「ばいさおう」という。佐賀に住み黄檗山の禅僧だったのだが、58歳の時に野に下って上洛し、
茶を売りながら、禅や茶の風合いを伝授していった。伊藤若冲、池大雅、頼山陽など、
文人たちとの交流を通じて煎茶が広まっていった。
別名「文人茶」とか「批判茶」とかいわれる所以。
抹茶に比べて、座敷とか庭とか道具にこだわらず、いつどこでもかまわないという
融通無碍で、自由。そのぶん、各人の「自楽」というか、自分を磨くため、というところに
重点がおかれているようにも思う。勝手気ままではなく、そこに共通する「精神的文化力」
みたいなものが、とても重要。抹茶のマネをしていたのでは、のみこまれる。
昨日は「味噌つくり」の一日目。元気な女子が味噌つくりをやっている時に、「煎茶道」
の古い文献を読んでいると、そんな宿題みたいなことが書いてあった。店をオープンする前に
読んだときは、そこの一文が焼きつかなかった。華道評論で日大の教授でもあったYさんの評論。
Yさんの娘さんが、天真庵の常連になることなど、そのころは、つゆとも思わなかった。
人と人の縁とは、ほんとうに不思議なものだ。
「無茶しぃの会」、いよいよ静かにスタートする。22日(水)が事始め。
今日は午前中に雑誌の取材。ご老人たちが、生きがいをもって過ごすことを応援する雑誌。
午後は、お仕覆の会。大事な煎茶道具やお花の道具を、包み込む袋をつくる教室。
お茶、お花と同じく、二階の和室で坐ってやる。「坐る」というところに、日本の文化の「道」
につながる大事なものがある。「無茶しぃの会」も、道具や服装や作法は、不問。でも「坐って飲む」
を基本にしたい。
茶を売りながら、禅や茶の風合いを伝授していった。伊藤若冲、池大雅、頼山陽など、
文人たちとの交流を通じて煎茶が広まっていった。
別名「文人茶」とか「批判茶」とかいわれる所以。
抹茶に比べて、座敷とか庭とか道具にこだわらず、いつどこでもかまわないという
融通無碍で、自由。そのぶん、各人の「自楽」というか、自分を磨くため、というところに
重点がおかれているようにも思う。勝手気ままではなく、そこに共通する「精神的文化力」
みたいなものが、とても重要。抹茶のマネをしていたのでは、のみこまれる。
昨日は「味噌つくり」の一日目。元気な女子が味噌つくりをやっている時に、「煎茶道」
の古い文献を読んでいると、そんな宿題みたいなことが書いてあった。店をオープンする前に
読んだときは、そこの一文が焼きつかなかった。華道評論で日大の教授でもあったYさんの評論。
Yさんの娘さんが、天真庵の常連になることなど、そのころは、つゆとも思わなかった。
人と人の縁とは、ほんとうに不思議なものだ。
「無茶しぃの会」、いよいよ静かにスタートする。22日(水)が事始め。
今日は午前中に雑誌の取材。ご老人たちが、生きがいをもって過ごすことを応援する雑誌。
午後は、お仕覆の会。大事な煎茶道具やお花の道具を、包み込む袋をつくる教室。
お茶、お花と同じく、二階の和室で坐ってやる。「坐る」というところに、日本の文化の「道」
につながる大事なものがある。「無茶しぃの会」も、道具や服装や作法は、不問。でも「坐って飲む」
を基本にしたい。
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