峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

大黒様の話

2006年05月29日 10時41分04秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話
昨日は実家に行ってきました。
母方の祖父母の代からの家なので、物が山ほどあります。
しばらくしたら引越しする予定なので、片付けなければならないのですが、
昨日は父の御守りコレクションだけ少し整理してきました。
(焼け石に水)

父は御守り袋を自分で手作りしたり、紐を付けて日替わりで首に下げるのが趣味でした。
それも仏教・神道・キリスト教・ヒンズー教(?)・その他怪しげな神様みたいなのが混然と。
ある意味、視野が広い? それともいい加減?

中には、よくこんな不気味な物や重いものをぶら下げたもんだと思う物も。
         


父は七福神なども好きでしたが、この掛け軸にはこんな秘話が。
         


ある日、父の夢に大黒様が出てきたそうな。
大黒様が、自分の目の前にワッとかぶさってくる夢だったそうです。

父は生前、世田谷のボロ市に欠かさず行っていました。
その日だったか、しばらくしてだったか、ちょうどボロ市の開かれる日だったので行ったら、
路上で掛け軸を売っていたそうです。
丸めたまま、山のように積んである中で、
「これだ」と感じるものがあったので、広げてみたら、
まさに夢に出てきた大黒様だったとか。
それがこの掛け軸ですって。
父は結構ヘンな人でした。

なお、トップの画像は母方の祖父が大事にしていた大黒様の彫刻。
昨日もらってきて、次男の部屋に安置しました。
次男は趣味が、私や父に似てるかも。


2015.11.24 追記
ふと思い立って調べたところ、大黒様の作者は たぶん、田辺力弘氏という方ではないかと思います。
(裏に「力弘 作」と記されている)
また、「贈 鈴木孝昌」とありますので、その方から頂いたものでしょうか。
(敬称がないので、贈った方の名前かと思います) 

鉄の橋が掛かったら

2006年05月25日 10時38分10秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話
弘法大師伝説で、こんなのがあります。

昔、讃岐の国で狐を調伏した弘法大師、狐に向かって言ったとか。
「汝等しばらくこの地から去るべし。」
すると、一匹の古狐が反問した。
「しばらくって一体何時頃までですか?」
「鉄の橋のかかるまで。」

瀬戸大橋が開通したのが、1988年4月。

四国を日本の雛型と考えたとして、
(日本を世界の雛型とするほど形は似ていないけど)
この頃から不可解な凶悪犯罪、
連続殺人事件などが頻発してきたように感じるのは、こじつけでしょうか。

じつはこれ、瀬戸大橋が作られることをニュースで報道されたときに、
今は亡き父が弘法大師伝説を思い出して心配していたことでした。
「昔は鉄の橋が架かるなんて有り得なかったから言ったのかもしれないけど、
 本当に鉄の橋が架かるんだなあ」 と。
もっとも父は逆に覚えていて、四国の狐が本州にやってくると心配してたような気もします。

戯言として読み流してくださいね。
本気で思っているわけではないので。


画像は青梅・薬王寺の弘法大師像。
たまたまこの前のゴールデンウィークに行ったとき撮ってきました。
使えてラッキー

祖父の霊の仕業かいな?

2006年05月13日 10時25分43秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話
昨日の「ちょいと不思議な話」カテゴリー収録話は、それほど不思議ではありませんでしたね。
不思議な話は大好きなんだけど、私の人生でいかにも不思議って話はあまりありません。

その中で一番不思議だったのは、大学4年生のときのこと。
卒論を書くために、神田の古本街を見て回っているときのことでした。

私の卒論は、『山岳宗教についての考察~天狗信仰~』とかいうタイトルで、
とにかく50枚書ければいいやという、写真と引用をふんだんに使ったインチキ卒論でした。

ある古書店に入ると、宗教関係の本は地下にありました。
卒論に使えそうな本を探していると、私が1歳になる前に亡くなった父方の祖父の著書がありました。

祖父は昭和前半時代にちょっと有名だった人で、何冊か著書があります。
しかし、祖父の本は宗教関係の書棚に分類される本ではありませんでした。

私は、「へえ~、とうとうちゃんの本だ」(父方の祖父のことは‘とうとうちゃん’と呼んでいた)
と思いながら手にとって見ました。

表紙の裏に、「○○○○さんへ」と書いた祖父の直筆サインがありました。

そのときは本を書棚に戻して帰りました。
自分に必要な本じゃなかったし。

家に帰ってから、父にその話をしました。
すると父は、
「お父さんは人に贈った本が売られるのを嫌がる人だったからなあ。買ってきてくれよ」
と、本代をくれました。

何日かして、私は再び神田のその古書店に行きました。
地下への階段を下り、宗教関係の書棚をくまなく探しましたが、祖父の本がありません。
決っっして売れるような本ではないので、(とうとうちゃん、ごめん
階段を上がってレジにいた若い男の店員さんに、
「階段の下に、○○○○○の本が前にあったんですけど?」と聞きました。

すると店員さんは、レジ前の列の本棚を指差し、
「その関係の本なら、そこの棚にあります」と言いました。

探してみると、たしかに前に見たのと同じ、祖父のサイン入りの本が1階の書棚にありました。
私は狐につままれた思いでその本をレジに持っていき、会計してもらいました。
そして店員さんに聞きました。
「この本、前は地下の本棚にありましたよね?」

すると店員さんは、変なことを言う人だといわんばかりの薄ら笑いを浮かべ、
「いえ、この関係の本は地下じゃありません。ずっとそこにありました」
と言いました。

気の弱い私は黙って引き下がりましたが、
そんなはず ないですよぉ
地下のあの場所になかったら、私が気がつくはずがないんだから。
とうとうちゃん、よっぽど自分の本を買って欲しかったのかなあ。


なお、今回の画像は某サイトから拝借した祖父の写真です。
モザイク モザイク
そのまま使っても誰も知らないと思うけど。


地球と宇宙を初めて知ったときの話

2006年05月12日 17時45分27秒 | 不思議だったり、そうでもなかったりの話
たぶん3歳から4歳くらいのときだと思いますが、
一番上の兄(10歳上)が、友達から自転車を買いました。
当時流行っていたスポーツタイプのドロップハンドル。
昔は新しい物が家に来ると、誰のものであれ興奮してワクワクしたものでした。
だって、電話を家に引いたのだって、せいぜいその1~2年前ですもん。
うち、4人兄妹で決して金持ちじゃなかったし。

その自転車を兄が家に持って来たとき、もう夕暮れも過ぎてあたりは暗くなっていました。
兄は、「ちょっと一回りしてくる」といって、自転車に乗って門を出て行きました。

私は、兄が走っていった道とは、反対の方向の四つ角へ行きました。
「ぐるっと回ってそっちから帰るだろう。自転車に乗って帰ってくる兄を見たい」
と思ったからです。
(幼いのに結構賢いじゃ~ん)

暗くなった住宅街には人通りはありませんでしたが、先の四つ角からこちらに来る人に気がつきました。
大きさは普通の大人の大きさ。
全身が発光した夜光塗料のような緑色に光っていました。

私はものすご~く恐くなり、それをひと目見るなり家に逃げ帰りました。
玄関には三番目の兄(5歳上)がいて、「どうしたの?」と聞くから、理由を話しました。
兄は、「もう一回見に行こう」といいました。
私は恐かったので嫌だといいましたが、兄は私の手を引っ張り、
「ぼくもいっしょに行くから大丈夫だよ。見に行こう」と、さらに引っ張りました。
私はしぶしぶ兄に付いていきました。

四つ角に行くと、もう光る人はいませんでした。

家に帰って、その話を父にすると、父は、
「ふーん。宇宙人だったかもしれないね」と、言いました。

‘宇宙’という言葉は、私には初めて聞く言葉でした。
父は説明してくれました。
「人間はね、地球という星の上にいるんだよ。地球は丸くて、宇宙に浮いているんだ。
 そして地球の外の、宇宙から来た人を宇宙人というんだよ」

私はものすごく不思議で不安な気持ちになりました。
自分がそんな不安定な場所で生きていたなんて

そのときが、初めて私が‘宇宙’と‘地球’を知った瞬間でした。

緑色に光る人は、幼い子供の目の錯覚かもしれません。
ろくに確かめもしないで逃げちゃったんだから。

でも、自分が宇宙に浮いている丸いタマに張り付いて生きているってことが不思議だったので、
今回のカテゴリは「ちょいと不思議な話」に入れました。

なお、この記憶はしばらく無くなってて、
UFO研究会を作った小学校6年生以後、中学生のときかな(?)に思い出しました。