峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

閑ジャニさん製作・競馬新聞

2009年12月26日 15時14分47秒 | 人のフンドシでブログを書く



年末の、この忙しいときに、こんな楽しいものを作っている方がいます。
クリックして、拡大してご覧ください。(2度クリックすると大きくなります)
馬の名前の下の方にあるのは、来年の占いでしょうか。

ルーイーカアサン 「相手は強いが見劣りはしない」 … 相手って、閑ジャニさん? 勝てます!

タコノヤチマタ 「ためれば切れる脚を使う」 … タコ足、ためてください。

マユミアスパラ 「万全の仕上げ。センスが良く…」 … 江戸博、楽しみです。

ブクタケヒサ 「せかさずに走らせれば、いい脚を使う。差はない」 … パワリハも、もがんばって。

ネコノユメヒカリ 「距離は長いかもしれないが、うまく立ち回りたい」 … 作家までの道のり?

エドカンジャニ 「無駄肉が落ちて、いい体付きになった」 … バスケ、ますます頑張ってください。

ハンコボウシュウ 「状態は間違いなく前走以上」 … 来年は今まで以上に腕が上がりますね。

アウンノコキュウ 「流れに戸惑うことはない。期待は大きい」 … 安心して妖怪化していってください。

エチゴノヤナギメ 「…短距離タイプではない…」 … 遠距離恋愛が始まるのでしょう。

アキノナナクサ 「自分のリズムで走らせたい。距離はこなせるはず」 … ご自分の身体を大事にすれば、大丈夫! 江戸博でお会いできますね!

ソウタノハハ 「ピリッとした雰囲気を取り戻している」 … おかしな人々に常識を与えてください!

ビジンシーチャン 「大きな期待を持って挑める」 … きれいどころへの期待は大きいです。

ツキヨノウサギ 「折り合いに不安はなく、血統的にも…」 … もともとヘンなところがあるようです…か?

ヨウツウヒロリン 「今回は動きが変わっている」 … 来年は閑ジャニさんのようになるでしょう。

カタイタビッケ 「バランスが良くなり、見栄えする身体になった」 … 来年は絶好調!

サクランボムスメ 「いい感じに仕上がった」 … 来年は今までのことが結実するのでしょう。

としこ作品「自画像」

2009年12月22日 21時26分31秒 | としこの部屋

 (クリックすると大きい絵が見られます)


年賀状をどうしよう…と、考えているうちに気がついたことがあります。
わざとレトロな雰囲気を出そうとする絵と、母が本気で描く絵のタッチが似ています。
そうだ。
年賀状も人フンだ!

ということで、母に小さなスケッチブックを渡して、いくつか絵を描いてもらいました。
年賀状に使わない分を、こっちで使いまそ。


これは、「若いつもりでいるけど、本当は…」ということを表わしたとのことですが、
この絵では逆に見えます。
もしかすると、正直者にはこのように、若くて美人に見えるのかもしれません。
レロレロ。


【としこプロフィール  
   昭和4年生れ。3男2女の母。孫9人。
   推理小説好き。走る警察官の後を追いかけようとすることあり。
   見ず知らずの赤ん坊の足の指をつっつきたがる。】

「桜桃忌」命名の由来

2009年12月12日 15時39分34秒 | 豆知識
「文芸時代」昭和24年7月号、特集・思ひ出の太宰治、の中の、 『《櫻桃忌》提唱』今官一より抜粋。

(前文略)
○《田舎者》といふ、題の「故郷の話」
   私は、青森県北津軽郡といふところで、生れました。今官一とは、同郷であります。
   彼も、なかなかの、田舎者ですが、私のさとは、彼の生れ在所より、更に十里も山奥でありますから、
   何をかくさう、私は、もつとひどい田舎者なのであります。

○ぼくは、即刻、抗議した。ぼくは、弘前市の生れだから、金木町の田舎者は、認めるが、市は断じて田舎では、ない。試みに、君を「チシマ君」と、呼ばないのは、ぼくだけではないか ―― しかし、いまではぼくは、自分が田舎者であることを、素直に認めてゐる。後日、をりをみて判定を乞ふた。井伏先生は、ぼくが、精魂かたむけて、再三度、ツシマ君、チシマ君と正確に弁別してくりかへしたに拘わらず ―― 小首を傾けられ、眼をパチパチとなさりながら、キミ、どつちの方を、先きにいつたんだい。チの方かい。いや、ツの方かなと、仰言つたからである。ぼくは、可成りに、不満であつた。

○けれども、ぼくは、太宰が、どうして《都会人》であつて、呉れなかったかと、けふこのごろは、うらみに思つてゐる。せめて、ぼくほどの「市人」であつて呉れたならば、彼も、ぼくと同じほどに、もう少々は、生きつづけたかも、しれないのにと、思つてゐる。
それは、いくぶん、不純である。しかし、さういふ「不純」こそは、あれほどに、なにもかも備えた、完ぺきの人間にして、なほかつ、そなえ得なかつた、唯一のものだつたからである。しんじつ、彼は、無器用きはまる、田舎者であつた。

(中略)

○櫻、花、花、一年 ―― と呟やいて、ぼくは、その実を、思ひ出す。ぼくは、太宰の命日を《櫻桃忌》と、呼ぼう。《蔓を糸でつないで、首にかけると、櫻桃は、珊瑚の首飾のやうに見えるだらう》と、太宰は、去年、それを書いた。
   子供たちは、櫻桃など見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだらう……
 よろこびは、せぬ。君は一つだけ、まちがつてゐた。君は、だまつて、種を吐き出せば、よかつたのだ。この一行の「反省」のために、一生、子供たちは、櫻桃の初生りを、君にたべさせたいと、希ふやうになるだらう。
一年の、季節ごとに、そして、それは、ぼくらを、ぼくらが、生きる限り、なんたる、なんたる田舎者かと、いらただせることになるだらう。《櫻桃忌》が、さういふ「心のザワめき」に、さういふ「美学の Etiquette」を、なにほどか、喚起したらば、幸甚である。「おもてには、快楽」云々と、いふことを愛した、さういふ心の人のために、さういふ心で、提唱された ―― いはば、さういふ Etiquette だつたのである。


         



全部読みたい方は、こちら。

『《櫻桃忌》提唱』今官一 1
『《櫻桃忌》提唱』今官一 2
『《櫻桃忌》提唱』今官一 3
『《櫻桃忌》提唱』今官一 4



参考記事   2009.12.10 生誕100年記念写真展 太宰治の肖像



2009年 生誕100年記念写真展 太宰治の肖像

2009年12月10日 17時04分24秒 | ○○展の話
昨日、母から電話がありました。
「ラジオでちょっと聞いたんだけど、三鷹で太宰治の写真展やってるらしいの。
 お父さんが三鷹の太宰の家に通ってたから、もしかしたら写ってないかしら」

父は母と結婚する前、同人雑誌「文芸時代」の編集者をしていました。
今日、母に聞いたところによると、ジューキミシンの創業者、山岡憲一氏が始めたとのことで、(父の義兄が山岡氏とともにジューキの実質的創始者であり取締役だった) 当時、兵隊から帰ってブラブラしてた父に声が掛かったとのことでした。

山岡氏のウィキペディア情報によると、
「田辺茂一や舟橋聖一、坂口安吾、草野心平らと、終戦直後数少ない活版印刷をした同人雑誌「月刊文藝時代」を編集し全国の書店で販売した。」
と、ありました。


それで今日、母と三鷹市芸術文化センターに行ってきました。
父の姿はありませんでしたが、お墓にもお参りしたし、そのあと太宰治文学サロンにも行って、係の方とちょっと思い出話などしてきました。

「文芸時代」については、過去記事をご覧ください。

2006年11月21日 文芸時代の話

2006年11月22日 文芸時代の話2

2006年11月23日 文芸時代3



2006年11月27日 文芸時代昭和24年7月号より

↑太宰治について、結構、貴重な資料かも?
ここで、今 官一が太宰の命日を「桜桃忌」と呼ぼうと提唱しています。
作家の書く太宰の逸話が興味深いです。

昭和23年7月の編集後記は、豊田三郎が書いています。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/48/b79b368a0eb275cd99502d62f0108c54.jpg

豊田三郎は、森村桂のお父さん。
豊田三郎もまさか、後年あのようなことになるとは思いもしなかったでしょうに…。


ところで、5月に久しぶりに大学時代の友人キヨちゃんに会ったとき、こんなことを聞きました。
「西さんがお父さんから聞いたって言ってたんだけど、太宰治が女の人といて、お父さんの前で、『キスしてやろうか』といって、目の前で女の人とキスしたんだって」
私はそんな話、全く覚えてませんでした。
純情な(当時)私は、そのような話は記憶から消してしまったのでしょう。
いえ、決してキヨちゃんが当時から純情ではなかった、というのではありませんが。