ブックマークさせて戴いている亜無さんのホームページ上に作られた詩集です。
元は、こちら。
最近は詩をあまり読んでいないのでよくわかりませんが、学生時代は高村光太郎、立原道造、他 「現代名詩選」にて昭和初期~中期頃の作品をよく読んだものでした。
亜無さんの詩からは、その頃の文学者の、内なる情熱を文章にせずにいられない純粋な情熱を感じます。
いくつかの詩の中から、今回3編を紹介させていただきます。
【 運 命 】
なんでもない瞬間が
ふと目にとまる時がある
見知らぬ人の片足が
バスの乗り口にかかっている時
あるいは
土曜の昼下がり
路上に舞い降りた一羽の雀の
小さな目がチラッと私を見る時
そしてまた 真夜中に
隣家の灯りが ふと消える時
そのような時
遠く風の渡る音が聞こえてくる
【 山の寺にて 】
歩き疲れて
山の寺の庭で休んでいると、
羽虫が一匹、地表近く、
長い航跡を描きながら
飛んでいくのが見えた
あの虫でも、
いつか空高く舞い上がって
その果てまでも飛んでいきたい、
行けるかもしれない、
(空を飛ぶことにはかわりなかろう)
そう思うことがあるだろうか?
ふと そんなことを思ってみる
友よ
あの、韃靼海峡を越えて行った
一匹の蝶のことを思ってみるのだ
そうすれば、きっと…
(神戸新聞『読者文芸』)
【 遠い歌 =中途失聴者の随想= 】
わくらばを
きょうも うかべて
まちの たに
かわは ながれる
ふと甦ってくる
むかし聞き覚えたきりの歌
一時よく流行した
あれは幾年前のことだったろう
女性歌手の声は耳の底に残っているし
歌詞もメロディもよく憶えている
リズムは たしか ブルース
もう二度と聞くことのない
むかし聞き覚えたきりの歌
この歌が私の耳の奥深く
大脳皮質の迷路の中で
これほど強く刻みこまれた
それは いつのことだったのだろうか
この歌の記憶と繋がる
真空管式の古いラジオの記憶
ネジを巻くのを忘れて
止まったままの置時計
机の上に何冊も積み重ねている
書きかけのノート
その後 私のその記憶回路は
激しい耳鳴りのうねりと共に
「むかし聞き覚えたきり」の
そのメロディを吐き出すばかり
私の聴覚は破壊されたのだ
病院の重症のベッドの上で
あやうい『時』を過ごしていた夢の間に
まちの たに
かわは ながれる
私の聴覚は もはや聞くことはない
なつかしい人々の声は勿論のこと
川の流れの水音も 街のざわめきも
また 風のささやきも
そして激しい耳鳴りの轟音と共に
私の時間は押し流されていった
この一年も
風の声に気づかぬうちに
太陽は日ごと輝きを増して
いつの間にか 外の季節は夏
行楽だよりは 山の蝉しぐれ
ふと記憶がかすめる
山の林間学校
真夏の太陽よ 光る風よ
歌っているのか?
ささやいているのか?
それとも、叫んでいるか
ああ、私の心は
いつしか硬直し始めたろうか
心よ 永遠なるまことを持つ心よ
もう再び あの鳥のように
あの 空を飛ぶ鳥のように
はばたけはせぬというのか?
わくらばを……
古いメロディは
ときおり甦り
耳鳴りの奥にかき消されていく
そして、そんな耳鳴りさえも
不思議な瞬間に ふと静かになるように
ある一日 街から程遠くない山の林で
ふと 蝉しぐれの止むことがあるだろうか
やがて
それも すっかりとだえてしまうと
私の子供の頃からある
大きな木にあいている洞が
急に何事か うめき始めるのだ
きのうの夜
部屋の灯りに迷いこんできたオニヤンマ
あれは、何を告げに来たのか
今ごろ 山の斜面の草の上では
蝉のぬけがらが
うつろな『時』を想いながら
無窮を流れる青い風を
ひとり じっと見つめているに違いない
敗残の秋 耳鳴りは
今日も 私を責めたてる
狭い庭には ケイトウの赤が
夏の残り火を燃やしているが
私は古くさい思い出の辺り
覚束ない歌をくちずさみながら
徘徊するばかり
そして 幻惑の耳鳴りは
しなびた記憶を反芻する
果てのない呪文をつぶやいて
記憶中枢の遠い端末から
私の もはや知らない歌を
歌い続ける
(1979年 神戸市民文芸集『ともづな』)
亜無さんの詩では、HPの 「文が空ギャラリー2」 に掲載された 『野の猪』 という詩も好きなのですが、
こちらはまだご本人から了承を得ていませんので、ここには転載しません。
でも、その詩に関連して 過去記事、2006年7月12日 『奇蹟の人』 コメント欄での亜無さんの投稿を御覧戴きたいと思います。
私自身、手話に対する認識が変わりましたので、ちょっと頭の隅にでも置いていただければ…と思います。
( 全部読むと大変だから、その件に関しては8月4日のコメントあたりから読んで戴ければ良いかと思います。)
なお、 「文が空ギャラリー2」 には、一休さんも ‘たそがれ清兵衛’ の名前で真面目に 「詩人・伊東静雄 論」 「ゲーテ論」 を展開しています。
一休さんの別の一面(?)も見ることができます。
元は、こちら。
最近は詩をあまり読んでいないのでよくわかりませんが、学生時代は高村光太郎、立原道造、他 「現代名詩選」にて昭和初期~中期頃の作品をよく読んだものでした。
亜無さんの詩からは、その頃の文学者の、内なる情熱を文章にせずにいられない純粋な情熱を感じます。
いくつかの詩の中から、今回3編を紹介させていただきます。
【 運 命 】
なんでもない瞬間が
ふと目にとまる時がある
見知らぬ人の片足が
バスの乗り口にかかっている時
あるいは
土曜の昼下がり
路上に舞い降りた一羽の雀の
小さな目がチラッと私を見る時
そしてまた 真夜中に
隣家の灯りが ふと消える時
そのような時
遠く風の渡る音が聞こえてくる
【 山の寺にて 】
歩き疲れて
山の寺の庭で休んでいると、
羽虫が一匹、地表近く、
長い航跡を描きながら
飛んでいくのが見えた
あの虫でも、
いつか空高く舞い上がって
その果てまでも飛んでいきたい、
行けるかもしれない、
(空を飛ぶことにはかわりなかろう)
そう思うことがあるだろうか?
ふと そんなことを思ってみる
友よ
あの、韃靼海峡を越えて行った
一匹の蝶のことを思ってみるのだ
そうすれば、きっと…
(神戸新聞『読者文芸』)
【 遠い歌 =中途失聴者の随想= 】
わくらばを
きょうも うかべて
まちの たに
かわは ながれる
ふと甦ってくる
むかし聞き覚えたきりの歌
一時よく流行した
あれは幾年前のことだったろう
女性歌手の声は耳の底に残っているし
歌詞もメロディもよく憶えている
リズムは たしか ブルース
もう二度と聞くことのない
むかし聞き覚えたきりの歌
この歌が私の耳の奥深く
大脳皮質の迷路の中で
これほど強く刻みこまれた
それは いつのことだったのだろうか
この歌の記憶と繋がる
真空管式の古いラジオの記憶
ネジを巻くのを忘れて
止まったままの置時計
机の上に何冊も積み重ねている
書きかけのノート
その後 私のその記憶回路は
激しい耳鳴りのうねりと共に
「むかし聞き覚えたきり」の
そのメロディを吐き出すばかり
私の聴覚は破壊されたのだ
病院の重症のベッドの上で
あやうい『時』を過ごしていた夢の間に
まちの たに
かわは ながれる
私の聴覚は もはや聞くことはない
なつかしい人々の声は勿論のこと
川の流れの水音も 街のざわめきも
また 風のささやきも
そして激しい耳鳴りの轟音と共に
私の時間は押し流されていった
この一年も
風の声に気づかぬうちに
太陽は日ごと輝きを増して
いつの間にか 外の季節は夏
行楽だよりは 山の蝉しぐれ
ふと記憶がかすめる
山の林間学校
真夏の太陽よ 光る風よ
歌っているのか?
ささやいているのか?
それとも、叫んでいるか
ああ、私の心は
いつしか硬直し始めたろうか
心よ 永遠なるまことを持つ心よ
もう再び あの鳥のように
あの 空を飛ぶ鳥のように
はばたけはせぬというのか?
わくらばを……
古いメロディは
ときおり甦り
耳鳴りの奥にかき消されていく
そして、そんな耳鳴りさえも
不思議な瞬間に ふと静かになるように
ある一日 街から程遠くない山の林で
ふと 蝉しぐれの止むことがあるだろうか
やがて
それも すっかりとだえてしまうと
私の子供の頃からある
大きな木にあいている洞が
急に何事か うめき始めるのだ
きのうの夜
部屋の灯りに迷いこんできたオニヤンマ
あれは、何を告げに来たのか
今ごろ 山の斜面の草の上では
蝉のぬけがらが
うつろな『時』を想いながら
無窮を流れる青い風を
ひとり じっと見つめているに違いない
敗残の秋 耳鳴りは
今日も 私を責めたてる
狭い庭には ケイトウの赤が
夏の残り火を燃やしているが
私は古くさい思い出の辺り
覚束ない歌をくちずさみながら
徘徊するばかり
そして 幻惑の耳鳴りは
しなびた記憶を反芻する
果てのない呪文をつぶやいて
記憶中枢の遠い端末から
私の もはや知らない歌を
歌い続ける
(1979年 神戸市民文芸集『ともづな』)
亜無さんの詩では、HPの 「文が空ギャラリー2」 に掲載された 『野の猪』 という詩も好きなのですが、
こちらはまだご本人から了承を得ていませんので、ここには転載しません。
でも、その詩に関連して 過去記事、2006年7月12日 『奇蹟の人』 コメント欄での亜無さんの投稿を御覧戴きたいと思います。
私自身、手話に対する認識が変わりましたので、ちょっと頭の隅にでも置いていただければ…と思います。
( 全部読むと大変だから、その件に関しては8月4日のコメントあたりから読んで戴ければ良いかと思います。)
なお、 「文が空ギャラリー2」 には、一休さんも ‘たそがれ清兵衛’ の名前で真面目に 「詩人・伊東静雄 論」 「ゲーテ論」 を展開しています。
一休さんの別の一面(?)も見ることができます。