昔から、正月に新しい水を汲んで、書をかく習慣があり、「書き初め」(かきぞめ)と
いった。昨日は「書をしよう会」で書き初め。「筆始め」ともいう。
またまた、股の話をすると、男子が童貞を捨てるお手伝いをすることを、「筆おろし」
といった。遊廓とか花街のおねえさんたちが、一役かってくれた。そして、男と女の
事始めのことを「姫はじめ」という。仕事始めといってもPCなど無い時代は、田んぼ
にいって神様をお祭りする儀礼から始まった。ゆかしき時代である。
ギャラリー・アビアントで先週まで「すみだで墨だ」?そのようなイベントがあり、
貞本先生の「赤い雪」と「赤」という字が、お歴々の書といっしょに展示されていた。
昨日、先生がいつものようにゆっくりと深い呼吸をしながら、「赤」を書いた。
あたり前だけど、+と-、土から書く。プラスとマイナス、陰陽であり、大地と太陽の光を
現す象形文字でもある。いい字を床の間(死語になりつつある)、か、それが輝く場所
に飾り、それを見つめているだけで、幸せな気分になる。できたら洋間より和室がいい。
日本人は、「坐る」という生活の中から、いろいろな文化を育んできた。床の間は
その集大成であり、小さな美術館。どこの家にも美術館があった。
坐るという字は、土の上にふたりの「人」を現す。自我と自己。その調整をするのが坐る。
禅林や書家や画家や陶芸家たちは、坐して、寒山拾得を書いたり、円相を書いたり、
茶を飲んだりしながら人格を陶冶し、たかみを目指しながら生きてきたのだ。
明日から天真庵の「味噌始め」だ。夜は「福」の会。事始め、筆始め、姫始め、味噌始め・・・
人間のほんとうの幸福、というものは、ほんの小さな一歩から始める。
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