人は自分の育った環境の中で
いつの間にか自分にとっての当たり前を学んでいる。
親や祖父母から何でも許され与えてもらうことだけをしてきた人は
親や祖父母は当然全てを受け入れ何でも与えてくれるものだと思っている。
小さな時に最も一緒にいた親、母親または父親などの影響は大きい。
しかし結婚などで義理の親ができたりすると
彼らの当然は自分のものと違うことに気づくこともある。
でも自分の当然は正しいけれど、
他人の当然は間違っていると感じたり嫌悪感が生まれる。
単に可愛がるだけでなく一人の人間として求められてしまうこともある。
親は子供が可愛くお願いは何でも聞いてくれるもの。
祖父母も同じように何でも受け入れ何でもやってくれるもの。
そのうち彼らに子供ができても同じように
親や祖父母は孫やひ孫が可愛いに決まっている、と思っている。
もしかしたら彼らも忙しく自分の人生を謳歌しているので
誰かの子供には興味がないかもしれない。
恋人なら、妻なら、夫ならこれをするのは当然、
こう思うのが普通といった感覚を持っている。
自分の普通や当然は、自分が接する人たちも同じように
普通、当然だと思っているのか考えてみることも必要だ。
もしかしたら、自分の感覚が甘やかされた結果身についてしまったもので
それは全く当然でないと気づけるかもしれない。
祖父母、親、友人、恋人やパートナーなど
人間関係において自分の持つ当然なこと、普通のことと言ったものは
あくまで自分にとってのものだけだと思っておこう。
自分が与える側なら、相手には見返りを求めず
自分が受け取りたいなら、自分の当然や普通を相手にはめ込んだり
押し付けていないか自分自身の行動を見返すことも大事だ。