命」で、だれかが手をかけて生かし育てたものだ。粒々皆辛苦のたまもの。
だから昔から日本人は、ごはんを食べるときに、「いただきます」と、感謝しながら
命をいただいてきた。
「居」 ここにこうして、生かされている自分がいて、生かされている君と
いっしょに、居て、いっしょに珈琲を飲んだり、ごはんを食べたり、ときには
お酒を飲んだり、音楽を楽しんだり・・・そんな人生の妙な「えにし」に素直
に感謝するような意味が「居」の中に、居る。
昨日は「順受の会」だった。一番古い勉強会。
論語や陽明学やときどきは「禅」みたいなことを、机を並べ
学び、酒を酌み交わしながら談論風発をする日。まさに「共育」。
「喫茶去」や「居」をともに体感しながら、人生の妙味を味わう会。
2010/04/28(723)の「ひとりごと」に登場するピアニストの金崎美和子
さんが、先日旅立たれた訃報がはいる。
酸素ボンベを携えて二度も天真庵でピアノを演奏してくれた。
「何の病気ですか?」と訪ねたら、「軽い肺炎」と笑っておられたけど、
そんなはずはなかった。最後まで、気骨にあふれたピアニストだった。鎮魂。
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