田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

轟天号を追いかけて第9回は「9極超人あんどろいど009」の2

2022-08-07 12:02:16 | あ~るOVA

 午後になり、参加者が三々五々集まり始める。車で持ってきた自転車を会場に置いてから一度離れる人もあれば、名古屋からここ長野迄自転車で自走して来る人もあり、参加形態もいろいろだ。

 

 コロナの完全終息を祈り、幸福の黄色いタオルを飾る。これ今回の参加賞です。

以下会場にあった自転車を紹介しよう。

 

 大変状態の良いブリジストンのロードマン。本家の轟天号もロードマンだった。

ロードマンは物凄い旧車で、よい状態の物はなかなか手に入らない。

 今回参加車両の中で荷物最大積載量の車両は折り畳み自転車だ。この荷物一式で自転車キャンプが出来る。

今回の走行中に2回荷崩れしたのだそうだ。

 

 

 主催者の愛車の轟天号。これも元々はロードマンだけどまったく面影がないほどに改造されている。

電動ユニット搭載でナンバーもとってある。

 

 参加者の受付が始まり、続いて開会式が行われた。コロナ前は飯島町長の挨拶があったりかなりにぎやかだったが、今回は感染防止に配慮して粛粛と執り行う。

 

 走行するのは約30名。これを実力や走る予定コースによって4グループに分け、時間差をつけてスタートする。

 

 いよいよ走行会の開始です。田切駅下の聖徳寺様の駐車場を走りだす。

 

 

 

 

 伊那市駅前到着は約1時間後。皆様ご安全に~!


轟天号を追いかけて第9回は「9極超人あんどろいど009」

2022-08-06 18:39:12 | あ~るコミック

 今年は3年振りに、あの「暑い夏の1日」が帰ってきた。

 毎年7月最後の土曜日は、愛知から長野を結ぶJR東海の長距離ローカル線である飯田線の田切駅前から伊那市駅前までを1時間で走り抜ける自転車愛好家の走行会、つまり早さを競い合う競技会ではなくて走りを楽しむ会が行われていた。その名も「轟天号を追いかけて」

 その昔、少年漫画誌に連載されていた「究極超人あ~る」という学園ギャグマンガの主人公「あ~る」の愛車である自転車の名前が「轟天号」だ。
 連載が終了して随分と時間が経った頃に何故か急にOVAがリリースされて、その話の最終盤で田切駅から伊那市駅まで自転車の轟天号で走る抜けるシーンがあり、そこはそれギャグマンガだからまったく同じコースと辿るのは無理としても、実際に何種類かコースがある一般道路を、自転車で走り抜けようという趣旨のイベントだ。
つまり轟天号の幻影と言うか記憶を追いかけて、それを実体験しようと言うのだ。

 1回だけの予定で開催したが、走行会参加者やお見送り参加等々、各方面に思いの外に好評で、1回だけでは止めさせてもらえなかった。こうして回を重ねること第8回が終わり、さあ第9回目をと思った矢先にコロナウイルス事案が発生し、2年間開催されなかった。そして今年、感染者数が激減し各種の行動規制が解除されたのを受けて3年振りの開催決定となった。開催を決めてから再び感染者が増加に転じたのは想定外だったが、開催規模を縮小した上で充分に感染対策を講じて当日を迎えた。
 9回目のサブタイトルは「9極超人あんどろいど009」となった。毎回主催者が凝ったサブタイトルを考える。

 僕ら(田切ネットワーク)は協力団体として裏方で毎回参加している。会場の設営やネタふり等々・・参加者が楽しめるように毎回無い知恵を絞っている。

 昼前に誰よりも早く現地入りし、会場の設営をやる。

 必要な荷物を降ろす。これでも全部ではない。田切駅付近の標高700メートルあるが、晴天の下で大変暑い。

 田切の駅下、聖徳寺様の駐車場に作られた受付、休憩所(日除け)のタープ。左端のタープが受付だ。

 こんな物も準備した。記念撮影用の小道具。左から、光画部の命「粉砕バット」、土木研究会春風組のヘルメット、最初期の駅ノートのコピー3冊、OVAのおまけについてきたミニアルバム、あ~るの扇子、登坂が部室攻防戦で使ったエアガン。

 そして光画部と言えばマージャン卓。因みにここ田切はマージャンアニメ「咲」の聖地でもあります。

僕は学生時分からよくマージャンを打ったが、最近は打てない人が多いようだ

 中編に続く。


旧日本軍の手記をもとにして籾殻付きの米から炊飯に挑戦した

2022-08-05 23:56:20 | グルメ

 太平洋戦争(第2次世界大戦)時の兵士の手記に
「刈り入れ前の田圃を見つけたので、久しぶりに腹いっぱい米を食べた」とさらりと書いてある。
あまりにも簡潔に軽く書かれているので、何の疑問もなく「あ~、そうなの」と思っていたが、よくよく考えてみると、これってかなり大変なのではなかろうか?と感じ始めた。
なぜなら
1.田圃の稲を発見
2.刈り取り
3.脱穀
4.籾摺り
5.精米
6.炊飯
刈り取った稲の乾燥をやらなくてもこれだけの手数がかかるのだ。しかも戦場ですから。
そこで、夏キャンプに合わせて検証実験をしてみようと思い立った。

 籾の付いた米が入手できるかが最大のポイントだったが、馴染みのお米屋さんが「米は籾付きで保存している」との事で、事情をお話したら籾付きの米を分けてくださると言われた。これはありがたい。一も二もなくご厚意をお受けすることにした。

 7月の16~18の3連休に信州木崎湖でキャンプをする。この2泊3日の中日に検証することにした。

 7/17(日)木崎湖キャンプ場で籾摺に挑む日本軍ゆかいな3人組。やはり旧日本軍の手記をもとに検証するので姿形から入るのだった。

 さて、ここから籾摺りして炊飯を体験してみたレポートです。
旧日本陸軍は南方戦線で刈り入れ前の田圃を見つけ、いかにして腹いっぱい米を食べたのか??
 当時の軍隊の兵階級は、地方の農村出身者が多く、籾摺りや精米なんて特別に記録することもないような、日常の作業だったのだろう。文献に実際にどうやってどの程度労力が掛かったのかなんて、全く書かれていない。
 自分たちも経験がない。まあ、やるだけやって見よう。... 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文献の数少ない資料では、籾付きの米を鉄帽(ヘルメット)に入れてエンピ(携帯スコップ)の柄で突いて籾摺りをしたらしい。旧日本軍の鉄帽は頭を固定するためのストラップなどが作り付けで外せなかったので、そんな物で米を突いたのか!と驚嘆する。
 今回用意したのは自衛隊のヘルメットの外帽。大戦時の米軍とほぼ同型だ。こいつは頭を固定するストラップが付いた内帽(ライナー)と金属製の外帽が分離できるので、底の丸い鍋のような形の金属製の器になる。
籾付きの米を入れて、エンピの柄に見立てたすりこ木で突く。最初は力加減も、そもそもどうやって突くのが良いのかさえ分からなかった。いくら突いても籾に何の変化も見られなくて、入口で心が折れそうになる。
3人交代で突きまくっているうちに、何となく手ごたえと言うか感触が分かってきた。思っていたよりかなり力を入れてもよく、また鉄棒の一番深い中心部分を重点的に突けば良いのだ。「プチッ」と小さな音と、はじけるような僅かな感触が感じられて、これがすなわち籾が剥がれている証拠なのだった。

 突いてはふるいにかけ、風で飛ばしたりして外れた籾殻を除くと、徐々に玄米が多くなってきた。

 こうして日本軍兵士3人がかりでの4時間余りの苦労で、とれた玄米は飯盒の内蓋に摺り切り1杯。つまり2合だった。これは日本兵の1人当たりの1食分に相当する。なんか苦労があまり報われてない感じがする。
これを飯盒で炊くわけだが、玄米なのですぐには焚けない。1時間程度水に浸けて準備をする。

 さて、飯盒を見て「米を炊く道具」と思うのは日本人だけだ。もともとはただの野外用食器。だから米を炊くには大きさも形状も適していない。もしこの形状で誰でも簡単に旨い米が炊けるなら、象印かアイリスから「飯盒炊き電気炊飯器」が発売されてるはずだ。

 苦節4時間弱、その後玄米を水に浸けて1時間。凡そ5時時間以上掛かってやっと取れた玄米2合と、別に購入したジャスミン米2合を焚火で炊く。飯盒に焚火で炊飯するには技術がいりますよ。我々は数十次に及ぶ経験から飯盒炊飯用の枠を自作してある。飯盒の位置も高さも調整が出来るので、最適な加熱加減を作り出せる。

 ついに米が炊けた!苦労もあって感慨も格別だ。別に作っておいたカレーで、キャンプ料理の定番夕食となる。まあ、カレーは海軍さんの十八番だが、まあいいでしょう。わざわざ大きなステンレス製カレー皿を持ち込み、玄米とジャスミン米を盛り付けていただきました。

 

 この他かねてよりの軍隊伝説に、「上手な人はろうそく1本で炊飯できる」というのがある。ろうそく1本が持つエネルギー量と、飯盒で炊飯するのに必要な熱量はそれぞれ計算できるが、はたして本当にできるのか???無理なような気がするけど‥それならそれでろうそくが何本あれば炊飯できるのか?また検証をしてみたい。