峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

ジレンマ

2007年12月24日 12時30分58秒 | 妄想

私はサンタクロースが嫌いだ。
良い子と悪い子を選別するサンタ。
子どもに100%良い子も悪い子もいやしない。
親と環境が変えていく。
それなのにサンタからプレゼントを貰える子と貰えない子がいるのは、
どう考えても理不尽だ。

                            

小学校6年生の三男が、先日、
「今年のクリスマスは任天堂のwiiにしようかな~」 と言ったので、
「そんなに高いのはだめだよっ!」 と慌てたら、不思議そうな顔で聞いた。
「なんで? サンタクロースに頼むプレゼントの話だよ? お金掛かるの?」
そのときは、「このカマトトめ~」 と思ったが、その翌日、三男はしみじみとした様子で言った。
「おれ、本当のこと言うと、サンタって半信半疑なんだよね…
三男は半分疑っている自分が悲しそうだったけど、私は半分信じてることに驚いた。

                

そう。
我家には毎年サンタクロースがやってくる。
なぜなら、私はサンタは嫌いだけど、子どもを騙すことは好きだからだ。




川崎市 岡本太郎美術館

2007年12月17日 13時13分27秒 | ○○展の話
12月12日の記事に岡本一平の絵を載せた、その日の夕刊に岡本太郎美術館での写真展のことが載っていました。



「こりゃあ、行かねばなんめい」 と思い、 翌日13日、母と途中で待ち合わせして
神奈川県川崎市にある岡本太郎美術館に出かけました。


行きの電車で、母がこんなことを打ち明けました。
「この前ね、ベビーカー押してる女の人がいたのよ。 その人がマフラーをだらりと後ろに下げてたもんだから、思わず キュッ と締めたくなったんだけど、ベビーカー押してたからやめたの」
お母さん、思いとどまってくれて、ありがとう。



さて、岡本太郎美術館は生田緑地公園内にあります。
この日は天気が悪かったけど、落ち葉の素敵なところでした。



一番奥に岡本太郎美術館がありました。




常設展には絵や彫刻がありました。
よくわかんなかったけど、これらの絵の前で岡本太郎という人間が命を爆発させていたのだと思うと、ちょっと感動したような気がしないでもなかったでした。

写真展も良かったんだと思います。 (←自分の感想なのか?

最後にミュージアムショップに寄って、ストラップなどを買いました。



ナニを表してるのかと考えると、なかなかナニで素敵です。

写真撮影コーナーで写真も撮ってきました。
母と岡本太郎のツーショット。 
なに見詰めてんのよ。




岡本太郎、私は結構好きです。



一休さんの詩

2007年12月15日 08時16分04秒 | 人のフンドシでブログを書く

老女は今どこに?

お花畑を満喫し 歌をうたいながら
澄んだ川を渡り「なんて綺麗な水!」
 
やがて 目もくらむ光のトンネルを経れば
老女は再び絢爛たる生命の世界へ
(次は、王女なんかどうかしら…)

「死」はまた 新たな「生」の始まり
ひとつの「命」の「生死」の繰返し…
無限に続く 生命の世界

老女の微笑みは
幸福な生と 満ち足りた死のしるし

「悲しまないでね」

再び輝く その時まで
老女はひとときの休息に微笑んでいる

「次は私のほうが若いのよ」

お茶目な老女は 静かに微笑んでいる

さようなら
さようなら…

皆さんお元気で
またいつかお会いしましょうね









今年10月21日の記事、『ふと、その岩を飛び去んぬ』 に一休さんが寄せて下さった詩に、絵を付けさせて戴きました。

素敵な詩をありがとうございました。



亜無さんのコメント(抜粋)

2007年12月10日 17時51分28秒 | 人のフンドシでブログを書く
『ねんじれの里』 で、にゃ吉の持つ板 (亜無さんにより、“にゃ吉ボード” と命名) から、亜無さんより下記のようなコメントを戴きました。
2007年4月3日の記事、『山東亜無作・野の猪』にもありますが、「手話だけではない」 というのは重要な提言だと思うので今回も記事にします。



【ねんじれの里60 のコメント】
にゃ吉ボード・・・は、もし実現されているなら(現在その一歩手前?)
中途失聴者にとっては、すばらしい福音的装置であること 皆さんにはお気づきでないかも? と思います。
・・・この点、この前から「書かねば」と思っていたことです。

目の前で話す、ほんの二言三言が聞こえず判らないばっかりに失聴者はどれだけ悔しい思いをしてきたことか?
どれだけ人生を限られた狭いものにされてきたことか?
それが、ほぼ殆んど解消される、素晴らしい装置なのです、それは。
この点、ここにいる方々だけでも理解いただけたら、それだけで私めなど、幸せに思うところです。

このように言うと、決まって、「手話は?」と思う人がいることを よく知っていますが、手話は言語的に制約が大きすぎるし、問題点がいくつかあります。
・・・手話を少しでも知っている人なら、手近な詩の一編でも手話に置き換えてみていただけば、問題点の1つにすぐ気づくはずと思います。
(詩は詩でなくなります。)

・・また私など、大河ドラマ等の時代劇を字幕付きで見ていますが あの画面にもし手話通訳が出て来たら、もう、とても見れたものでないものになってしまうのは、誰でもすぐ想像つくと思います。
また時代劇の言葉そのものが手話ではとても表現出来るものではないことは当然でもあります。
(「ぶちこわし」になるだけです。)

それを、これまで、「ろうあ者」の人々の立場を第一に考えすぎて、手話の持つ問題点を無視し続けてきたようなところがあると思います。
そのような経緯から、手話について、わずかでも否定的な意見を持つと、
やれ、偏見だ、差別だ、という声を挙げるのを正義であるかのように思いこんでいる人々が非常に多いのが現実です。
それは、むしろ「人権問題」であるとも思うのです。
詳しく書こうとすると、また、ものすごく超長文になるので
ここでは差し控えたいと思いますが、それは実に1冊の本になるぐらいの内容になりそうです。
そういうものを書き上げる力が私にはないのが残念なところです。
それで、せめて、ここの方々だけでも解っておいていただきたいと切に願うものです。
そうして、早く、「にゃ吉ボード」が実現してほしいものです。

・・・ハードウエアとしては技術的には実現可能性はすでに現実のものであると思います。
・・・ここで、気づく人は気づくと思いますが、そういう装置が仮になくても、書いて伝える気さえあれば、たちどころに解消する問題でもある面がある訳です。
それを「手話は?」という考えが邪魔している一面さえある訳なのです。
・・・その辺に根本的問題がある訳ですが。 (かなり厄介な問題と思います。)


【ねんじれの里61のコメント】
OHPを使った要約筆記については、30年ほど昔に京都で始められ
その後、全国に広がったのだったと思いますが、山形の方でも、全く同じスタイルで実行されているようであることを知り大変有難く、嬉しく思いました。
見解や如何に? と問われましても、非常に大きな問題であるので とても簡単には答えられない気分です。
が、主要な点としては、そこに示されている結果として、少なくともまず、聴覚障害に対処する方法が「手話だけではない」ということが多くの人々に知られることになって、その点が「一石二鳥」の効果となっているようにも思います。
(現場で助かっている人がいるだけでなく)

・・・昔は「手話」しか方法が知られていず、昔、私が失聴した当時は第何次めかの「手話ブーム」の時で、
「手話を受け入れることが障害の受容である」というような考え方が押し出されていた時代でした。
で、私なども半ば疑問を感じながら「手話教室」に通って習ったものでしたが
そのうち「やはりチガウのではないか?」と考えるようになり~ という次第でした。
(こちら神戸で初めてOHP使用の方向を打ち出したりも。)
・・・その辺、「手話」についての言語的な面における問題点はすぐ気づく訳でしたが

・・・私など昔から多少の文学趣味があり(文学青年?だった?)
詩を読んだりのこともありましたし、手近の詩を手話に置き換えた時すぐ限界が見えましたし、言葉を冒涜することの忌々しさ・悲しさを感じたものでした。
言語的な面はともかくとして(=最も重要ですが=)、早いハナシ、
現在では多くのテレビ・ドラマが字幕付きで見られる訳で、私など常にそれで楽しめている訳ですが、その画面にもし手話通訳が出て来れば、たちまち画面やドラマそのものが壊されてしまうことになるのは自明のことであり、この点は手話を知らない人でもすぐ理解出来ることだろうと思います。

・・・「風林火山」の画面にもし手話通訳が出て来たら冗談かと思ってしまうのはともかく、
「止めてくれ・・・」と思っても当然であり正当なことであるはずと思います。
・・・にも拘わらず、わずかでも「手話」について否定的な意見を出すと「偏見」だの「差別」だのの言葉をすぐ思い浮かべる風潮があるように感じられるのですが、それが私の思い過ごしであるなら幸いであると思うところです。

久しぶりにトトの話

2007年12月09日 16時50分18秒 | 動物や昆虫など生き物の話

昨夜、寝ようとしたら布団をまたもや盗られていました。
横に入ったら少しだけ身体をずらしてくれたけど、半分空いた枕スペースに頭を乗せたら 
「う~うう゛~」 と、唸られ、噛まれそうになりました。
仕方なく枕の横にタオルを丸めて、私はそれを枕にしました。
トトのイビキが耳にうるさかったです。





              

        
このところトトは、彼氏が欲しい時期だったらしくて、先日も、いつもより念入りに他の犬のオシッコの匂いを嗅ぎながら散歩してました。
あまりにゆっくり あっちこっち嗅ぎまわりながら歩くので、イライラして引っ張りました。
すると、ものすごく恨めしそうな顔でトトが言いました。




なな、なによ。 飼い主になんてことを言うの。 このバカ犬は。









牧伸二なら、許す。 ( ̄‥ ̄)=3 フン


 


成沢未来さん講演会 ~2007浦和 クリスマス講演会~

2007年12月03日 12時22分00秒 | 人のフンドシでブログを書く
昨日12月2日(日)は、さいたま市民会館うらわ で行われた 浦和キリスト集会主催のクリスマス講演会に行きました。
ネットご近所からの参加は、 私と母と、“るーいーかあさん”さんでした。

テープレコーダーやカメラはダメなんじゃないかと勝手に思い込んで持って行かなかったため、メモ書きを元にしたものなので、どこまで皆様にお伝え出来るかわかりませんので、先に謝っておきます。すみません。
また、詳細に全部書くとかなり長くなるので、端折ります。
すみません。

   

           


会場は51名用集会室2つ分で、ほとんどが教会の方でした。
未来さんの講演の前に、未来さんがコメントで、
「東大医学部教授を退官された後、墨田区の病院長に就任され、専門は精神科です。内村鑑三の息子内村祐丈先生ともご一緒に勤務された、私にとっては雲の上の人ですが、とても気さくでそして優しい先生です」と紹介された関根義夫先生と、
お父さんの成沢道夫さんの話がありました。
お2人とも、話が上手いです。 

未来さんのお父さんはコメント欄で “ゴールデン街” 様として存じ上げているだけに、
こんなに上手に話をなさる方なのネ、と驚きもありました。 (すみませんアヤマッテバッカリ)
キリスト集会でのお話ですので、キリスト教の信者さんに向けてのお話であるのは当然ですが、その真摯な話し方、笑いの取り方、クリスチャンでない私も惹き込まれるように聞きました。

内容は、未来さんが先天的な病気のため何度も手術を受け、一時は未来さんの幼い命を諦めたことなど、成沢家の辿った道でした。
そして未来さんのお母さんはキリスト教信者であったけれど、道夫さんは かたくなな仏教徒であったこと。
未来さんが高校2年生のときに、「大学に行って牧師になりたい」 と言ったときに激しく怒り、そのとき未来さんに旧約聖書のヨブ記第3章11節を言われ、ショックを受けて その瞬間キリスト教に信仰を持つようになったというお話でした。

ヨブ記のその部分もお話になりましたが、3章11節とだけメモしたため、ここで良かったのか記憶が定かでないのですが、ここで良いのでしょうか。 
なにゆえ、わたしは胎から出て、死ななかったのか。
腹から出たとき息が絶えなかったのか。

(学生時代に父からもらった旧約・新約いっしょになった聖書を押入れから引っ張りだしてきたのですが、日本聖書協会・1955年改訳版なので、少々古いかもしれません。

また、職業を何度か変え、一時はかなり儲かる仕事もしていたのに、合法とはいえ人様を騙している気分に耐えられずにまた転職した話。
これも成沢家全体の印象である、真面目で真剣な生き方を象徴するお話だと思いました。

 (メモ中に描いた似顔絵)→ 


さて、5分間の休憩の後は、未来さんの講演 『患難は忍耐を生み出す』 でした。
人前で話をするのは、お父さんほどは慣れていない様子で原稿を読みながらではありましたが、誠実さの溢れる話ぶりでした。

演題は新約聖書・ローマ人への手紙 5章1~5節からの引用です。
~ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神と平和を持っています。 
また、キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた精霊よって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。


未来さんが選んだ神学は、勉強する範囲が広くてかなり厄介な学問だそうですが、それを選んだ理由は先天性の病気があったからこそと言います。
「どうして俺だけがこんな障害を持って生れたのか」という思いはあったけれど、
そのために文学にも出会うことが出来たと言います。

他に、沖縄への思いや、御両親と弟さんたちのこと、
「父と母のアガペ(無償の愛)により自分がある」 などと話されました。

「患難は希望に変わります。 必ず変わります」
という言葉に勇気付けられる思いがしました。

未来さん、今は雑誌の短歌評など、月に2本の仕事をなさっているそうです。


            
           
さて、講演のあと、サイン会もありました。
間近で見る未来さん、瞳の美しいハンサムさん  (オバサンはこれだから ( -_-)フッ)

お父さんもお母さんも、思った通り素敵な方でした。 弟さんたちも可愛くて利発そうでした。

写真の掲載も許可してくださったので、携帯カメラではありますが、パチリ。


 

私、まだまだ仏教徒ではありますが、良い時間を過ごさせていただきました。
ありがとうございました。