田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

南仏ニース トラック・テロ

2016-08-22 19:04:11 | ヒゲの盤上の世界
7/15日の、フランス・ニースでの殺人トラック・テロ事件。
現場は、阿鼻叫喚の地獄絵の様相のハズ。
             
こんな簡単なトラックで、80名もの人殺しの仕掛けになるなんて!
もう、わざわざ戦車をチャーターしてのヘビーな準備なんて必要なし。
ちょいとトラックをレンタルすれば良い。
これじゃ、テロは防ぎようが無いじゃあないか。
こうなれば、トランプ野郎の言う、国境封鎖ぐらいしか手が無いかも。
まるで、20世紀の米ソ冷戦時代に逆戻りしているようだ。

ニースと云えば、ヒゲにはほろ苦い思い出があります。
今は、日本人が簡単に海外に遊びに行ける時代です。
が、1970年前半頃の海外旅行は、まだまだ日本人にとって夢のまた夢でした。
チェスでは、オリンピアードと言って、二年毎に世界大会が行われていました。

74年もチェス・オリンピアードの開催年。
そう、ヒゲが現役の学生チャンピオンの年です。
当然、参加資格は文句なし。
開催地の仏・ニースまでの足代さえ払えば、太陽がいっぱいの天国が待っているハズでした。
    
当時、熊本では、両親が従業員を頼りに4店舗を操業している。
京都の料理屋での修業を済ませ、さっさとヒゲが帰って来るのを、待っているのでした。
チェスを道楽遊びとしか思っていない親に、「旅費を下さい」なんて、
とても言える雰囲気ではありません。
今の時代だったら、違っていたんでしょうが?

こうしてヒゲは、生涯で唯一、海外旅行或いはカァちゃんとの新婚旅行(!?)の機会を
見逃したのでした。悔やまれます。
当然ながら、それ以降、仕事に忙殺されて、アランドロン気取りのヒゲも、
フランスを訪れる事は出来ませんでした。
思えば、あの時が最初で最後のチャンスだったのですネ。 オヨヨ~
もちろん、体が不自由になった今では、望むべくもありませんが。
まあ、人生なんて、そんなモノでしょう。
あの時、オリンピアードに参加していたら、一生に遺る記憶遺産になっていたでしょう。

2004年のオリンピアードの頃、思いがけない彼氏が、仕事の転勤で熊本へやって来ます。
彼は、ヒゲにひと時の夢を見せてくれました。
      
そう、日本代表で参加した加藤氏です。
お土産のTシャツ(カァちゃんとお揃いで)に、スナップ写真も添えて。
  
                      内のカァちゃんも、“あけみ”ですよ。
        

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