峰猫屋敷

覚え書と自己満足の場所

にぎやかなお客様

2019年08月16日 17時01分15秒 | 実家の話
我家には、先月からお客様がいらしています。
以前もこのブログに登場して頂いた方々で、母のところから、只今預かり中です。


この七福神さんたち、じつは夜中になると、しゃべったり動いたりしている……
か、どうかは、わかりません。
そうだったら、楽しいネ。 って思うだけです。
でも、こうしてみんなでここにいるだけで、にぎやかな雰囲気になります。

もうひとつお預かりしている七福神もあります。
これは根付です。






少なくとも月に一度は更新しようと思っているのに、気付けばもう8月も下旬。
縁起良さげなネタをあげておきます。

古いサイン帳

2019年07月08日 17時40分42秒 | 実家の話
     7/13追加画像あります     


母の部屋から、小さな古いノートが出てきました。
(どのくらい小さいかわかるように、隣にパソコンのマウスを置いてみました)

表紙には①兄と②兄の連名が書かれています。
中は、ほとんどが大毎オリオンズの選手のサインでした。(お一人は巨人)

              


大毎オリオンズは、現在の千葉ロッテマリーンズの前身のひとつで、
1958年より1963年まで存在したプロ野球のチームだそうです。
(ピクシブ百科事典から引用させていただきました)

私は今の野球選手もほとんど知らないくらいに野球を知りませんが、
ご存知の方には懐かしいかもしれません。


  追加画像  

野球ついでに、これも。


昭和40年頃の海

2013年07月28日 11時37分19秒 | 実家の話


一時のあの暑い数日に比べ、まだましになった今日この頃ですが、皆様バテてませんか。痩せてませんか。
痩せてはいけません。
ジャンジャン食べて太りましょう。
その間に、私は痩せようと思います。

暑中見舞いということで、涼しげな画像を探しました。
白黒の海の写真などいかがでしょう。

母と、兄3人と私が写っています。




写真の掲載について、母と3人の兄には承諾取ってません。
ナイショにしてください。


※ 最初、「昭和30年代後半の海」というタイトルでしたが、よくよく見ると、もうちょっと後かな? と、思って、タイトル変えました。
  本文も、ちょっと付け足しました。

父の戦友

2013年07月03日 16時23分54秒 | 実家の話
       


先日、大阪に住んでいる三番目の兄(以下、③兄)が来ました。
そのとき、聞いた話です。
物忘れが激しいから記録しておくことにします。
それと、兄妹、甥姪たちと父のことをシェアするためにも。

           

何年か前、③兄の勤める京都の神社に、地元に住む石川さんという方が来て、③兄と話をしたそうです。
たまたま軍隊時代の話になり、その方のいたところが水戸陸軍航空通信学校だと聞いた③兄は、
「父もそっちにいたんですが」といい、父の名を聞かれて言うと、大変驚かれたそうです。
石川さんは同じ、教導隊第一中隊第二隊(加賀隊)で、父と同じ初年兵でした。

父は兵隊時代に、上官からよく殴られていたと聞いたことがあります。
私には実感として感じられなくて、父ならさもありなん……くらいに思っていました。

ところが、その方は、③兄が父の息子だと知ると感激して仰ったそうです。
「西さんにはずいぶん助けてもらった。私は目があまり良くなくて、だいぶ失敗をしたのですが、
 西さんが罪をかぶってくれて上官から殴られていたんです」
と。

また、終戦後、駅のホームで父を出迎えた祖母を見て、父がとても幸せな人だと思い、自分とは違うと思ったそうです。

その後? 時間的なことがよくわからないのですが、石川さんは良くない仲間に誘われて、米軍に盗みに入る計画に父を誘ったそうです。
そのころの日本の軍隊がもうグダグダだったので、米軍もそんなだろうと、高をくくっていたとか。
しかし父はその誘いを断り、石川さんに、「そんなバカなことはやめろ」と言ったらしく、
それで石川さんもやめたそうですが、盗みに入った人たちは全員、射殺されたということです。

「あのとき止めてくれなかったら生きていなかった」
と、③兄に語った石川さん。

上の写真は、石川さんが③兄にくれた写真のコピーです。
なぜか、うちの母から石川さん宛の手紙も③兄が持っていたということで、母の同意を得ずに載せときます。

   


           

③兄が石川さんとお会いしたのは平成13年らしいのですが、父が他界したのは、平成10年でした。
母の手紙にもあるけれど、父が生きていたら石川さんの言葉にどんなに喜んだことか。

でも、父はきっと、こういうだろうなァ……って気もします。
「俺は別に身代わりになったわけじゃない! なんかあれば、すぐに俺がやったと思われたんだ!
で、私が、
「じゃあ、自分じゃないって言えばいいのに」というと、たぶん、
「そんなこと言ったら、口答えしたって言ってもっと殴られるに決まってるだろ!
って言ったでしょう。
なんか、実際にそんなやり取りがあったような気がしてくるほど、こんなとこじゃないかなァ。

でも、石川さんのお蔭で、父は(例え不本意であったとしても)、そういうところで徳を積んでいたんだと思えます。

石川さんとはその後、連絡が取れなくなったそうです。
もう、ご存命ではないのかもしれません。

往年のスター

2011年02月04日 15時52分19秒 | 実家の話
何年か前に実家から持ってきた、【平凡】の付録です。
前に載せましたっけ? 
記憶の危ないお年頃。 
皆さん同じだから、まあ、いっか。


(画像をクリックすると大きくなります。ブラウザの≪戻る≫ボタンでお戻りください。)

  東千代之介              中村錦之助 (萬屋錦之介)    千原しのぶ (だと思う)


  高田浩吉               高千穂ひずる





なお、前記事のコメントに書きましたが、私は某美容法により、今はこんな風になっています。
どこかでお会いしても、私だとわからないかもしれません。

            
 Before          After           Next After 
                              
(巨匠TACOSSO画)

影雛形 その3

2010年03月12日 10時14分14秒 | 実家の話
面倒くさいと仰らず、あと1度のお付き合いを御願い申し上げます。





         


            



      


で、この4つの形。
合わせると・・・・・





その前に、ここでココの様子を。
今朝は踏まれませんでした。 一度仕返しすれば気が済むのね。
今朝は5時50分頃に、私の枕に座って左頭を温めてくれました。
至福のひととき。 そのままずっと寝ていたかった。
でも、6時に起きなきゃらならかったので、余計に辛かった……。


ココ情報おわり。





では、4つの図形は何なのか、答えです。





合わせると、こうなります。

擬宝珠(ぎぼし)の形でした。


閑ジャニさんが調べて下さったところによると、明治25年、大阪にあった天満紡績会社の方が描かれたもののようです。


  追記 3/13 

昨日買った、最新号の月刊雑誌、『ムー』を読んでいて気がつきました。
付録が、「稲荷弁財尊天 財徳成就霊符」で、この図が描かれていました。
で、改めて調べたら、擬宝珠とは如意宝珠を真似たもので、橋の欄干の頂点に付いている珠のことでした。
これは宝珠そのものでした。
稲荷神社に狛犬のように置いてある狐が口にくわえていたりするそうです。
お稲荷さんのシンボルでもあるようです。

会社なので、現世利益の大きいお稲荷さんを信仰し、宝珠にあやかった絵を描いたのでしょうか。

最後のページを入れ忘れました。
字ばっかりですけど、載せときます。



影雛形 その2

2010年03月11日 09時57分00秒 | 実家の話
とんとん…っとアップします。




            


         


         


どぉ~です。
いちいちクリックするのが面倒でしょう。
でも、あと1回あります。



ところで昨日、うっかりココの足を踏んでしまいました。
わざとじゃありません。
本当にうっかりです。
「今夜、やられるかな?」と思ったら、
やはり今朝5時ごろからネズミのオモチャで遊ぶふりをして、何度も顔を踏まれました。




影雛形 その1

2010年03月10日 15時11分25秒 | 実家の話
3年前、実家の引っ越しのときに出てきた本ですが、ちょっと面白いからいつかお見せしようと思いつつ、
スキャンするのが面倒で、段ボール箱に仕舞いっぱなしでした。
先日、次男が3年生を送る会で余興の手品をやるために、押入れから段ボールを引っ張り出したので、ついでに出しました。

(これより下の画像は、クリックすると大きく表示されます。)



↑達筆で読めませんが、なんとか紡績会社が、稲荷神社のお祭りに奉納したものでしょうか?
日付も「壬辰」の上がわかりません。「山」の下に「日」という漢字、あるかな。



↑これもわかりません。

↓これから使用する形は、次の4つ。 形に合わせて工夫を凝らし、絵にしたようです。
昔、『ママと遊ぼう ピンポンパン』で、カッパのカータンが得意としていた芸ですね。
書いてある文字は、「影雛形 右之四種」と読むのでしょうか。
一応タイトルにしましたが、違ってたら訂正しますので、博学の方はよろしくお願いします。
この形の意味は、シリーズ最後に明かします。




         

和書で縦書きだから右から開くのだと思うのですが、絵に付いている番号は、なぜか逆順です。
続けてどうぞ。

           


まだまだあるでよ。


十三回忌の風呂敷

2010年02月16日 23時00分47秒 | 実家の話
2月14日は、父の命日。
13日(土)に、十三回忌の法要を行いました。

母と妹の発案で、父の書と短冊を配した風呂敷を作りました。






前にも書きましたが、父はバレンタインデーに亡くなったため、
この世から旅立ったあとも、毎年、娘と孫娘にチョコレートをもらっています。
周りの仏さんに、
「あなた、いくつ貰いました? わたしはね~、ほーら…」 
って、自慢してなきゃいいけど。


「やなやつー
「逆・蜘蛛の糸やったろかー!
って、言われてませんように。





小さな仏像

2009年11月04日 09時06分14秒 | 実家の話
昨日、タンスの引き出しを開けて探しものをしていたら、
父が作った、小さなお守り袋が出てきました。
ときどき首から下げていたようです。


中にはこのような仏像が入ってました。(フラッシュ使用の写真と、使用しない写真)

  


裏は、これ。

  


たぶん、国内の民芸店とかそんなところで買ったのでしょう。
面白い形だと思ったので、記事にしました。

祖父の50回忌

2008年11月15日 22時39分44秒 | 実家の話
今日は、父方の祖父の50回忌法要でした。

息子の嫁(母のこと)と、孫と曾孫20人ほどが集まり、菩提寺住職による墓前での法要のあと、食事に行きました。

先日、「祖父の好物は何か」 と妹に聞かれましたが、祖父は私が生後8ヵ月のときに亡くなったので何も記憶にありません。

念のため、遠い親戚のツッチーさんに伺ったところ、とある資料から見つけてくださいました。
それによると、
「好物は里芋と柿とミカン」
「漬物とキュウリは食べない」
とのこと。
(最年長の従姉妹によると、栗も好きだったとか。)

妹たちの用意したお土産には、里芋と柿とミカン。それと福岡のお菓子が入っていました。
(祖父は神奈川出身で、福岡の祖母のところに婿養子に入った)
そして、予め店に頼んで、料理から漬物とキュウリを除いてもらっていました。


私よりずっと年上だと思っていた従兄弟たちとの差が縮まっていて、(みんな若く見えるんだもん)
ほとんど話をしたことのない従兄弟とも話が出来ました。




一蝶 (?) 天狗

2008年08月12日 15時43分34秒 | 実家の話
ついこの間、たしか章魚庵さんのブログコメントに 「三十三間堂の迦桜羅王」 のことを書いたと思ったら、次はツッチーさんのブログにカラス天狗のことが出てきました。

昔、卒論で天狗について書いたこともあって、久しぶりに高尾山でも行ってこようかな…と思いながら、合宿中の次男の部屋を掃除していたら、掛け軸が出てきました。
実家の引越しのときに貰ってきて、すっかり忘れていたものでした。




箱には、「一蝶天狗 夏」 と書いてあります。
偽物でなければ、江戸時代の絵師、英一蝶の掛け軸です。

-- 16:05追記 箱にはたしかに「一蝶」とあるけど、掛け軸の署名をよ~く見ると、「蝶」じゃなくて「蜂」のような。 弟子の英一蜂かも? 追記終了--





次男の部屋、ポスターがベタベタ貼ってあるから、猫のダヤンが天狗狙ってる…。

絵は、魚売りの魚を天狗が盗んでいるところ。
魚屋さん、怒ってます。




天狗さまも真剣です。




さて、天狗の掛け軸も出現したところで、これはいよいよ高尾山に詣でなくては。と思いつつ、結局、東京国立博物館の、『対決 巨匠たちの日本美術』 を見に行ってしまいました。

会場内のカプセルトイ (ガチャポンなどの総称) をやったら、木喰さんが出ました。
(4つくらい機械があって、それぞれ何人かずつの種類が入っているため、誰が出るかわからない)





11日の東京国立博物館は、朝9時10分くらいに行ったら、もう200人は並んでいました。
そのような人出の中、カプセルトイやってるのは私と、どこかの小学生だけでした。
どなたか、「自分もやった~」 という方はいらっしゃいませんか?




--8/14追加 ・ 署名拡大画像-- 




昔の写真

2008年02月15日 14時08分56秒 | 実家の話
昨日はバレンタインデー。
皆様、どきどきわくわくしながら、誰かにチョコレートを贈ったり贈られたりしたでしょうか。

私はチョコレート持って、墓参りでした。

バレンタインデーにはチョコレートをいくつもらったかを自慢していた父。
(「何人から」じゃなくて「いくつ」と誤魔化して自慢するため、たくさん入っているチョコレートにしてくれと要求されていた)
命日は2月14日です。  ソンケイシマス

 
                         

     
さて、このブログを見てくださった皆様には、1日遅れではありますがバレンタインのチョコレート代わりに可愛い画像をお見せします。
ふふふっ。 



まあ なんて可愛いの キャー

 
よく見ると、端っこに本があります。


ジャングル大帝ですねー。
そういえば物心ついたとき、ボロボロになりつつあるジャングル大帝を読みました。


もう1枚。



幼児にしてオープンカーを運転するなんて、リッチですねー。
しかもかなり年代モノのオールドカーですよ。

本人もよっぽど得意なのか、ビンビンです。






髪の毛が。




最後にトトの生後4ヵ月のときの、どちらかというと怖い顔をお見せします。





ところで、まゆまゆさん。
そちらのブログコメントに、
峰猫さんの所のトトも、美男とは言えずとも、何とも愛きょうがあって、かわいい。
と、書いてくださってありがとうございます。

嬉しいんですけど、、、、、
ですけど、、、、、、、、、





トトは女の子です。


ふと、その岩を飛び去んぬ

2007年10月21日 13時39分24秒 | 実家の話

10月17日、父の姉である伯母が亡くなりました。
かなりの高齢でしたが、足が少し悪いくらいで元気でした。
医者といえば歯医者しか掛かったことがなく、かかりつけの医者もありません。
薬もほとんど飲んだことが無かったと思います。

14日に美容院に行き、16日には夕食を作り、お風呂にも入り、
17日、日付が変わった夜中に、起きて腰掛けた状態で亡くなりました。
同居している従姉妹は、座ったまま寝てしまったのかと思ったそうです。
たぶん、亡くなるまでに1分とかからなかったのではないか、と言っていました。

伯母は不思議な雰囲気を持つ人でした。
お正月は毎年滞在するホテル・ニューオータニで。 夏は別荘近くのホテルで、
クレーンゲームに没頭してました。
うちの子供たちからも、『クレーンゲームのおばちゃん』 と呼ばれて、たくさんの戦利品(ぬいぐるみ)をもらいました。

また、何年も前に(後述する事情により、正確な年数は書けません)、伯母は祖父のことで某作家さんに取材を受け、それが雑誌に載ったのですが、
伯母のことを “80代半ば” と記載されていたために、すごく怒ってました。
「あたし、まだ83なのに」 と。

本人は真面目な顔でいろいろな話をするのですが、それがすごく面白い。
いくつになっても、楽しい少女のような伯母でした。

従兄弟によると、伯母が日頃から言っていた遺言が2つあったそうです。

① 悲しまないこと。
② いくつだったか、人に言わないこと。

その遺言により、享年は秘密です。


章魚庵さんのブログ  10月18日記事 『鶺鴒』 に、北原白秋の詩を見たとき、
伯母の逝き方は、まさにセキレイが ふと、飛び立つようだったと思いました。