3月10日、「東京大空襲」から67年目を迎えます。
東北大震災のニュース一色の中で、NHKで「東京大空襲」を取り上げていました。
昨年までは、私も3月10日は東京大空襲しか思い浮かばなかったのに・・・と思いました。
最近になって当時の写真が発見(公表)された事で、改めて被災情況などが明確化されています。
東京への空襲は、100回以上もあったそうです。資料がとても少なくて実情が把握されていません。
犠牲者は10万人とも言われ、今だに身元不明の方々が多数おられます。
あの業平橋の下を流れる川の周辺の被災情況などを証言して下さる男性がいらっしゃいました。
業平橋もスカイツリーの舞台に取ってかわる訳ですが、戦争の痕跡が風化する事を心配していました。
私の中では、関東大震災の隅田川の惨状と、混同しておりました。申し訳なく思います。
私でさえも戦後生まれですから、あの戦況を実体験されていて、記憶のある方々は70歳を超えます。
今、あの戦争の記録を残さなければ・・・という皆さんの想いがひしひしと伝わってきました。
「思い出すのが辛いから胸にしまい込んでいた」方々が、何かにせかされるように語り始めています。
3歳で被災し「何故お前だけが生き残ったの!」と親戚に言われながら、たらい回しにされたという女性は、
「・・・戦争は人を変えてしまう。」と話していました。
毎日のように戦火を浴びていた中で、親は子供だけでも生き延びて欲しいと願っていたに違いありません。
しかし、例え生き残ったとしても、みなしごと呼ばれ、そこは地獄のような世界だったのです。
表参道の辺りにお住まいがあったと言う女性の方は、お母さんを亡くされました。
遺品を東京都に預けていましたが、14年間記念館が実現せずに、倉庫に保管状態(放置?)にあったということです。
・・・渋谷の町は、道元坂と宮益坂の区別もつかず、郵便局の鉄筋の痕で漸くわかった・・・とも。
コメンティターの海老名香代子さんも、浅草の惨状をお話になっていました。
当時の写真を見ると、仲見世辺りも、全て焼け野原となり、跡形もなく焼失しておりました。
以前、雑誌の撮影で、根岸のご自宅で海老名さんにお目にかかった事があります。
その時は、本当に屈託のない笑顔で接して戴いて、とても明るくて優しい方だと思いました。
まさかあの東京大空襲でご家族皆さんを失っていたとは想像もつきませんでした。
亡くなったお母さんに「何があっても、笑顔でいれば皆に好かれて生き延びれるから」と言われたそうです。
そう言い残さなければならなかった親心に、胸を突かれました。
・・・海老名さん曰く、朝歯を磨く時に幸せを感じる。普通に歯を磨ける事が平和の証しだと言う。
東北大震災のニュース一色の中で、NHKで「東京大空襲」を取り上げていました。
昨年までは、私も3月10日は東京大空襲しか思い浮かばなかったのに・・・と思いました。
最近になって当時の写真が発見(公表)された事で、改めて被災情況などが明確化されています。
東京への空襲は、100回以上もあったそうです。資料がとても少なくて実情が把握されていません。
犠牲者は10万人とも言われ、今だに身元不明の方々が多数おられます。
あの業平橋の下を流れる川の周辺の被災情況などを証言して下さる男性がいらっしゃいました。
業平橋もスカイツリーの舞台に取ってかわる訳ですが、戦争の痕跡が風化する事を心配していました。
私の中では、関東大震災の隅田川の惨状と、混同しておりました。申し訳なく思います。
私でさえも戦後生まれですから、あの戦況を実体験されていて、記憶のある方々は70歳を超えます。
今、あの戦争の記録を残さなければ・・・という皆さんの想いがひしひしと伝わってきました。
「思い出すのが辛いから胸にしまい込んでいた」方々が、何かにせかされるように語り始めています。
3歳で被災し「何故お前だけが生き残ったの!」と親戚に言われながら、たらい回しにされたという女性は、
「・・・戦争は人を変えてしまう。」と話していました。
毎日のように戦火を浴びていた中で、親は子供だけでも生き延びて欲しいと願っていたに違いありません。
しかし、例え生き残ったとしても、みなしごと呼ばれ、そこは地獄のような世界だったのです。
表参道の辺りにお住まいがあったと言う女性の方は、お母さんを亡くされました。
遺品を東京都に預けていましたが、14年間記念館が実現せずに、倉庫に保管状態(放置?)にあったということです。
・・・渋谷の町は、道元坂と宮益坂の区別もつかず、郵便局の鉄筋の痕で漸くわかった・・・とも。
コメンティターの海老名香代子さんも、浅草の惨状をお話になっていました。
当時の写真を見ると、仲見世辺りも、全て焼け野原となり、跡形もなく焼失しておりました。
以前、雑誌の撮影で、根岸のご自宅で海老名さんにお目にかかった事があります。
その時は、本当に屈託のない笑顔で接して戴いて、とても明るくて優しい方だと思いました。
まさかあの東京大空襲でご家族皆さんを失っていたとは想像もつきませんでした。
亡くなったお母さんに「何があっても、笑顔でいれば皆に好かれて生き延びれるから」と言われたそうです。
そう言い残さなければならなかった親心に、胸を突かれました。
・・・海老名さん曰く、朝歯を磨く時に幸せを感じる。普通に歯を磨ける事が平和の証しだと言う。