プリー東側海岸線
インド放浪 本能の空腹⑲ 『ウ〇コ』の山を乗り越えて
30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。
前回、バブーとロメオ(オーズビー)、彼らの中学時代の先生を交え飲み会、日本語で男のアレは何と言うのか、と言う話題になり、そのまま KINTAMAの大合唱となり、大いに盛り上がった、というところまででした。
では、続きをどうぞ
*****************
大いに盛り上がった宴の翌日、朝の7時におれは目を覚ました。今日もバブーとロメオが遊びに来る、とは言っていたが、何時に来るのか、ということは聞いていなかった。そんな大雑把な約束だったから、とりあえずこんな朝早くから来ることはないだろう、おれは朝食をとりがてら散歩に出ることにした。
ホテルの前の通りを東へ向かう、昨日、ホタルを見た雑木林の方へ曲がる角に、一件の屋台が出ていた。大層な中華鍋みたいのに油を入れ、朝から何かを揚げている。覗いてみると、直系7cm位のボールみたいなものを揚げている。店の周りでは、数人の男たちがそれをほおばっている。
イメージ
うまそうだな…。
おれはそのボール状の食い物を食ってみることにした。
1ルピー払うと、二つのボールが紙に載せられて出された。おれはまだ熱そうなボールに息を吹きかけながら、通りを右に折れ、ホタルの雑木林からその先の海の方へ向かって歩き出した。
一口食ってみる…。
『▼〇!$$◆!◎✖✖%%#&!!!!!!!----!』
『ウエエー! オウエッ!!』
体験したことのない味だった。美味い、不味い、と言う以前に、おれの食道から以下の臓器が全力でこの食い物の侵入を阻止にかかっている、そんなレベルであった。おれは店から少し離れ、見えないところで口の中のものを吐き出した。
『な、なんだこの食い物は…。』
おれは残りの一個も道端に捨て、朝食は諦めて海の方へ向かった。
通りの両側にある、掘立小屋の集落から、男が手にタライを持って通りに出てきた。男は、道の片隅にしゃがみ込み、丈の長い上着で下半身を隠し、なんと…、
『ウ〇コ』
を始めたのであった。よく見れば、通りの先の方にも2、3人、同じようにしゃがんで用を足している男たちがいる、さらによく見れば…道端はウ〇コだらけである…!!!!!
ここで、日記を少し離れてインドのトイレ事情、否、ウ〇コ事情について少しふれておこう。
インドではウ〇コをした後、紙でケツを拭くことはしない、タライなどに水をくみ、その水を左手で掬い、ケツを洗い、手で拭く、というのは有名な話だ。だから多くのトイレにはトイレットペーパーなどはおいていないことが多い。外国人向けに大きなホテルやレストランなどでは備え付けられていることもあるが、おれが利用するような場所にはないことが多いのだ。
そのことは知っていたので、トイレットペーパーを1ロール持って来てはいたし、町の雑貨屋などでも売っていたので困ることはないはずだったが、おれは割と早い時期からインド式のケツ拭きにチャレンジしていた。
最初から指先を使って拭いてしまうと匂いが残る、初めはうまくいかなかったが、その内、まず手で掬った水をケツには触れないように何度かかけ、あらかたの汚れを洗い流す、その後、掬った水でケツの穴を包むようにしてちゃぷちゃぷと濯ぐ、そして最後に人差し指でキュッ、と拭く、慣れればこうすることで、匂いが指先に残るようなこともなく、紙はおろか、ウォシュレット以上にきれいにすることができるのだ。
おれは海岸までやって来た。
やはり海はいい。
とても広い海岸線だ。
東側に、漁師の集落と、細長い無数の木端舟が海岸に並んでいる。おれはそちらに向かって歩き出した。
漁師たちの姿はない、もう今日の漁は終わったのだろう。
イメージ(実際はもっと頼りなさげでした)
近くで見ると、本当に頼りない舟であった。どこまで沖に出るのかはわからないが、命懸けだろう、だが、この頼りない舟がここの漁民の命を紡いでいるのだ。
おれは少し、海に足をつけてみようと、波打ち際に向かって歩き出した。と、その時…
『▼〇!$$◆◎!✖✖%%#&!!!』
舟のある場所から波打ち際まで、無数の『ウ〇コ』がころがっていたのだ。
おれはすっかり波打ち際に足をつける意欲を失い、ホテルへの帰路に着いた。
インドを旅する、それは、ゴミの山を乗り越え、ウ〇コの山を乗り越え進むいばらの道…、このときおれは、本当にそう思ったのであった。
ホテルに戻ると、バブーとロメオが来ていた。
『散歩かい?』
とバブー。
『コヘイジ、これから3人でバイクに乗ってコナーラクへ行かないか』
とロメオ。
『コナーラク?』
コナーラクは、プリーの近郊の街で、世界遺産になっている古代ヒンドゥー教の太陽神寺院、スーリヤ寺院があるという。プリーからは35キロほど離れているそうだ。地球の歩き方や他のガイドブックでも、大概プリーとワンセットで観光の案内が載せられいている。
おれは今回のインドの旅において、そのような世界遺産など、そういう歴史的建造物や美術品、雄大な自然にも関心がなかった。ただ、どこか海に近い街で、住人のように過ごし、その街と少しでも同化したい、という漠然とした目的しかなかったのだ、だからこういうお誘いでもなければ、きっとこの先そんな観光をすることはないだろう。
『OK! 行こう!』
運転はロメオ、真ん中におれ、おれの後ろにバブー、男3人、体を密着させ、とても軽快とは言えない加速で発進、ベスパもどきが太陽神のおわす寺院に向かって走り出した。
*******************
まあ、ウ〇コの山、は大げさですが、実際にあちこちでウ〇コは目にしました。それを話すだけで知人もウチの女房殿もインドへは行きたくない!と言います。右手でものを食べ、左手で排泄物の洗浄を行う、食って出す、という生き物のもっとも基本的な行動を自らの手でする、ここにあからさまな人間の原点を感じることをできるのがインド、そんな風にも思ったりしました。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です
インド放浪 本能の空腹⑲ 『ウ〇コ』の山を乗り越えて
30年近く前の、私のインド放浪、当時つけていた日記をもとにお送りしております。
前回、バブーとロメオ(オーズビー)、彼らの中学時代の先生を交え飲み会、日本語で男のアレは何と言うのか、と言う話題になり、そのまま KINTAMAの大合唱となり、大いに盛り上がった、というところまででした。
では、続きをどうぞ
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大いに盛り上がった宴の翌日、朝の7時におれは目を覚ました。今日もバブーとロメオが遊びに来る、とは言っていたが、何時に来るのか、ということは聞いていなかった。そんな大雑把な約束だったから、とりあえずこんな朝早くから来ることはないだろう、おれは朝食をとりがてら散歩に出ることにした。
ホテルの前の通りを東へ向かう、昨日、ホタルを見た雑木林の方へ曲がる角に、一件の屋台が出ていた。大層な中華鍋みたいのに油を入れ、朝から何かを揚げている。覗いてみると、直系7cm位のボールみたいなものを揚げている。店の周りでは、数人の男たちがそれをほおばっている。
イメージ
うまそうだな…。
おれはそのボール状の食い物を食ってみることにした。
1ルピー払うと、二つのボールが紙に載せられて出された。おれはまだ熱そうなボールに息を吹きかけながら、通りを右に折れ、ホタルの雑木林からその先の海の方へ向かって歩き出した。
一口食ってみる…。
『▼〇!$$◆!◎✖✖%%#&!!!!!!!----!』
『ウエエー! オウエッ!!』
体験したことのない味だった。美味い、不味い、と言う以前に、おれの食道から以下の臓器が全力でこの食い物の侵入を阻止にかかっている、そんなレベルであった。おれは店から少し離れ、見えないところで口の中のものを吐き出した。
『な、なんだこの食い物は…。』
おれは残りの一個も道端に捨て、朝食は諦めて海の方へ向かった。
通りの両側にある、掘立小屋の集落から、男が手にタライを持って通りに出てきた。男は、道の片隅にしゃがみ込み、丈の長い上着で下半身を隠し、なんと…、
『ウ〇コ』
を始めたのであった。よく見れば、通りの先の方にも2、3人、同じようにしゃがんで用を足している男たちがいる、さらによく見れば…道端はウ〇コだらけである…!!!!!
ここで、日記を少し離れてインドのトイレ事情、否、ウ〇コ事情について少しふれておこう。
インドではウ〇コをした後、紙でケツを拭くことはしない、タライなどに水をくみ、その水を左手で掬い、ケツを洗い、手で拭く、というのは有名な話だ。だから多くのトイレにはトイレットペーパーなどはおいていないことが多い。外国人向けに大きなホテルやレストランなどでは備え付けられていることもあるが、おれが利用するような場所にはないことが多いのだ。
そのことは知っていたので、トイレットペーパーを1ロール持って来てはいたし、町の雑貨屋などでも売っていたので困ることはないはずだったが、おれは割と早い時期からインド式のケツ拭きにチャレンジしていた。
最初から指先を使って拭いてしまうと匂いが残る、初めはうまくいかなかったが、その内、まず手で掬った水をケツには触れないように何度かかけ、あらかたの汚れを洗い流す、その後、掬った水でケツの穴を包むようにしてちゃぷちゃぷと濯ぐ、そして最後に人差し指でキュッ、と拭く、慣れればこうすることで、匂いが指先に残るようなこともなく、紙はおろか、ウォシュレット以上にきれいにすることができるのだ。
おれは海岸までやって来た。
やはり海はいい。
とても広い海岸線だ。
東側に、漁師の集落と、細長い無数の木端舟が海岸に並んでいる。おれはそちらに向かって歩き出した。
漁師たちの姿はない、もう今日の漁は終わったのだろう。
イメージ(実際はもっと頼りなさげでした)
近くで見ると、本当に頼りない舟であった。どこまで沖に出るのかはわからないが、命懸けだろう、だが、この頼りない舟がここの漁民の命を紡いでいるのだ。
おれは少し、海に足をつけてみようと、波打ち際に向かって歩き出した。と、その時…
『▼〇!$$◆◎!✖✖%%#&!!!』
舟のある場所から波打ち際まで、無数の『ウ〇コ』がころがっていたのだ。
おれはすっかり波打ち際に足をつける意欲を失い、ホテルへの帰路に着いた。
インドを旅する、それは、ゴミの山を乗り越え、ウ〇コの山を乗り越え進むいばらの道…、このときおれは、本当にそう思ったのであった。
ホテルに戻ると、バブーとロメオが来ていた。
『散歩かい?』
とバブー。
『コヘイジ、これから3人でバイクに乗ってコナーラクへ行かないか』
とロメオ。
『コナーラク?』
コナーラクは、プリーの近郊の街で、世界遺産になっている古代ヒンドゥー教の太陽神寺院、スーリヤ寺院があるという。プリーからは35キロほど離れているそうだ。地球の歩き方や他のガイドブックでも、大概プリーとワンセットで観光の案内が載せられいている。
おれは今回のインドの旅において、そのような世界遺産など、そういう歴史的建造物や美術品、雄大な自然にも関心がなかった。ただ、どこか海に近い街で、住人のように過ごし、その街と少しでも同化したい、という漠然とした目的しかなかったのだ、だからこういうお誘いでもなければ、きっとこの先そんな観光をすることはないだろう。
『OK! 行こう!』
運転はロメオ、真ん中におれ、おれの後ろにバブー、男3人、体を密着させ、とても軽快とは言えない加速で発進、ベスパもどきが太陽神のおわす寺院に向かって走り出した。
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まあ、ウ〇コの山、は大げさですが、実際にあちこちでウ〇コは目にしました。それを話すだけで知人もウチの女房殿もインドへは行きたくない!と言います。右手でものを食べ、左手で排泄物の洗浄を行う、食って出す、という生き物のもっとも基本的な行動を自らの手でする、ここにあからさまな人間の原点を感じることをできるのがインド、そんな風にも思ったりしました。
※引用元を示し載せている画像は、撮影された方の了承を頂いた上で掲載しております。それ以外の「イメージ」としている画像はフリー画像で、あくまでも自分の記憶に近いイメージであり、場所も撮影時期も無関係です