解体現場から譲りうけたカウンターが蘇った。
みんなうれしくなって、ビールとワインで乾杯した。
あまりに、雰囲気がいいので、終電の時間も忘れて、飲んだ・・
新しい素材では、醸し出せない雰囲気が、「骨董」にはある。やはりそこに「人」がかかわっているから。
住宅展示場やマンションギャラリーなどは、どんなにいい内装しても、高級な家具
をおいても、「冷たい感じ」がする。それは、当たり前。人が住んでいないから・・
でも、匿名性のある都会には、セキュリティーみたいな「お金で買う安全」
はあるけど、みんなで「守りあう」みたいなぬくもりがない。
「ロハス」・・・自然の中でゆっくり暮らす・・ちょっと功なし名をとげた人たちが優雅に暮らす・・みたいなイメージがあるけど、草木や鳥の名前は知らず、へび
も魚もつまめない、ような人たちには、できるものではない、ような気がする。
「できる一」から、新しいこと(釣りをする、山に登る、きのこをとる、料理をする、陶芸など趣味をやる・・・)にチェレンジしていかないと、むずかしいと思う。商品化したようなものには「味」がない。
好きでない仕事をしていく、ってつらいように、好きでない趣味を持ってもしょうがない。「寝食を忘れるくらい好きなこと」をひとつ持つ、って大事なことやね、最近そう思う。やはり「自分」の問題やと思う。
みんなうれしくなって、ビールとワインで乾杯した。
あまりに、雰囲気がいいので、終電の時間も忘れて、飲んだ・・
新しい素材では、醸し出せない雰囲気が、「骨董」にはある。やはりそこに「人」がかかわっているから。
住宅展示場やマンションギャラリーなどは、どんなにいい内装しても、高級な家具
をおいても、「冷たい感じ」がする。それは、当たり前。人が住んでいないから・・
でも、匿名性のある都会には、セキュリティーみたいな「お金で買う安全」
はあるけど、みんなで「守りあう」みたいなぬくもりがない。
「ロハス」・・・自然の中でゆっくり暮らす・・ちょっと功なし名をとげた人たちが優雅に暮らす・・みたいなイメージがあるけど、草木や鳥の名前は知らず、へび
も魚もつまめない、ような人たちには、できるものではない、ような気がする。
「できる一」から、新しいこと(釣りをする、山に登る、きのこをとる、料理をする、陶芸など趣味をやる・・・)にチェレンジしていかないと、むずかしいと思う。商品化したようなものには「味」がない。
好きでない仕事をしていく、ってつらいように、好きでない趣味を持ってもしょうがない。「寝食を忘れるくらい好きなこと」をひとつ持つ、って大事なことやね、最近そう思う。やはり「自分」の問題やと思う。
> 「できる一」から、新しいことにチェレンジしていかないと、むずかしいと思う。
> 「寝食を忘れるくらい好きなこと」をひとつ持つ、って大事なことやね、最近そう思う。
→ 同感ですね。「長屋茶房」への訪問が楽しみです。感謝合掌
抜け殻のように、生きていくだけの生活、これも有りなのかな?って、少し思っていました。
侵食を忘れるくらい好きなこと・・・、探します。
みたいなことが、だんだん少なくなってきますね。
とても大切なことだと思うのですが・・・