岐阜の山奥の温泉にいく途中で見つけた古い行燈がある。まわりには
和紙が張ってあって、よくよく見ると、大福帳らしき文字が並んでいた。
表に、「てんしんあん」とあだっちゃん(書の会の古株)に書いてもらって、玄関の横に
おいていた。夜になったら灯りをつけていたけど、営業が19時までなので、
ほとんど人眼につかず、まさに「昼行燈」(役にたたない人のことを、「ヒルアンドン」という)。
昨日お客さんに「誕生日プレゼント」といわれ、川口葉子さんの新しいカフェのエッセーをいただいた。
京都のカフェと、「好日居」という古い町屋を改装してカフェをやっておられる女主人を通して、京都
で次々と紡がれていく不思議なシンクロニシティー(必然のような偶然)がつづられていた。
好日居の女主人は、暑い暑い(京都では、暑さを強調したいとき、こんな風に二度言いをしはる)日
に天真庵の二階でお茶会をやったことがある。まるで「売茶翁」(ばいさおう)みたいな出で立ちやった。ん
今年は売茶翁没後250年。その新刊にも「売茶翁」のことが紹介されている。「無茶しぃの会」の
人らにもおすすめの本。本のタイトルは、「古いアパートメントがなんちゃら」みたいなんや?
上方(京都・大阪)から江戸に渡ってくるものを「下る」といった。書画骨董やお茶、お酒・・・など
下ってこないものを「下らない」というのはそのなごり。二階に飾ってある書や茶道具も、上さんは
「下らない」とか「またこんなもの買ってきて」とかあきれていうことがあるけど、ほんまは
「下ってきたもんじゃ」。煎茶の総本山みたいな黄檗山も、京都にある。最近の珈琲店の傾向を
見ても、西のほうが元気がいい。「喫茶去」の源流はやはり京都あたりにある。
最近は京都にいっても、田舎の方ばかりで、出町柳(京都の町を出る、という境目の町)より内
を散歩していないけど、「上らない」というレッテルもなんやし、ひさしぶりに「あぶり餅」でも食べに
いこうかしらん。からふねや時代の友達もなんやら不思議なカフェをはじめよったらしいし・・
今日は「書をしよう会」
その昼行灯を二階においたら、艶冶な空間を醸し出す。使いようによっては「下らない」ものも、役にたつ。
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