服部が、[社長退任慰労と嘱託就任祝い]なる奇妙な発案をした。
だれも異を唱えることがなくすんなりと決まるかにみえたが、当の本人が首をたてにふらない。
「そんなことにお金を使わないで」と、五平のことばで小夜子が反対した。
「専務のケチケチが移っちゃった」。そんな陰口があちこちから聞かれた。
しかし実際のところは、五平が服部に
「俺がいうのも変だから、服部から提案してくれ」と耳打ちされたことだった。
武蔵の○後、五平の意識が180度転換した。
「社員たちを大事にしてやってくれ。
あいつらの頑張りのおかげで会社が育ってきたということを認識してくれ。
もう俺たちが味わってきた屈辱は、終わりにしよう」
あの朝、「遺言だとおもって聞いてくれ」ということばが、まだ耳に残っている。
「大和魂なんてことばは、俺たちで終わるぞ、きっと。
GHQが植えつけたアメリカ社会の風潮が、これから日本にもはびこるはずだ。
『お上の言うことには逆らえねえ、ごもっとも』なんて時代は終わったんだ。
もうけたら社員たちにもいい思いをさせてやってくれ」
すぐさまこの社長交代人事が取引先に連絡された。
販売先と仕入れ先関係で評価がいちぶ別れはしたものの、「早かったですなあ」という声が圧倒的だった。
小夜子の未知なる経営手腕に不安がありはした。
さまざまな周囲からのサポートを受けつつ勤めあげていることから、その不安も次第におさまっていた。
そのさなかの交代劇なだけに、なにか衝突が? といぶかしがる声もありはしたが、想定の範囲内であることから好感を持って受け入れられた。
しかしそんななか、ひとりほくそ笑む者がいた。
「あたしの出番ね!」
五平の妻、万里江が五平に詰めよった。
「あの人になんか任せてられない。あたしが陣頭指揮を執るわ!」
そしてここに富士商会における、ふたりの女帝がうまれた。
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