田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

初夏の田切掃除02

2011-05-17 20:42:00 | 飯田線の旅
 江島駅を後にして飯田線沿いを北上する。このあたりは線路と道路が寄り添っているので隣の駅まで数分で移動してしまう。
 
 東上駅に着いた。以前は木造平屋の古い駅舎だったが、やはりコンクリート製に建て替わっていた。無人駅の耐火化として仕方ないが、この打ちっぱなしコンクリートは飯田線の風景に似合わないように感じる。なじむにはあと20年くらい経って、古びてくる必要があるだろう。さて、この写真は駅舎前を少し引いて撮った。駅舎前の狭い空きスペースは駅舎側に向かってかなり傾斜している。その真ん中に無理やり小さく丸の安全地帯を書いて、ロータリーにしてある。ロータリーにするほど広くないし、そもそもすごい坂だからここで無理に回る人は居ないんじゃなかろうか?


 東上を後にして次の駅、野田城に向かう。ここはまだ木造の駅舎が残っていた。有人だった頃の駅務室のある大きな駅舎だ。周囲に民家も近く、意外と綺麗に維持されている。
 この野田城と東上の間に野田城址がある。武田信玄が火縄銃で撃たれ、その傷が元で死んだとされている史跡だが、堀や井戸の跡がかろうじて残るだけで、石垣や建物などの城らしい物は残っていない。因みに武田信玄を撃ったとされる火縄銃が、有名な信玄砲だ。普通「○○砲」って名前がついているのは、その砲を使った側の人の名前が付くのだが・・・デスラー砲とか。


 野田城のホームに停まっている119系豊橋方面行き。


 駅舎の屋根が大きく張り出したところ。以前ポイント切替機の大きなレバーが何台か並んでいたように記憶している。


 ホームの外側に退避線が残っていた。貨物があった頃の物だろうか?今でも本線と接続されているが、使われている様子は無い。


 広角でこんなの撮ってみました。四隅がけられている。


 古い駅舎が残っている駅がだいぶ少なくなった。それを寂しく思うのは僕のような古いファンだけだ。コンクリートの小さな駅舎がこれからの飯田線の風景になっていくのだろう。