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こんにちは
小野派一刀流免許皆伝小平次です
さて、ここのところ、元徴用工判決や、韓国海軍駆逐艦による、海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射事件等々から
『日韓関係が急速に悪化』
などと連日メディアなどが報じたり、識者がコメントしたりしております
『日韓関係が急速に悪化』
本当にそうなんでしょうか
というか、そもそも日韓関係って『良かった』ときってあるんでしょうか
あったとして、それは何時の時代、どんな関係であったときを『良かった』と言うんでしょうか
また
『悪化』
というからには、これまでは『良かった』と言えるのでしょうか
とてもそうは思えません
歴史をひもといてみますと、我が国と朝鮮半島の国々は、その関係が良好であったかどうかは別として、太古の昔より、人、物の往来は盛んで、大変深い関わりをもっていたことは間違いなさそうです
朝鮮半島の三国時代、強大な北方の国家『高句麗』とは長い間敵対していたことが窺えます
百済、新羅、に対しては、かなり強い影響力を持って日本は接していたように見えます
それは、軍事的な優位性を背景(軍事力のみではない)に、どちらかと言えば力ずくで押さえつけていた風にも見えます
朝鮮半島南部の任那地域には、百済、新羅以上に日本の影響力が及んでいたのは間違いないと思われます
『白村江の戦い』の大敗以降は、人と物の往来は引き続きあったわけですが、日本の政治的影響力は無くなり、まあ、少し距離をおいた隣国として付き合っていたように思います
その後は『元寇』時においては戦争相手として関わったわけですし、豊臣秀吉の対明戦争においても力ずくでねじ伏せたわけです
明治以降も、かなり融和的な形ではありましたが、やはり国力の優位性を背景に、西洋型の植民地支配とは違うとは言っても、やはり力ずくで日本の影響下に置いた、と言えるのではないでしょうか
かなり大ざっぱではありますが、私たちの先人は、厄介な隣人に対して、付き合わねばならない時は力ずくで押さえつけるか、それ以外の時は少し距離を置いて、深くかかわらないようにしていた風に見えます(民間レベルの人的・物的交流は除いて)
『日鮮同祖論』
『我々は一つである』的な理屈で日韓併合を正当化したわけですが、敗戦後、我が国が力ずくの『力』を失ったあと、半島で取り残された我が先人の皆さまがどれだけ凄惨な目にあったか、日本にやって来た半島人が何をしたか、を考えれば『日鮮同祖論』などというものが、どれほど淡い幻想でしかないということがわかるわけです
にも関わらずその後、私たちは、かの国に対し、常に『加害者』のような意識をもって接し、無理にでも親近感を持ち、互いの『友好』などを夢見ていた時代が長く続いたわけです
そんな淡い幻想を信じていたがゆえ、ときに因縁をつけられ、ときにお金をせびり取られてきたわけです
そういう意味において、小平次としては、多くの国民、政治家、財界人がかの国に淡い幻想を抱いていた数年前くらいまでの方が、よほど『悪化した日韓関係』であった、と思うわけです
この度のレーダー照射に対する日本政府の対応はヌルいとしか言いようがありませんが、少なくともさんざん韓国の無法者ぶりを見てきた多くの国民は、韓国という国はどういう国かをよく知り、淡い幻想など持たなくなっており、この度も多くの国民が毅然とした対応を望んでいるでしょう(できるかどうかわかりませんが)
そういう意味で、日韓関係は『悪化』どころか、今の方がよほど『良い』と思っております
ですが嫌韓バカとか反韓バカは大嫌いです
国民対国民で罵りあっても仕方ありませんし、いまやネット上には、朝鮮半島の歴史についてもまるでデタラメなことが真実であるかのように語られております
相手が歴史をねつ造するからと言って、日本人が同じように歴史をねつ造して隣国を貶めるようなことを言っていては、日本人として恥ずかしい限りであり、真実を語っても逆に信用されない事にもなりかねません
さて、安倍首相のことば
『外国人に対して自国の価値観を強制するようなことがあってはならない。お互いが尊重し合えるような共生社会の実現に向け、環境整備を進めていく』
こんなことが、特に中・朝・韓に対しては、淡い幻想である、ということを、古代の先人たちの方がよほどよく理解していた、のではないでしょうか
中途半端な親近感や罪悪感などはかえって危険です
いい関係を保ちたいからこそ、距離を置き、ときに毅然とふるまう、それが大事なことだと思っております
御免!