峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

恐竜王国2006夏休み恐竜研究所

2006年07月31日 11時06分08秒 | ○○展の話
昨日は、東京世田谷区にある玉川高島屋で開催されている恐竜展に行ってきました。
妹の仕事がらみなので母と見に行ったのですが、夏休みの日曜ということもあり、
小さい子がたくさん来ていました。

昔は私も恐竜好きでしたが、今はそれほどでもありません。
それでも太古の世界に思いを馳せるのは楽しいです。

トップ画像やこういう大きな骨格標本、
       



それに小さめの骨がたくさん展示してあり、
チビッコもびっくりの動く大きい恐竜もありました。
              






でも、私が一番気に入ったのは、子供に一番人気のないコーナー、恐竜研究家の机。
なぜか私が昔使っていた机にソックリで、郷愁に誘われました。
            



壁に掛かった帆船も、小さな地球儀も、年代を感じました。
          



7月26日(水) ~ 8月15日(火) まで開催しています。
入場料は 一般・大学生・高校生600円/中学生・小学生300円/幼稚園以下無料です。


春雷が過ぎて

2006年07月29日 10時26分35秒 | 自作品
今は廃刊になってしまいましたが、20数年前に発行されていた詩の雑誌です。
そこに私の詩がイラスト入りで採用されました。




【 春雷が過ぎて 】
      西 峰子 (詩) * 篠崎訓枝 (絵)  
   
春雷が過ぎて 空翔ける雲
南の窓から見ていると
うしろへうしろへ流れゆく
雨もやみ 空には星が顔を出す

窓の外は
雨の匂い 土の匂い

遠くから響いてくるのは
懐かしい電車の音
駅で鳴らす銀の笛

庭の片隅では
目覚める虫たち
芽を出す草木

春雷が過ぎて 脈打つ生命

すがすがしいのは
雨の匂い 土の匂い
春の匂い

(総和社‘花いちもんめ’1979年3月号)


    

この‘花いちもんめ’ですが、これが掲載されて間もなく廃刊になったような。
もうひとつ、どこかに作品を載せてもらったら、それが最後の号だった…ってのもありました。
末期状態だったから採用されたのか、はたまた私が衰運の元凶なのか…。

そういえば、作品市場も今の名にして間もなく終わったっけ。


なりきり冗談講座 ・ 1年メイク講習会 

2006年07月27日 13時51分49秒 | 妄想
みなさま、こんにちは。
ニセ・メイクアップアーチストの峰猫堂でございます。

梅雨明けが待たれる今日この頃でございますが、梅雨が明けたら夏本番。
夏こそスッピン美人を目指すあなたのための、夢の1年メイクのチャンスです。


みなさんはメイクというと、何を思い浮かべますか?
口紅? アイライン? アイブロウ? 
今申し上げましたのも、確かにメイクの基本ではありますが、
もうひとつ。
彫りの深い顔立ちに見せるための、ノーズシャドウやハイライトもありますね。

まず、図1をごらんください。
    


このように、影のつけ方ひとつで、出っ張っても凹んでも見えるものです。
さあ、もうお分かりでしょう。
夏こそ、凹凸メイクのチャンスなのです!
この夏、峰猫堂の提唱する1年メイクに成功すれば、
来年まであなたの顔はギリシャ彫刻!

では、お手元をご覧下さい。
試供品、サンブロックSPF20と50がございます。

では、今度は図2をご覧下さい。
      



まず顔全体にSPF20をまんべんなく付け、
そのあとに図2を参考にしながらSPF50を高く見せたい部分に付けます。
あとは夏の太陽に顔を晒すだけ!

尚、このメイク。
女性だけでなく、男性にも効果抜群。
ハードボイルドな魅力に、周りの女性は1年クラクラ。
       


あ、そこの方。
目は固く閉じないでくださいね。
皺の部分が白くなると怖くなって、
1年メイクが1年メイワクになりますから。





注※ 本気にしないでね。

海がみたくて  ( オトメちっくにポエムでGO! )

2006年07月25日 16時05分33秒 | 自作品
2003年、夫は単身赴任していました。
そこへ暮も迫った12月27日頃、三男を送っていったときに作った詩です。
そのまんまじゃあ つまらないから、状況を多少ヘンタイさせて表現しました。


             


  【海が見たくて】

朝起きて青空を見たわ。
そうしたら海が見たくなったの。
ルルルルル~。

8時発の電車に飛び乗り、
何度も乗り換えたの。

窓の外の景色は段々広くなり、
雪景色の名残が私を旅情に誘う。
ルルルルル~。

見知らぬ寂びれた駅で降り、
海を求めて歩いたけど
潮の香りに出会えずに
回転寿司食べて帰ったわ。
ルララララ~。

こうして暮れの1日を
私は栃木に日帰りしたの。

年賀状もまだ書いてはいないのよ。
届かないわ、元日には。
海への儚い思いとともに。

ラ~ラララ~
ルルルララ~


          


夫は栃木県真岡市に単身赴任してました。


17年と半年ちょっと前の話

2006年07月23日 19時55分36秒 | 思い出話
十数年間ごっちゃに いろんなものを入れたままの引き出しから、平成元年の手帳が出てきました。
そこには忘れていた出来事が。 あのときは日本国中が非日常でした。
以下、その手帳から。


            



1988年(昭和63年)9月から、天皇が瀕死の状態で、民間では新元号などについて数々の噂が飛び交った。
まず、「アサヒ」 になるという噂。これは、「朝日」 という説と 「旭」 という説があり、
東京をはじめ京都、九州あたりまで まことしやかに流れた。
中には、「教育委員会からの情報」 ともいわれた。
その他 「自民党の関係者から聞いた」 という別の元号等、いろいろあったが、
実際に候補にあがった3つ ( 平成・修文・正○? ) は、ひとつとして噂にのぼらなかった。
御陵も 「昭島の昭和記念公園が御陵となる」 という噂があったが、実際には八王子の武蔵御陵となった。

1月7、8の両日、全テレビ局がCMなし。天皇関係の話や、昭和史ばかりだった。つまらなかった。( NHK教育テレビのみ通常 )
民間は2日間、歌舞音曲停止だった。( クラシックのみ許可 )
ラジオもずーっと繰り返しの話ばかり。



           



このメモを書いたとき、私は長男を妊娠中でした。
噂を聞く範囲もそれほど大きくない、一妊婦の見聞です。
インターネットも普及する前だったし。

教育テレビの 「スキー教室」 は印象的でした。
全チャンネル出演者が白黒の衣装で沈痛な面持ちの中、カラフルなスキーウェアに身を包み、にこやかで明るかった。
ちょっとホッとしたのが本音でした。


ニューヨーク大停電の10ヵ月後がベビーブームだったように、
平成元年11月頃って、出生率は増えなかったのかなあ。

工事中の・・・

2006年07月19日 17時52分31秒 | 街で見掛けた面白い物や話
今日はブログに書くことが何もないので、お休みしようっと…
と、思いながら徒歩で近所のスーパーまで買い物に行きました。
でも、ダメですね。
やはり何かしら目についてしまいます。
今日は、工事中の看板が気になって仕方ありませんでした。

まずはトップ画像の簡単に線で表した おじきする人。
別に面白くはないです。

次は同じように簡単な線だけど、帽子を脱いでおじぎする人。
多少スマートな感じがするかな。




次は妙に可愛いおじさん。






しかし、何気なく横目で見ながら通り過ぎる “ 工事中看板 ” ですが、
描く方もいろいろ苦労していたりして工夫しているのでしょうね。
中には、
「なんでこんなとこで、いつまでも工事やってんだー」 
などと、暴言吐く人もいるのでしょう。

そりゃあ、恐くもなるし、気も使います。
この看板は、とくにその苦労が滲み出ています。
身体が震えてるし。 

    



顔は緊張してるし。 


 

工事に携わる皆様、いつもお疲れ様です。
大雨が続いて地盤が緩んでいますので、天候が回復したあとの作業はくれぐれもお気をつけください。m(__)m

新潟のカニラーメン

2006年07月18日 15時55分55秒 | 街で見掛けた面白い物や話
昨日の 「ラメン」、私はシャンソンの 「ラ・メール」 を連想しました。
ラーメンをフランス語風に言うと、「ラメン」 とか言いそうじゃない?
んなわけないか。


           


さて、「ラーメン」 で思い出したのが、去年 剣道で行った 「夏の体力作り」。
「体力作り」 とはいえ、実際は稽古なし。
新潟県に海水浴に行っただけです。 ( だから楽しい )
我家からは私と次男と三男が参加しました。

帰りに寺泊という場所で、各家庭 自由にお昼を取ることになって、
私たちは海の家のような作りの食堂に入りました。

一段高いところが何十畳もの畳敷きになっていて、折りたたみ式足のテーブルがいくつか、
デン・デン・デン と置いてあり、適当に他人と相席しながら座ります。

同じテーブルには、私の斜め前にマルチーズ ( 白いフワフワの小型犬 ) を抱えた熟年夫婦がいましたが、
別に会話を交わすこともしませんでした。

メニューを何にするか子供たちに聞くと、カニ好きの三男は迷わず 「カニラーメン」 を選びました。
値段は800円か850円でした。
失礼ながら高級感とは掛け離れた食堂だし、その値段でどれほどのカニっ気があるものだか。

半信半疑で待っていると、
私たちの後ろから、「はい、カニラーメン、お待ち~」 と、おばちゃんがラーメンを運んできました。 
前に座っている熟年夫婦は、私たちよりも先に状況が見えています。
その顔は驚いていました。

三男の前に置かれたラーメンを見て、私たちも驚きました。  

絶句してる私たちに目を合わせないようにしながら、熟年夫婦のダンナが奥さんに、
「驚いてる 驚いてる」 と、囁いてました。

最初の驚きが去り、三男は食べ始めました。
食べかけでしたが私は三男を制止し、
「面白いから写真に撮っておこう」 と、携帯カメラで写真を撮りました。

すると、また前に座っているダンナが奥さんに、
「写真撮ってる 写真撮ってる」 と、こっそり囁きました。
聞こえてるっちゅーの。




で、撮った写真がこれ。
      




足とハサミが足りないのは、食べちゃったから。
ちなみに、お味は ………………………………… 

話のネタとしては、大満足でした。

ラメン & 珍ライス

2006年07月17日 11時20分36秒 | 街で見掛けた面白い物や話
昨日は次男の受験のため、高校見学に行きました。
行きはスクールバスを利用したのですが、帰りはローカル電車を乗り継いで帰りました。
しかし、途中の乗り継ぎがうまくいかず、東京から まあまあ近い田舎の、
“ 微妙に観光地な駅 ” で1時間待ちました。

そこで次男と、次男の友達一人とともに駅前散策。
一軒の古びた食堂の前で、次男の友達が
「この辺ではラーメンをラメンというのか」 と言うので、見たらトップ画像の食品サンプルがありました。

さらにもうひとつ、「キ」の抜けたチキンライスも。
あとから薄い茶色の色鉛筆で「キ」を書き足してありましたが、はっきり見える文字は「チンライス」。

昨日は日曜だったからなのか、もうやっていない店なのか、シャッターが閉まっていてお休みでした。
店内に入ったら、よくわからないサイン色紙が壁にたくさん貼ってありそうな店。
こういう店、ネタ的には大好き。











気のいい郵便配達夫

2006年07月15日 11時15分52秒 | 思い出話
今日ご紹介するのは、2年くらい前の話です。

その日の午後、私は車で出掛けていました。
三男が帰るまでに帰りたかったのですが、思ったより遅くなってしまいました。
その日、三男のランドセルには念のため家の鍵を入れてありましたので、
もし間に合わなくても自分で鍵を開けて入っていることでしょう。
だから、まあ大丈夫だろうけど…と思いながら自宅前まで車を進めると、
郵便屋さんのオートバイが止まっていました。

我家は道路から少し奥にあるので、郵便屋さんはオートバイから降りて、
駐車場でもある路地状敷地を10数メートル歩いてポストに配達してくれます。

私は車を駐車場に入れることが出来ないので、家の手前で待っていました。

ポストまで往復してすぐオートバイに戻るはずだから、出てきたら 「ありがとうございます」 と会釈して車を入れよう…

そう思って待っていましたが、郵便屋さんはなかなか出てきません。
「おかしいな」 と思って車を降りて家の方に行ってみると……

トップ画像の光景が玄関の前に。
郵便屋さんが息子のランドセルを開けて中を覗き込んでいる姿は、意外だったし異様でした。

「あのぉ……」
と、声を掛けると、郵便屋さんは私に気付いて慌てたように言いました。
「いや、その、この子が鍵を出して欲しいと言うもので…

私は息子が鍵を出せなくなったので、ちょうど来た郵便屋さんにお願いしたのかと思いました。
それで、郵便屋さんに、
「すみません。ありがとうございます」
と、お礼を言うと、郵便屋さんは照れたように笑いながら去りました。

でも、三男はなぜ自分で鍵を出せなかったのでしょう。
本人に聞いてみたところ、
「だってランドセル下ろして鍵出すの、面倒くさかったんだもん」

 
「そんな理由で、お仕事中の郵便屋さんに手間を掛けさせるなーー


三男の図々しさに呆れた出来事でした。 

ドジョウその後

2006年07月14日 16時12分40秒 | 動物や昆虫など生き物の話
ドジョウですが、一昨日の夜見たら水槽の下の方で動かない状態だったので、心配しました。
ずっと一緒だった金魚も心配になったらしく、時々身体ごとさわりに行ってましたが、動きません。
「やっべ~。やっぱり弱ってたんだ。死んじゃった…」
と、思ったとたん、ドジョウはシュルシュルッと水槽の後ろのほうへ泳いでいきました。

ええ、ええ、悪かったですよ。
死んでもおかしくない状態に追い込んだのは、私ですよ。
だけど、そんな嫌がらせは やめてよっ 
私を責めるのは、ドジョウ本人だけではありません。


        

      
昨日の夜、冷蔵庫がピッピピッピと開けっ放しの警告音を出していました。
見たら、氷貯蔵庫が全開。 
子供たちが3人居間にいたので、
「だれよっ 氷入れるところが開けっ放しじゃないのよっ」
と、怒りました。
長男は、「○○○(次男の名前) だ」 と言いながら、氷入りジュースを飲んでいます。
おかしいな、と思いながら 「あんたなの?」 と次男に聞くと、
「え? おら? そうかなあ…」 とニコニコしています。
ははん。わかった。
長男のことだから、人のいい次男に罪着せようとしてるな。

私は長男に まくしたてました。
「あんたなんでしょ! なにしらばっくれてんのよ。 冷蔵庫開けっ放しにされたら困るのよ 中の氷がみんな融けるでしょう

すると長男は言いました。
「なんだよ! 俺が冷蔵庫開けっ放しにしたのなんて、ほんのちょっとだよ。
 かあちゃんなんて、ドジョウを6時間もあんな目に遭わせたくせによぉ

ずきっ。 よろよろ。
逆ギレですか。
しかも、そこ攻めてきますか。

けれど、こんなことで怯んでいては子育てはできません。
私は言ってやりました。











「わーん、ごめんよおお。 私が悪かったよおお

奇蹟の人

2006年07月12日 14時40分48秒 | 動物や昆虫など生き物の話
タイトルに誤りがあります。正しくは、奇蹟の「ドジョウ」 です。

我家では金魚1匹、ドジョウ2匹飼っています。
一昨日、私は水槽の水換えをしました。
まず、バケツに金魚とドジョウ×2を移し、水槽を掃除してから水を半分ほど入れて、
バケツの水ごと水槽に移しました。

ジャーッと入れて水槽の中を見たら、金魚とドジョウが1匹、元気そうに泳いでいました。
1匹姿が見えないのは気になりましたが、水草や砂利なども入っているので、
どこかに隠れたのだと思いました。
それが午前10時頃。


午後4時になって、再び水槽を見ました。
同じように、金魚とドジョウが1匹だけ。
胸騒ぎがして、フタと水草をどけてよく見たけれども やはりドジョウが1匹いない。
可能性としては、バケツから水槽に移すときに、外側に出てしまったということ。

「しかし、もしそうならピチピチ跳ねるから気付くよね、私
と、心の中で呟きながら周辺を探したら、いました。
水槽のすぐ外側に、ぐったりと。
「ぎゃあーーーっ なんで跳ねなかったのよお 

もうだめかと思ったドジョウ、よく見ると微かに動いている。

急いで水槽にもどしたら、
「ウォ、ウォーター ウォーター」 と叫んだかどうかはわからないけれど、
ヒクヒクしながらも、トップ画像の絵のように水面近くに身体が くの字 に曲がった状態で浮かび上がりました。
そして必死で身体を動かし、下に潜ろうとする。
けれど、力尽きたようにまた水面にグッタリ浮かび上がり、また身体をプルプル動かして潜る。
その繰り返しでした。

それはまるで、昇天しようとする魂に釣られて浮上しかかるけれど、
「いけねえ、いけねえ」 慌てて魂を身体に戻して、「泳いでねえと死んじまう」
と、自分を取り戻す。 しかしまた、
「あ、でもキレイな川が上の方でオイラを呼んでいる…そっち行こうかなァ…」
と、浮かびかかっては、
「ダメだ ダメだ。死んじまったらイケネエ。潜らなくちゃ」
と、自分を叱咤しながら死と闘っているようでした。

しばらくしてもう一度見たら、ドジョウは下の方に潜りっぱなしになりましたから、
魂も身体の中に落ち着いたのでしょう。
良かった良かった。


しかし6時間もの間、よく生きていてたものです。
ドジョウちゃん、ごめんよおぉぉぉぉ 



ちなみに、 の画像は、今月初めに撮った無邪気な頃のドジョウ。



こちらは生死の境を彷徨った後。




まだ放心状態が続いているというか、霊界と繋がってそうな顔してるというか…。

ババアが下がります

2006年07月05日 13時26分20秒 | 街で見掛けた面白い物や話
昨日に続き、真面目に詩人について書こうかな~と思いましたが、
車で買い物行っている間に考えが変わりました。

今日はカテゴリーでいえば「思い出話」でもある、数年前のことを書きます。

数年前、そのショッピングセンターの駐車場出口には黄色と黒の縞々の棒があり、駐車場係の男性がいました。
1000円以上の買い物をすれば駐車場料金は○時間まで無料というシステムで、
出口で車を一台一台止めてレシート確認していました。

その日、私は子供たちを車に乗せて買い物し、駐車場を出ようとしました。
前の車がレシート確認を終わり、車を遮る棒が上に上がって出庫したので、私も車を動かして前に詰めました。
すると駐車場係、私がそのまま出て行こうとしたと思ったのか、慌てて言いました。
「ちょっとお待ちください。 バ、バーが下がります」

駐車場係が縞々の棒を「バー」と呼び、しかも噛んじゃったことはすぐ理解できましたけど、
そこでそのままやり過ごしたら、もったいないじゃないですか。(゜ー゜)ニヤリ
当然私はツッコませて戴きました。
「なにい? ババア~~

すると、その駐車場係は手で口を押さえて言いました。
「しまった。 口がすべった

予想もしないツッコミ返しでした。
むきー 
口がすべったって、なに
辞書で引くと、「言ってはいけないことを、うっかり言ってしまう」ってことで、
真実を含むってニュアンスがあるわよっ

後部座席で子供たちはゲラゲラ笑うし、駐車場係も笑っちゃってるし、
私も、
「気にする年頃なんだからねっ
と、言いながら 笑いをこらえきれずに駐車場を出ました。


    

今日もそのショッピングセンターに買い物に行ったのですが、今では人件費の削減のためか、
「3時間無料」の貼紙だけ出して駐車場係はいなくなりました。
無用の長物となった出庫チェックの機械と、誰もいない出口にちょっぴり寂しさを感じながら
ショッピングセンターを後にしたのでした。


蔵原伸二郎の話

2006年07月04日 17時10分34秒 | BOOK
昨日に続き、町田多加次著・『蔵原伸二郎と飯能』より、蔵原伸二郎の略歴と人となりについて書きます。

明治32年(1899年)に熊本は阿蘇神社の直系として生まれた蔵原伸二郎は、19歳で上京、
戦争中は戦争謳歌の詩を多く発表して売れっ子でした。
疎開先として青梅の岩藏に身を寄せ、その後埼玉の吾野で終戦を迎え、一時は入間市扇町屋に住だこともありましたが、
晩年のほとんどを飯能市で過ごしました。

戦争詩人であった蔵原。敗戦後は人が訪れることも少なくなりました。
詩人の仕事としては「小学○年生」の詩の選定などで僅かばかりの収入を得たり、頼まれれば近隣の小学校の校歌を作詞していたそうです。
しかし、詩人という職業は成り立たない、と著者は書いています。
それでも詩人であり続けた蔵原は、清貧の人だったそうです。

才能がありながらも恵まれない蔵原伸二郎は、戦後3冊だけ詩集を出しました。
3冊目の詩集、『岩魚』の中に、孫を腕に抱いて呟く様子の詩、『風の中で歌う空っぽの子守唄』があります。
その詩の中で蔵原は、赤ん坊に愛しさを感じ 幼い命の中に永遠を見据えながらも、
「お前のおじいちゃんには
 もう何の夢もない
 もう何の願いもない
 すべてが失敗と悔恨の歴史だ」
と書いています。

しかし、最後の詩集である『岩魚』は評判になり、やがて読売文学賞を受賞します。
授賞式は昭和40年2月6日。
前年から体調を崩し、1月に入院していた蔵原が危篤状態に陥ったのが授賞式の朝だったそうです。
そして翌月の3月16日、永眠。

蔵原伸二郎の大学時代の同級生であった石坂洋次郎は、『岩魚』を何気なく読んで大きなショックを受けたといいます。
「ああ、君は人知れずこれだけの仕事をなしとげていたのか、それに較べると、かりそめの名声に囲まれた私の生き方のなんと空しいことか」

青っぽい灰色(?)の瞳を持つ蔵原伸二郎を、続けてこのように賞賛します。

「碧い眼の蔵原君よ!
 少なくとも君の『きつね』の詩は天に記された文字である。
 いつまでも消えない文字である。
 私は君の何十倍、何百倍の文字を書いているが、
 それらは、青空にひととき浮かぶ白いちぎれ雲のように、
 いつのまにか、あとかたもなく消えてしまうものばかりだ」


蔵原伸二郎の奥様は色白のお嬢様だったらしく、貧しさの中にあっても常に夫を尊敬していたそうです。

蔵原が亡くなる前のしばらく、口もきけなくなって筆談していたとのことですが、
3月15日の晩、ひどく苦しみだした蔵原は奥様の手を取り、
手のひらにカタカナで 「スキ」 と書いて翌日未明に亡くなったそうです。


最後に詩集『岩魚』集録、狐の詩6編のうち、もうひとつ掲載します。

      

【 老いたきつね 】

冬日がてっている
いちめん
すすきの枯野に冬日がてっている
四五日前から
一匹の狐がそこにきてねむっている
狐は枯れすすきと光と風が
自分の存在をかくしてくれるのを知っている
狐は光になる 影になる そして
何万年も前からそこに在ったような
一つの石になるつもりなのだ
おしよせる潮騒のような野分の中で
きつねは ねむる
きつねは ねむりながら
光になり、影になり、石になり雲になる
 夢をみている
狐はもう食欲がないので
今ではこの夢ばかりみているのだ
夢はしだいにふくらんでしまって
無限大にひろがってしまって
宇宙そのものになった
すなわち
狐はもうどこにも存在しないのだ



蔵原伸二郎 『きつね』

2006年07月03日 16時31分29秒 | BOOK
  【 きつね 】

狐は知っている 
この日当たりのいい枯野に
自分が一人しかいないのを
それ故に自分が野原の一部分であり
全体であるのを
風になることも 枯草になることも
そうしてひとすじの光にさえなることも
狐いろした枯野の中で
まるで あるかないかの
影のような存在であることも知っている
まるで風のように走ることも 光よりも早く
 走ることもしっている
それ故に じぶんの姿は誰れにも見えない
 のだと思っている
見えないものが 考えながら走っている
考えだけが走っている
いつのまにか枯野に昼の月が出ていた


        


上の詩は、タイトルにもありますように蔵原伸二郎1899(明治32)~ 1965(昭和40)という詩人の作品です。
私がこの詩を知ったのは大学生のとき。新潮文庫の『現代名詩選』でした。
幾多もの名詩の中で、この詩に惹かれました。

日当たりの良い枯野にポツンと存在する狐。それでいて自分が全てであると想念する狐。
自分を風とも光とも、またそれらを超えるものとも思いながら走る狐。
走る狐はいつしか姿をなくし、風の塊が通り抜けたように枯草が直線に分かれていく。
そして、画面はポンと空を映し、昼の白月。

これを読んだとき、質の良い短編アニメを観るように絵が浮かんできました。

私はこの詩を、切り取ったノートに書き写してバインダーに挟んで持ち歩いていましたが、学生時代は遠くなりにけり。
いつしか蔵原伸二郎という名も詩も忘れかけていたとき、割合近くの本屋さんでトップ画像の、
『蔵原伸二郎と飯能』(町田 多加次・著) に出会いました。

その本を読んで驚きました。
かの蔵原伸二郎、戦後は都心から離れた東京の青梅や埼玉の吾野・入間・飯能辺りで過ごしました。
それはなんと、私が結婚してから住んでいる この地に近い場所。

この蔵原伸二郎、他にもきつねシリーズの詩がありますが、それも良いです。
の本を読むと死ぬ間際のエピソードなど、スペシャルドラマの題材にしたいくらい。

蔵原伸二郎について、次回も続けます。