先週は映画を2本観てきました。
『ミス・ポター』 と、 『エディット・ピアフ物語』です。
『ミス・ポター』 は、ピーターラビットの作者で、1866年イギリスのロンドン生まれのヘレン・ビアトリクス・ポターの伝記映画。
生家は裕福でしたが、良家に生まれるというのは、女性にとって不自由なことでもありました。
彼女は生活に困ることはありませんでしたが、長い間独身で過ごしました。
(正式に結婚したのは、1913年、47歳のとき)
映画では初めて原稿を持って行った出版社で幸運にもすぐに出版できたように描かれていますが、昨年行った 『ピーターラビット展』(2006年08月23日記事)
では、送った原稿を6社から送り返され、自費出版からスタートしたとありました。
年表を見ると、35歳のときに自費出版しています。
その後、本は大ヒットして、ポターは後年に名を残す大作家になります。
広大な土地と多数の農場を国に寄付し、1943年 77歳で死去。
もう1本の映画、 『エディット・ピアフ物語』 は、1915年フランスのパリの路上生まれのシャンソン歌手の伝記映画。
大道芸人の父と路上で歌う母を持ち、家庭は貧しく、彼女自身 子どもの頃から路上で歌い、1935年に見出されてデビューしました。
16歳のときに子どもを産んだけれど子どもは2歳で病気により死亡。
その後、数知れない恋愛を重ねて最後は2度目の正式な結婚相手である21歳年下のテオ・サラボに見送られて1963年 47歳で死去。
4度の交通事故と薬により、身体はボロボロでした。
亡くなったときは借金がありましたが、テオ・サラボがピアフの死後も返済を続け、返し終わったときにテオも交通事故で亡くなりました。(映画ではこのことに触れていない)
ピアフの葬儀の時にはパリの交通がストップするほどで、今もなおフランスの国民的歌手として不動の地位にあります。
ふたりの共通点といえば、最愛の人を突然失っていること。
ポターは39歳のときに最初の結婚をするはずだったのが、結婚の申し出からわずか1ヵ月後に恋人が急性リンパ性白血病のために37歳で死去。
ピアフは不倫ではあったけれど、最愛の恋人であったボクシングの世界チャンピオンが飛行機事故で突然の死去。
ピアフ33歳でした。
かの有名な 『愛の讃歌』 は、彼への愛を歌ったものです。
ポターが49歳のときにピアフが生まれているので、ふたりの生きた時代が重なるのは28年間。
イギリスとフランス そして絵と歌ということもあり、お互いの存在を知っていたかどうかはわかりません。
生まれも育ちも経歴も、全くと言っていいほど対照的なふたりの女性。
ふたつの映画を続けて観て、10月21日の『ふとその岩を飛び去んぬ』 の記事に、花水木さんがコメント欄で教えて下さった詩を思いました。
「仏様のことば(丁度よい)」
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も 息子の嫁もその孫も それはお前に丁度よい
幸も不幸もよろこびも 悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は 悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
(以下略)
ジャンルから何から、まったく違う2人。
しかし彼女らが残す宿命だった(と思う)芸術のためには、それぞれ必要な環境と経験だったのだと感じます。
ふたりの女性に、心から合掌。
本文と全く関係ない余談
昨日、車を運転してて、赤信号で止まったのー。
そしたら、後ろの車の40代前半と思われるカップルが、キスしてんのー。
左折する予定だったけど、つい、そのまま真直ぐ進んじゃったわよー。
次は何するか、気になって気になって。
(さすがに次の道は左折したため、見届けることはできなかった)